2011年12月15日

第42回 時の閑寂:夏目漱石 形容詞の丁寧表現について

第42回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




      
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    鳥声閑処人応静
    寂室薫来一炷香

    
      鳥声 閑(のど)かなる処(ところ) 人も応(まさ)に静かなるべく
      寂室(せきしつ)薫(くん)じ来たる 一炷(いっしゅ)の香(こう)

      1205光25864.jpg                                           23.12.5 東京都清瀬市

  詩は夏目漱石(なつめそうせき、1867〜1916)の七言律詩「無題」(大正五年作)から、尾聯の二句です。詩の全体は文例のページで御覧下さい。

     
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                                          23.12.18 埼玉県新座市

  歳末になりました。一年を振り返るにも、今年は三月十一日の大震災のことがまだ日常の問題として我が国全体の課題として目の前に続いており、九ヶ月以上前の事柄が、思い出すという遠さにならないことがまことに珍しい年の暮れです。

  ここに漱石の七律を挙げるのは、その震災のあった直後三月十七日の回に御紹介したのが漱石の古詩「春興」詩だったことを、これは思い出したからです。

      
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                                          23.12.18 埼玉県新座市

    鳥の声がのどかに聞こえるここは、人も静閑にあるのがふさわしい。
    ひっそりした部屋には、ひとくゆりの香の煙が流れ来るばかり。

      
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  のどかな鳥の声が聞こえることで、しんとしたあたりの静けさがわかります。この静けさに人も調和するべきであろうと詩人は感じます。そんな室内に、薫ってくる香の煙がゆるやかにうごくのが目に見えるような、閑寂な詩の結びです。

  大正五年九月一日の作です。この頃漱石は最後の作品になる「明暗」の執筆中でした。合間に心慰みに俳句や詩を詠んでいたようです。同じ日に芥川龍之介・久米正雄に宛てた書簡に「(略)僕は俳句といふものに熱心が足りないので時々義務的に作ると、十八世紀以上には出られません。時々午後に七律を一首づゝ作ります。自分では中々面白い、さうして随分得意です。出来た時は嬉しいです」とあります。

     
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                                           23.12.3 東京都清瀬市

  明治の文豪として並べられる鴎外と、その個性の違いを端的に際立たせるものが俳句であろうと思われます。漱石は俳人でしたが鴎外は自分は俳句は出来ないと述べて、実際ほとんど作を残しませんでした。その漱石も、晩年に自分の俳句をそのように評していたことは興味深いことです。詩作を好んだことはよく知られるとおりですが、実はこの書簡で私がもっとも注目するのは最後の一文、その文末「嬉しいです」という表現です。

      
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  丁寧語の「です」は「だ」を丁寧に、あるいは口語的にした表現です。遡れば、意味は断定の助動詞「なり=デアル」でありましょうから、名詞や形容動詞(=抽象名詞+断定の助動詞)の語幹には自然に接続します。「(歳末)です」「(静か)です」などが自然に通るのはそれで納得がゆきます。しかし、形容詞にはいかが。「(おもしろい)です」「(うれしい)です」などは正しい語法ではないのではないかと常々疑っていました。形式的には連体形であれば理屈は通ります。「(おもしろい+こと)です」などと。とすると、「(おもしろい)です」「(うれしい)です」の形容詞はそのあとの名詞を省略した連体形なのでしょうか。いずれにせよこの形は変則だ、とそんなことを折々考えていました。大正五年に、しかも夏目漱石の用語にこの「嬉しいです」があったことは、ちょっとした驚きでした。形容詞に「です」が直結する問題は江戸末の国語の実体からよく調べる必要がありそうです。

      
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                                           23.12.17 東京都清瀬市

  胃病が宿痾であった漱石は、この詩の三ヵ月後、同年十二月、帰らぬ人になりました。「明暗」は未完の遺作になりました。




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