2011年1月 1日

第1回 正月:鬼才李賀

第1回【目次】            
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  *漢詩
  *みやとひたち


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   上樓迎春新春歸
   暗黄著柳宮漏遅

    樓(らう)に上(のぼ)りて春を迎ふれば 新春は歸(かへ)る。
    暗黄(あんくわう)柳に著(つ)き 宮漏(きゆうろう)遅し。 

       暗黄:やや暗い黄色の色調。柳の新芽の鶯色を指す。
       宮漏:宮中の水時計。ここでは時間の過ぎゆくことの暗喩。

    高殿にのぼって春を迎えると、新しい春は帰ってきた。
    鶯色の新芽が柳の枝の先につき、時の流れはゆるやかだ。

  詩は唐の李賀(りが:791〜817)の七言律詩「正月」。穏やかな新春の趣きを歌い出す冒頭の二句です。新春が「帰る」というのは、季節を循環するものと考えるところから来る表現です。我が国の歌に「あらたまの年たちかへる」などと歌われるのも同じ時間観念に基づいています。

   
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  李賀の時代から二百年を経て、宋代の「南部新書」という随筆集に「李白を天才絶(最高の天才)と為(な)す。白居易を人才絶と為す。李賀を鬼才絶と為す。」と三人の詩人を並べ称讃する記事が現れます。「鬼才」という言葉はここで初めて使われた言葉です。

  この「鬼」とはもちろん日本語のオニの意味ではなく、霊界のものを指す「鬼」です。死者や亡霊などにも言い、亡くなることを「鬼籍に入る」などと使うあの「鬼」です。天才また人才に対して鬼才とはどのようなものかと言えば、幽界霊界超自然の事物によって、神秘的なものを表現することの卓越した才能と説明されます。李賀はそうした幻想的なものを歌うことにおいて、比類のない才能を発揮しました。

  
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  鬼才とはここから始まった言葉で、中国では李賀を言うために用いられ、これで他の詩人を形容することはありません。この正月詩の冒頭二句ではその鬼気迫る神秘の性格はよく分からないかも知れません。まことにゆったりと穏やかな春の始まりです。しかし、この緩やかな時の流れの中に、人はその心ごころにさまざまなものを見るでしょう。ただ心安らかにその緩やかな歩みを楽しむこともできますし、ここからふと、詩人の魂に誘われて、心ときめく神秘の扉を開く人もあるでしょう。

   
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  鬼才李賀は天賦の才の持ち主にふさわしく、生涯はわずか二十七年でした。きらめく才能の跡は詩に遺っています。詩人とは何と幸せな人種でしょう。

        
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