第24回 微雨螢:眠れない梅雨の夜に
第24回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
23.6.26 東京都清瀬市
眠來就枕未安穩
一點流螢截雨飛
眠来たりて枕に就(つ)くも 未(いま)だ安穏ならず
一点の流螢(りうけい) 雨を截(た)ちて飛ぶ
23.6.25 東京都清瀬市
詩は尾藤二州(1745〜1813)の七言絶句「偶作 五月十八日夜」から後半の二句です。文例のページに詩の全文を挙げてあります。
23.6.25 東京都清瀬市
一緒に飲んだ客は帰り、油を注さないままでいて燭台の火も微かになって来ました。簾をやや巻き上げて夜の気配を眺めるも、もう何もすることもないと感じる夜です。
眠気がきて横になってはみたものの どうも寝つけない
中途半端に捲き上げた簾の下から見える夜の景色に
暗い庭に風に吹かれて行く螢が一つ 雨を断ち切るように飛んでいる
題にある陰暦の日付を今日のカレンダーに重ねて見ると、五月十八日は現在の六月十九日頃になります。梅雨の最中です。
詩人が寝つけないのは時節のせいとは限りません。今年のように梅雨時から熱帯夜があるような年は稀でしょう。しかし、横になって眠れないでいるうちに、詩人は雨を含むこの空気の重さを感じていたかも知れません。視界には、雨をたち切るように鮮やかな光で飛んでゆく螢。
眠気があって、まだ寝入るに到っていないその弛い意識に、闇の雨中を規則もなく行く澄んだ光は、現実と夢の間に揺蕩(たゆた)う景色です。
23.6.26 東京都清瀬市
前回の友野霞舟の詩もそうでしたが、この時期の雨には螢を詠む詩がよく見られます。そもそも、枯れた草が梅雨の温かい雨で蒸れて、そこから螢は発生するのだという説まであったのですから、螢はこの時期の決まりものではあったのです(連載「みやと探す...」第85回)。
カルガモ子供 23.6.18 東京都清瀬市
詩人尾藤二州は伊予の人。名は孝肇(たかもと)、字は志尹、通称は良佐、別の号に約山と言いました。幕末の異才頼山陽の叔父に当たります。寛政の三博士の一人に数えられる儒学者です。
松平定信の寛政の改革の一つに「寛政異学の禁」(寛政2年 1790)があります。幕府の学問所であった昌平黌(しょうへいこう)では朱子学を正学とし、他の学(異学)の講義を禁じるというものです。その前の時代は、およそ90万の人口が失われたという近世最大の飢饉、天明の飢饉(1782〜1788)による世情の不安定を治めるために、世の中は実学志向に傾かざるを得ない時期が続きました。それによって、本来封建社会を支える理念であった儒学の哲学は衰退し、孔子を祀る湯島聖堂でさえ一時はすっかり寂れました。「異学の禁」は飢饉の手当がようやく終息した時、幕府の考える理想社会の背骨として、改めて強力な朱子学が必要だと考えられた政策でした。
時代に求められて身にふさわしい働きの出来る人は幸せです。尾藤二州は「異学の禁」の発令された翌年1791年に昌平黌の教官となりました。学問の中心地で、その時期の朱子学再興の任を果たした一人です。
23.6.26 東京都清瀬市
政治にも密接であった官学教授の暮らしの中でも、性は世俗を離れる志向にあり、詩を愛した学者として知られます。ことに陶淵明を好んだと伝わるところに人柄を見ることができましょう。
カルガモ親子 子供たちも大きくなりました 23.6.26 東京都清瀬市