第60回 今宵旅宿在詩家:春を送る
第60回【目次】
* 漢詩
* みやとひたち
24.4.29 埼玉県新座市跡見学園女子大学不言亭
送春不用動舟車
唯別残鶯與落花
若使韶光知我意
今宵旅宿在詩家
春を送るに舟車(しゅうしゃ)を動かすことを用ゐず
唯だ残鶯(ざんおう)と落花とに別る
若(も)し韶光(じょうこう)をして我が意を知らしめましかば
今宵(こよい)の旅宿(りょしゅく)は詩(しい)が家に在らまし
※( )内の読み方表記は現代仮名遣い
歴史的仮名遣い表記は漢詩(文例)のページで御覧下さい。
松月 24.4.29 埼玉県新座市跡見学園女子大学
詩は菅原道真(845〜903)の七言絶句「送春」です。
『和漢朗詠集』はこの詩を前後二つに分けて「三月尽」の題に収めています。
「三月尽」とは陰暦三月が尽きる日、三月の最終日を言います。陰暦三月は春三箇月の最後の月。その最終日であれば、この日は春の末日になるわけです。漢文の世界では、過ぎゆく春を哀惜する気持ちを込めて「三月尽(さんがつじん)」という題が詩の定番になっています。
玖島 24.4.29 埼玉県新座市跡見学園女子大学
春を送るのに舟や車の乗り物を動かす必要はない。ただ晩春の鶯が行き、花が散ることを見届けて、春に別れるのだ。詩はこのように始まります。
「韶光」は春の穏やかな光のこと。その春の光に、もし別れを惜しむ私の思いを知らせることができたなら、春の尽きる今宵、旅の宿りには私の家を選んでくれるのだろうが(春にこの思いを知らせる術もなく、春はただ過ぎて行く)。
兼六園菊桜 24.4.29 埼玉県新座市跡見学園女子大学
詩は春という季節を擬人化し、季節を旅人であるかのように歌っています。これは外国の詩にも見る比喩ではありますが、四季に恵まれ、季節の移り変わりの中に生活を営んで日々を送り、一生を送る、私たち日本人にはことに、おのずから抱く季節への親愛感をごく素直に表現する方法であったと言えます。
梅護寺数珠懸桜 24.4.29 埼玉県新座市跡見学園女子大学
三月尽、春の尽きる夜、もし春を惜しむ詩人の心を知らせることができたなら、旅行く春は最後の宿には詩人の家に立ち寄ってくれるだろうに。
これは、明らかに事実に反する内容(ここでは、「春」に詩人の胸中を知らせるということ)をあえて仮定して、それに基づいた想像を述べる、「反実仮想」という修辞です。「もしも(事実とは違って)○○であったなら、(現状とは違う結果の)△△であっただろうに」という表現になります。「もしあと三十分早く起きていたなら、遅刻はしなかっただろうに」といったような。
24.4.29 埼玉県新座市跡見学園女子大学
この「反実仮想」の文の肝(きも)は、表現の「裏」あるいは「対偶」です。「もしあと三十分早く起きていたなら、遅刻はしなかっただろうに」が意味するものは、「起きた時刻が遅かったので遅刻してしまった」という現実です。すでに成立している動かない現実を前にして、なおこれではない結果を想定するところに、この表現法は展開されるのです。「反実仮想」で表される内容に、後悔や実現されなかった願望が扱われることが多いのはもっともなことでしょう。こうした内容の場合、あえて事実に反する内容を仮定してまで眼前の現実とは異なる結果を思い描くのは、認めたくない現実に対する慨嘆の深さの表れです。
関山 24.4.29 埼玉県新座市跡見学園女子大学
この詩の場合も、実際は詩人の愛惜の情を春に伝えることはできず、春は詩人を顧みることなくただ過ぎて行くのだ、という嘆きこそが、詩の本旨でありましょう。
ヒメリンゴ 24.4.18 東京都清瀬市
さて、陰暦の習慣に言う三月尽は今年の現行暦に重ねて見ますと、この五月の四日になります。関東では遅い桜もさすがに終わり、落花をもって春と別れるとするこの「送春」詩の趣が実感される景色です。翌五月五日が立夏。自然界は大きく次のページを開こうとしております。
24.4.28 東京都清瀬市