2012年3月14日

第54回 晩來何者敲門至:それは私


第54回【目次】         
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    * 漢詩
    * みやとひたち




      
0316紅梅5772.jpg                                       紅梅 24.3.16 東京都清瀬市

     菘圃蔥畦取路斜
     桃花多處是君家
     晩來何者敲門至
     雨與詩人與落花

      菘圃(しゅうほ)葱畦(そうけい)
               路(みち)を取ること斜(ななめ)に
      桃花多き処是(こ)れ君が家
      晩来(ばんらい)何者ぞ門を敲(たた)き至るは
      雨と詩人と落花となり

      
0311枝垂れ梅5477.jpg                                      枝垂れ梅 24.3.11 東京都清瀬市

  詩は江戸後期の儒学者 廣瀬旭荘(ひろせ きょくそう)の七言絶句「春雨到筆庵(しゅんう ひつあんにいたる)」です。

     菘(とうな)の圃(たはけ)、葱(ねぎ)の畦(うね)の中の
                              斜めに行く路
     桃の花がいっぱいに咲いている処(ところ)が君の家
     夕暮れ時に門を敲いて訪ねてくるのは誰
     雨か詩人か散る花のどれか

      
0306メジロ4576.jpg                                     梅にメジロ 24.3.6 東京都清瀬市


  題の「筆庵」とは詩の第二句に「君が家」とある場所を指すと(従って友人の号かとも)思われますが、誰の住まいでどこにあったかなど具体的なことはわかりません。そこは菘(とうな)を作り葱を植える鄙(ひな)びた風景の中を斜めに辿ってゆく路の先にあります。桃の花は辺り一面に見えますが、とりわけ多い所が「君の家」すなわち筆庵です。

       
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  「晩来(ばんらい)」は夕暮れ時。「何者敲門至(何者ぞ門を敲(たた)き至るは)」は倒置表現で、門を敲いて筆庵に至る者は何者か、という意味です。この問いに、末句は答えになっているはずですが、「雨と詩人と落花となり」は三者を挙げて、単純にそのすべてをこの問の答えとしているのでしょうか。

       
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  そもそもこの詩は「春雨(の折)筆庵に至る」という題です。春雨は降っています。桃の花がいっぱいに咲いています。そして雨の中、満開の桃を目に入れながら、菘(とうな)や葱の畑の中の路を斜めに渡ってこの筆庵を指して行った人がいる。すなわち末句の「雨と詩人と落花」とはこの夕暮れに「君が家」筆庵に「至った」ものみなを挙げているのです。

  この第三句が問いかけの形になっていることに意味があるとすれば、その「雨と詩人と落花」の中で、敢えて一人、「"門を敲い"て君の家を訪ねたのは だあれ。」という、お茶目ななぞなぞの趣きなのであろうと思われます。
  とすると、このなぞなぞ、答えはもちろん「詩人」、作者自身です。春の、おそらく細かく温かい雨が降る中、「君が家」のあたりの満開の桃の花が、雨のためというより時期が来て、溢れ散る、その夕暮れ、菘(とうな)や葱の畑を斜めに渡る田舎道を作者は友人の筆庵を訪ねて行ったのです。

  問題「この夕暮れ、君の家の門を敲いて訪ねてくるのはだあれだ。
     雨か詩人か散る花のどれか」
  答「それは詩人 私です」

  親しい友に会いに行った時のほのぼのした嬉しさを、優しい雨、畑の作物、華やかな落花と、季節の風景をさりげなく写しながらユーモラスに詠ったものと思われます。

       
0303紅梅4237.jpg                                       紅梅 24.3.3 東京都清瀬市

  「門を敲く」という表現は唐の詩人賈島(かとう)と韓愈(かんゆ)の「推敲」の故事で印象に刻まれた言葉です。科挙の受験で長安の都に出てきたばかりであった賈島は詩作の中で、月の夜に知人を訪問する僧が「門を推す」のか「門を敲く」のか、どちらがよいかを迷っていました。考えに熱中して呆然と乗っている驢馬を歩ませていた賈島は、往来で都の長官である韓愈に衝突してしまいます。事情を聴いた韓愈はその無礼を咎めることなく、詩作を助けて「敲」がよいと薦めたという逸話で、文人の小伝や"ちょっと良い話"を集めた『唐詩紀事』という書物に伝わっています。地方から上京してきた一受験生が都内幹線道路で脇見運転の結果、石原都知事の車にいきなりぶつけてしまった、として、はたして文人石原慎太郎氏はどうなさるか。

  さて、動詞「たたく」は本来音を伴う動作です。「推敲」の故事で韓愈が「敲」を薦めたのも、静かな月の夜の詩に音声要素が有効に響くと察知する詩人の感性でした。この「春雨到筆庵」詩において門を「敲く」という動作が述語になりうるのは「雨・詩人・落花」の中ではこの場合詩人だけです。
  蛇足ながら、春雨は静かに辺りを濡らすもの、音立てて降る雨ではありません。落花にももちろん音はありません。

       
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  作者広瀬旭荘、名は謙、字(あざな)は吉甫、通称を謙吉。豊後国(現大分県)日田の人です。やはり漢学者で詩人でもあった廣瀬淡窓の末弟(八男)にあたります。幼少期から抜きんでて聡明な末子に父は兄淡窓の養子となることを勧め、それに従って十六歳の時に学者淡窓の養子となって勉学に専念しました。慈しみ深い兄で養父でもある淡窓の感化は大きかったと思われますが、詩風は異なり、淡窓が平明閑雅な作風であったのに対して旭荘は才気をつつまない理智的な詩風で知られます。中国の文学界にも評価があり、清末の考証学者で詩人の兪樾(ゆえつ、1821〜1907)は旭荘の詩の技倆を「変幻百出」とし、「東国詩人の冠」と絶賛しました。

       
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