2008年2月 1日

南谷の誕生日

2月になりました。2月1日といえば・・・そう、私の父親、比田井南谷の誕生日です。1912年生まれだから、生きていれば96歳。

本人はもういないけど、宴会大好きの私たちは、何はさておきお祝いに駆けつけるのです♪

 

論語.jpgこれは、南谷41歳のときの作品です。書いてあるのは『論語』。

師曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従いて矩をこえず。

論語原本.jpg

この作品、実は、呉大澂の書『篆文論語』を参考にしています。

篆書を散らし書き風にしちゃうなんて、怒る人もいるかもしれませんが、そんなこと、知ったこっちゃないんです。

なんせ、電のヴァリエーションを書いた人ですからね。

他人の思惑をまったく気にしない人でした。

書学院出版部の時代、みんなで多胡碑を見に行くことになり、群馬県にお住まいだった故、黒沢春来先生がすべて準備をしてくださいました。

ご老公も参加してくださることになり、みんなうきうき。

でも、前の日、南谷は仕事に夢中で、アトリエに資料を広げていたので、怪しいなーとは思っていたのです。

で、当日の朝、「おなかが痛い」。やっぱりかー。

しょーがないから、父をおいて出かけましたよ、私たち。

黒沢先生が宴会を開いてくださり、主賓挨拶はご老公にお願いし、もーたいへん。

一泊して、家に帰ったら、案の定、南谷は夢中で仕事をしていました。腹痛はすぐになおったらしい。

母の法事のときも、おなかが痛いと言って欠席し、帰ったら夢中で仕事をしていた・・・。

まあ、今日は、そんな話題で盛り上がるでしょう。 

 

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