南谷の誕生日
2月になりました。2月1日といえば・・・そう、私の父親、比田井南谷の誕生日です。1912年生まれだから、生きていれば96歳。
本人はもういないけど、宴会大好きの私たちは、何はさておきお祝いに駆けつけるのです♪
これは、南谷41歳のときの作品です。書いてあるのは『論語』。
師曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従いて矩をこえず。
この作品、実は、呉大澂の書『篆文論語』を参考にしています。
篆書を散らし書き風にしちゃうなんて、怒る人もいるかもしれませんが、そんなこと、知ったこっちゃないんです。
なんせ、電のヴァリエーションを書いた人ですからね。
他人の思惑をまったく気にしない人でした。
書学院出版部の時代、みんなで多胡碑を見に行くことになり、群馬県にお住まいだった故、黒沢春来先生がすべて準備をしてくださいました。
ご老公も参加してくださることになり、みんなうきうき。
でも、前の日、南谷は仕事に夢中で、アトリエに資料を広げていたので、怪しいなーとは思っていたのです。
で、当日の朝、「おなかが痛い」。やっぱりかー。
しょーがないから、父をおいて出かけましたよ、私たち。
黒沢先生が宴会を開いてくださり、主賓挨拶はご老公にお願いし、もーたいへん。
一泊して、家に帰ったら、案の定、南谷は夢中で仕事をしていました。腹痛はすぐになおったらしい。
母の法事のときも、おなかが痛いと言って欠席し、帰ったら夢中で仕事をしていた・・・。
まあ、今日は、そんな話題で盛り上がるでしょう。
一つ前の記事へ
一つ前の「日記」へ