第57回 美しき五月:立夏 新緑 青葉 ほととぎす
第57回【目次】
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 訳詩・近現代詩
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
21.4.22 東京都清瀬市
1 美しき五月
たへにうるはし月皐月(さつき)
すべてのつぼみ開くとき
わがこころには 恋咲きぬ
たへにうるはし月皐月
すべての鳥の歌ふとき
我は告げたりわが想ひ
ハインリッヒ・ハイネ「詩人の恋」より
(現代語訳詩) 植村敏夫
美しき五月よ
全ての蕾が花開くその時
私の心にも
恋が花咲くのだ
美しき五月よ
小鳥たちが歌い出すその時
私も乙女にうち明ける
私のあこがれと願いとを
シューマンが曲を付け、ドイツ歌曲の代表曲の一つになった詩です。日本より厳しい冬を経て迎えるドイツの5月は、わが国の5月とは厳密には違う趣の初夏に違いありませんが、5月という響きにはいずれにも明るく爽かな心地よさがあります。
「すべての鳥が歌う五月」、まさしく野鳥の囀りは際だって賑やかですが、それは自然界に結婚のシーズンが訪れているからです。5月の光のもと、さまざまの花の開く中で、ハイネが歌うように、人が恋をしてその心を告げるというのも、大きな自然の営みのうちの一こまなのかもしれません。
21.4.4 東京都清瀬市
2 立夏
新緑の美しい季節になりました。二十四節気でいう立夏がこのころです。現行暦では今年は5月5日がその日に当たります。現代では5月が爽やかな初夏の印象であるのに対して、陰暦では夏の初めは卯月四月からになります(現行暦の5月1日は陰暦に直すとまだ4月7日です)。伝統的な季節感を挙げれば、「卯の花のにほふ垣根に時鳥はやも来鳴きて」夏の到来を告げるということになりましょう。この唱歌「夏は来ぬ」が、今日古典のすぐれた教材であることは以前の回にお話ししたとおりです( 連載第10回 夏は来ぬ )。世が変わり、身の回りの自然が変わっても、歌に伝統を引き継ぎ、引き継がれる言葉で故人と感情を共有できるのは幸せです。
立夏の頃は農期の始まりでもあります。年ごとに、時鳥の声に農作を促されるというのは生活の実感であったと想像されます。青葉、時鳥はこの季節を象徴するものとして古くから詩歌に詠まれました。
そういえば、爽やかな初夏の季節を告げる鳥、さまざまの花が開く明るい季節の到来を象徴するとされながら、時鳥自身の声は明るく楽しい歌に聞かれることは古代からなかったようです。
時鳥は雀や燕などに比べれば体の大きな野鳥で、声も大きく、可憐さはないこと。夏は夏でも梅雨時や酷暑の時期の鳥としてより親しまれたこと、また、夜更けをはじめ暗い時によく鳴くことなどから、快活な印象にならなかったのは自然かも知れません。夜更けや明け方、それも雨の夜などに、もの思いで眠れない人がそれをしみじみ聞くといった歌が『万葉集』に見え、後世の歌にまず影響を及ぼしました。また、大きな声で叫ぶように鳴き、囀る口の中が赤く見えることから、「鳴いて血を吐く」とたとえられ、文学作品には悲痛を叫ぶ場面にこの鳥がよく配されました。南朝の忠臣楠木正成・正行(くすのきまさしげ・まさつら)親子の別れを歌った明治の中期の落合直文の作「青葉繁れる桜井の」や、大阪城落城の折の豊臣家の忠臣片桐且元の奮闘を描く坪内逍遙の歌舞伎台本「沓手鳥孤城落月( ほととぎすこじょうのらくげつ)」などがわかりやすい例です。
人の勝手な性格付けに遭って、近世以降はことに悲劇の鳥のような趣も強くなってしまったのは、時鳥には迷惑なことでしょう。歌は無骨でも、時鳥にもたのしい五月は訪れているのです。
21.4.22 東京都清瀬市
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 訳詩・近現代詩
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
21.4.22 東京都清瀬市
1 美しき五月
たへにうるはし月皐月(さつき)
すべてのつぼみ開くとき
わがこころには 恋咲きぬ
たへにうるはし月皐月
すべての鳥の歌ふとき
我は告げたりわが想ひ
ハインリッヒ・ハイネ「詩人の恋」より
(現代語訳詩) 植村敏夫
美しき五月よ
全ての蕾が花開くその時
私の心にも
恋が花咲くのだ
美しき五月よ
小鳥たちが歌い出すその時
私も乙女にうち明ける
私のあこがれと願いとを
シューマンが曲を付け、ドイツ歌曲の代表曲の一つになった詩です。日本より厳しい冬を経て迎えるドイツの5月は、わが国の5月とは厳密には違う趣の初夏に違いありませんが、5月という響きにはいずれにも明るく爽かな心地よさがあります。
「すべての鳥が歌う五月」、まさしく野鳥の囀りは際だって賑やかですが、それは自然界に結婚のシーズンが訪れているからです。5月の光のもと、さまざまの花の開く中で、ハイネが歌うように、人が恋をしてその心を告げるというのも、大きな自然の営みのうちの一こまなのかもしれません。
21.4.4 東京都清瀬市
2 立夏
新緑の美しい季節になりました。二十四節気でいう立夏がこのころです。現行暦では今年は5月5日がその日に当たります。現代では5月が爽やかな初夏の印象であるのに対して、陰暦では夏の初めは卯月四月からになります(現行暦の5月1日は陰暦に直すとまだ4月7日です)。伝統的な季節感を挙げれば、「卯の花のにほふ垣根に時鳥はやも来鳴きて」夏の到来を告げるということになりましょう。この唱歌「夏は来ぬ」が、今日古典のすぐれた教材であることは以前の回にお話ししたとおりです( 連載第10回 夏は来ぬ )。世が変わり、身の回りの自然が変わっても、歌に伝統を引き継ぎ、引き継がれる言葉で故人と感情を共有できるのは幸せです。
立夏の頃は農期の始まりでもあります。年ごとに、時鳥の声に農作を促されるというのは生活の実感であったと想像されます。青葉、時鳥はこの季節を象徴するものとして古くから詩歌に詠まれました。
そういえば、爽やかな初夏の季節を告げる鳥、さまざまの花が開く明るい季節の到来を象徴するとされながら、時鳥自身の声は明るく楽しい歌に聞かれることは古代からなかったようです。
時鳥は雀や燕などに比べれば体の大きな野鳥で、声も大きく、可憐さはないこと。夏は夏でも梅雨時や酷暑の時期の鳥としてより親しまれたこと、また、夜更けをはじめ暗い時によく鳴くことなどから、快活な印象にならなかったのは自然かも知れません。夜更けや明け方、それも雨の夜などに、もの思いで眠れない人がそれをしみじみ聞くといった歌が『万葉集』に見え、後世の歌にまず影響を及ぼしました。また、大きな声で叫ぶように鳴き、囀る口の中が赤く見えることから、「鳴いて血を吐く」とたとえられ、文学作品には悲痛を叫ぶ場面にこの鳥がよく配されました。南朝の忠臣楠木正成・正行(くすのきまさしげ・まさつら)親子の別れを歌った明治の中期の落合直文の作「青葉繁れる桜井の」や、大阪城落城の折の豊臣家の忠臣片桐且元の奮闘を描く坪内逍遙の歌舞伎台本「沓手鳥孤城落月( ほととぎすこじょうのらくげつ)」などがわかりやすい例です。
人の勝手な性格付けに遭って、近世以降はことに悲劇の鳥のような趣も強くなってしまったのは、時鳥には迷惑なことでしょう。歌は無骨でも、時鳥にもたのしい五月は訪れているのです。
21.4.22 東京都清瀬市
【文例】 漢文へ