第73回 年の初め:恭頌新禧 祝歌 朝日
第73回【目次】
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
虎の姿のような東雲を従えた今年の初日 22.1.1 東京都清瀬市
このたびは、新年にちなみ、祝歌と太陽の歌を御紹介します。和歌には、見慣れた短歌とは歌体の異なる古代歌謡の、神楽歌、催馬楽などからも、おめでたい場にふさわしい内容の歌を選びました。漢字表記と両様で楽しんで頂けると幸いです。
:元旦雑記:
散歩人の夫の勧めもあり、初日の出を拝みに出かけました。1月1日の東京都の日の出はおよそ6時50分。その日の出をよい位置で見るために、この辺りの住人は柳瀬川沿いを下流に3㎞ほど歩いて古い城址の高台を目指します。私も6時過ぎに家を出ました。
暮れからまた急に冷えて、この朝の東京都の最低気温は報道に拠ればマイナス4度C。この辺りはそれより少しいつも暖かいのですが、それでもこの朝は氷点下の気温になりました。寒がりで怠け者の私は、特別な用事がなければ決してこのような時に外には出ません。ダウンに大判のストールで襟元もモコモコの重装備で出かけました。
それなのに、外には人の多いこと。いかにも御来光を目指すと見える人もいますが、日の出のスポットに向かう私がすれ違うのは、みな通常のお散歩なのでしょう。白い息を吐きながらランニングしている人までいる。まだ日の出前なのに。元日なのに。
川を見下ろす廻廊のような道を歩いて行くと、自分の呼吸で湿る顔回りが寒い!と、見ると、我が家の庭の常連のひとり、アメショ柄の渦巻き模様がきれいな ウズちゃんが道の端から川を眺めています。早朝からこんなところまで出かけて来ていたとは意外でした。写真を撮ろうとカメラに手を掛けましたが、かじかんでいて指先が不自由。もたもたしている間に小走りで行ってしまいました。ウズちゃんがのぞき込んでいた柳瀬川の河原は霜で真っ白です。そこを素足でニコニ コ散歩して来る犬の気が知れません。まして早朝から平然と水に浸かっている鷺や鴨は寒くないのでしょうか。
22.1.1 東京都清瀬市柳瀬川
出逢う猫や散歩の犬と遊び、鳥や川に見える魚の姿などを観察して道草をするのが楽しいことがわかり、途中で日の出を見る目的地点を少し手前に修正しました。
山中ミミちゃん
6時50分と見当をつけていたのですが、刻限を過ぎても日輪は姿を見せません。その頃になると、みな瞬間を待つ心持ちになるのでしょう、あたりの人も足を止めて、見晴らしのよい場所に人が集まります。老若男女、自転車を連ねて来た中学生のグループもいます。こんな何と言うこともない習わしが、淡々と残ってゆくのは面白いことです。
姿はないのに木高い森や鉄塔の先などが陽を受けて光り出しました。どこかに日は出ているけれども私たちには その姿が見えない。ここは浅い盆地になっているのでしょう。天には夜の薄墨色が残り、地に接する四方の空がほんのりと朱のいろに明るんでゆく景色は美しくもおごそかでした。
やがて日が昇り、赤々とした日を拝むと、今年は良いことがありそうな気がしてきます。居合わせた人たちで新年の挨拶を交わして、またそれぞれに別れました。
「袖すり合うも他生の縁」と言う言葉があります。その「他生」とはもちろん前世を意味します。袖が触れるくらいの、たまたますれ違ったという程度の出会いでさえ、この世で出会えるのは前世からの縁である、ということなのでしょう。名前も知らない人たち、普段は関心のないチワワだのマルチーズだのの散歩犬 も、一緒に初日を拝んだともなれば、前世の縁は浅くないのかもしれません。
すっかり明けて、出かけた時よりは暖かい朝を帰って来ると、家ではみやとひたちがまだ爆睡中でした。日付一日変わっただけで、何事も新しく改まって見える一方、何も変わらない、一日一日は同じ重さで繰り返されてゆくというのも事実です。
22.1.1 東京都清瀬市
「招福饅頭」(新潟市の菓子舗「貴餅」製 縁起菓子)と。
皆さまにも よいことが たくさんありますように。
21.10.18 東京都清瀬市
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
虎の姿のような東雲を従えた今年の初日 22.1.1 東京都清瀬市
このたびは、新年にちなみ、祝歌と太陽の歌を御紹介します。和歌には、見慣れた短歌とは歌体の異なる古代歌謡の、神楽歌、催馬楽などからも、おめでたい場にふさわしい内容の歌を選びました。漢字表記と両様で楽しんで頂けると幸いです。
:元旦雑記:
散歩人の夫の勧めもあり、初日の出を拝みに出かけました。1月1日の東京都の日の出はおよそ6時50分。その日の出をよい位置で見るために、この辺りの住人は柳瀬川沿いを下流に3㎞ほど歩いて古い城址の高台を目指します。私も6時過ぎに家を出ました。
暮れからまた急に冷えて、この朝の東京都の最低気温は報道に拠ればマイナス4度C。この辺りはそれより少しいつも暖かいのですが、それでもこの朝は氷点下の気温になりました。寒がりで怠け者の私は、特別な用事がなければ決してこのような時に外には出ません。ダウンに大判のストールで襟元もモコモコの重装備で出かけました。
それなのに、外には人の多いこと。いかにも御来光を目指すと見える人もいますが、日の出のスポットに向かう私がすれ違うのは、みな通常のお散歩なのでしょう。白い息を吐きながらランニングしている人までいる。まだ日の出前なのに。元日なのに。
川を見下ろす廻廊のような道を歩いて行くと、自分の呼吸で湿る顔回りが寒い!と、見ると、我が家の庭の常連のひとり、アメショ柄の渦巻き模様がきれいな ウズちゃんが道の端から川を眺めています。早朝からこんなところまで出かけて来ていたとは意外でした。写真を撮ろうとカメラに手を掛けましたが、かじかんでいて指先が不自由。もたもたしている間に小走りで行ってしまいました。ウズちゃんがのぞき込んでいた柳瀬川の河原は霜で真っ白です。そこを素足でニコニ コ散歩して来る犬の気が知れません。まして早朝から平然と水に浸かっている鷺や鴨は寒くないのでしょうか。
22.1.1 東京都清瀬市柳瀬川
出逢う猫や散歩の犬と遊び、鳥や川に見える魚の姿などを観察して道草をするのが楽しいことがわかり、途中で日の出を見る目的地点を少し手前に修正しました。
山中ミミちゃん
6時50分と見当をつけていたのですが、刻限を過ぎても日輪は姿を見せません。その頃になると、みな瞬間を待つ心持ちになるのでしょう、あたりの人も足を止めて、見晴らしのよい場所に人が集まります。老若男女、自転車を連ねて来た中学生のグループもいます。こんな何と言うこともない習わしが、淡々と残ってゆくのは面白いことです。
姿はないのに木高い森や鉄塔の先などが陽を受けて光り出しました。どこかに日は出ているけれども私たちには その姿が見えない。ここは浅い盆地になっているのでしょう。天には夜の薄墨色が残り、地に接する四方の空がほんのりと朱のいろに明るんでゆく景色は美しくもおごそかでした。
やがて日が昇り、赤々とした日を拝むと、今年は良いことがありそうな気がしてきます。居合わせた人たちで新年の挨拶を交わして、またそれぞれに別れました。
「袖すり合うも他生の縁」と言う言葉があります。その「他生」とはもちろん前世を意味します。袖が触れるくらいの、たまたますれ違ったという程度の出会いでさえ、この世で出会えるのは前世からの縁である、ということなのでしょう。名前も知らない人たち、普段は関心のないチワワだのマルチーズだのの散歩犬 も、一緒に初日を拝んだともなれば、前世の縁は浅くないのかもしれません。
すっかり明けて、出かけた時よりは暖かい朝を帰って来ると、家ではみやとひたちがまだ爆睡中でした。日付一日変わっただけで、何事も新しく改まって見える一方、何も変わらない、一日一日は同じ重さで繰り返されてゆくというのも事実です。
22.1.1 東京都清瀬市
「招福饅頭」(新潟市の菓子舗「貴餅」製 縁起菓子)と。
皆さまにも よいことが たくさんありますように。
21.10.18 東京都清瀬市
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