2008年12月15日

第48回 時間の感覚:霜・クリスマス・歳末

第48回【目次】
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    *漢文
    * 和歌
    * 近現代詩
    * 唱歌・童謡
    * みやとひたち






第48回 時間の感覚:霜・クリスマス・歳末


1 雪はづかしき

    
tsuk.jpg                                             20.12.15 東京都清瀬市

  12月14日、東京は昼過ぎまで冷たい雨でした。気温の低いまま明けた15日朝、庭は一面の霜でした。陰暦で見れば今こそたしかに霜月ではあります。
  散歩コースの川の堤は両岸見渡す限り白く、雲母を撒いたような表面が、雨後の澄んだ朝日を受けてきらきら光っていました。古典に「雪はづかしき霜」という表現があります。白さにおいて「雪も気が引けるほど真っ白な霜」であることを言いますが、実際の景色にそれを見たのは初めてです。早朝の青空に薄い月が懸かり、川面には立ちのぼる水蒸気がたゆたい、川岸に点々残る紅葉の色とも相俟って、実に幻想的な朝でした。
   
shim.jpg                                          20.12.15 東京都清瀬市柳瀬川堤
   
kaw2.jpg                                           20.12.15 東京都清瀬市柳瀬川
2 歳末

  11月のうちから百貨店のショーウインドーはクリスマスなので油断していましたが、あっという間に師走も半ばを過ぎましたね。聖歌の響きが実をもって聞こえ、胸にしみ入る時期になりました。歳末もすぐそこに迫っています。一年は早いなあと毎年の暮れに思うので、そのように感じることが私の場合はこの時期の季節感になってしまっております。
   
momi.jpg                                              20.12.15 東京都清瀬市


  新年になることを「年(が)たちかへる」と言い慣らわすのは、古代の日本人が時間を循環するものと捉えていたことを伝える表現です。私たちの「時」は暦に従って四季をたどり、一年が終わることは、また新しい振り出しに戻ることと考えました。しかし、まったく同じ時間をふたたびやり直せるものでは勿論なく、人は時を重ねて老いてゆきます。いわば螺旋のコースを辿るように、年々歳々同じ季節の姿を眺めて日々を歩みながら、年の一巡ごとに生き物はひと刻みずつ確実に命の終わりに近づいてゆくものと意識されてきたのです。

  そのように考えると、今日でも、この一年、ひと巡りが終わる歳末の気ぜわしさには、新年を迎える仕度にともなう物理的な忙しさのほかに、知らず知らずにも、命の残りを思ってのせわしなさが添っているような気がします。
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                             20.11.29 東京都清瀬市金山緑地公園

【文例】 唱歌

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