第71回 十二月:師走 勉学 学 試験
第71回【目次】
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 訳詩・近現代詩
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
21.12.2 東京都清瀬市
1師走、師は走る か
12月になりました。陰暦でいう師走(しわす)、俗に「師が走りまわる」ほどせわしいという、一年の締めくくりの時期に入りました。(※「師」の解釈にはいろいろあり、僧侶、祈祷師など、語源説にさまざまあります。)
古代の言葉について、何かと頼りになる万葉仮名ですが、残念ながら「しはす」については『万葉集』にこれを万葉仮名で確実に表記した箇所が見あたりません。しかし、「しわす[しはす]」という言葉は古代からのものと考えられて来ており、『万葉集』でも「十二月」と表記された箇所を「しはす」と読むのが習わしです。
十二月尓者 沫雪零跡 不知可毛
梅花開 含不有而
十二月[しはす]には 沫雪[あわゆき]降ると 知らねかも
梅の花咲く 含[ふふ]めらずして
『万葉集』1648 紀少鹿女郎(きのをしかのいらつめ)
『日本書紀』の訓読でも室町時代の訓で「十有二月」「季冬」をそれぞれ「しはす」と読んでいます。平安末の国語辞書『色葉字類抄』には「十二月」のほかに「臈月」といった表記なども見えますが、読みはどちらも「シハス」です。こうしたことからは、一年の最後の月を呼ぶ名としては「しはす」という呼び名で揺れは無かったということだけはわかります。
それでは、「師走」という表記はいつから使われるようになったのでしょう。
私が見る機会の多い平安朝の物語や日記類の表記には全く使われておりません。平仮名で「しはす」とあるものが多く、あとは「十二月」を習慣的に「しはす」と訓んでいます(この場合はもしかすると「ジュウニグァツ」と訓むものがあるかもしれません)。室町時代の表記も、見られる限りの中に「師走」は見つかりませんでした。『日葡辞書』の記述も「Xiuasu(シワス )十二月」というものです。
こうして見てまいりますと、「師走」の表記は、一年の最後の月を「しはす」と言い習わしてきたこの言葉の歴史から見れば、かなり新しいものと分かります。当て字なのですね。
管見によっても、俳諧では「師走」は普通に見られる表記です。野崎村のお芝居(お染め久松)で有名な浄瑠璃台本『新版歌祭文』にも「師走」で十二月を表す部分があります。およそ元禄時代には「師走」の表記が使われていたということになりましょう。
21.11.29 東京都清瀬市
しかし、もともとあった「しはす」という言葉に「師走」を当てたのは、今日の状況から見てもたいへん見事な当て字でありました。ともかく忙しい感じがこの時期の人の気分にぴったり来るのでしょう。さまざまある語源説も、多くがこの「師走」という当て字に拠って、その由来を考察しているようです。従って、本来の意味に辿り着きにくそうなものが多いのも事実です。
数々の語源説の中に、納得のゆくものにはまだ行き当たりません。やはり「シ・ハス」と分けるのだろう、「ハス」はやはり「果す(はてさせる)」であろうか、というあたりまでは月並みな想像の範囲です。しかし「シ」が分かりません。
面白いと思ったのは、国学者契沖(1640・寛永17〜 1701・元禄14)の説です。契沖は古典研究に厳格な実証的方法をとることを始め、今日では当然の手続きになっている研究の基礎的方法を確立しました。国語学の祖と仰がれる所以です。その説く語源とは「(シハスは)セハシの義」(『万葉代匠記』)。そのものズバリでした。
21.11.23 東京都清瀬市
「しはす」は忙しい、の一言で納得した契沖が寝食を忘れて『万葉集』の校訂に励み、「お染久松」の情話に泣く人々が年末には用事に走り回っていた時代。「しはす」に「師走」と当てて、たちまち定着した江戸時代の気分というものも、今日とあまり変わらないものだったのかもしれません。
21.11.29 東京都清瀬市
さて、江戸以来「師」も走るというこの時期に、教えられる弟子の方はどうかといえば、もちろんいつの時代も誰もが忙しい年末だったに違いありません。ことに現代の事情を観察いたしますと、この師走 12月は、生徒・学生の皆さんにとってこそ、その忙しさは、もうむやみに走り回らなければならないレベルと言えそうです。
類ない不況の年になり、就職難は連日報道されるとおりです。卒業を控えて心安まらない人は例年の比ではありません。そもそもその前には卒業試験が待っています。卒業のため、進学のための論文提出の締め切りも、もう間近です。大学入学センターの入試は年が明ければすぐそこに迫りました。高校受験、大学受験はともかく、最近は、中学・小学校受験も熾烈な競争であると言い、子供の年末年始も様変わりしました。是非はこの際申しませんが、現代の12月というのは、意外に試験勉強に親しい月であるようなのです。漢文世界では冬はそもそも勉学が主題になりやすい時期であります。現代世相も含んで、この度は勉学を扱った詩歌を集めて墨場必携に御紹介しています。
21.11.21 東京都清瀬市
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 訳詩・近現代詩
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
21.12.2 東京都清瀬市
1師走、師は走る か
12月になりました。陰暦でいう師走(しわす)、俗に「師が走りまわる」ほどせわしいという、一年の締めくくりの時期に入りました。(※「師」の解釈にはいろいろあり、僧侶、祈祷師など、語源説にさまざまあります。)
古代の言葉について、何かと頼りになる万葉仮名ですが、残念ながら「しはす」については『万葉集』にこれを万葉仮名で確実に表記した箇所が見あたりません。しかし、「しわす[しはす]」という言葉は古代からのものと考えられて来ており、『万葉集』でも「十二月」と表記された箇所を「しはす」と読むのが習わしです。
十二月尓者 沫雪零跡 不知可毛
梅花開 含不有而
十二月[しはす]には 沫雪[あわゆき]降ると 知らねかも
梅の花咲く 含[ふふ]めらずして
『万葉集』1648 紀少鹿女郎(きのをしかのいらつめ)
『日本書紀』の訓読でも室町時代の訓で「十有二月」「季冬」をそれぞれ「しはす」と読んでいます。平安末の国語辞書『色葉字類抄』には「十二月」のほかに「臈月」といった表記なども見えますが、読みはどちらも「シハス」です。こうしたことからは、一年の最後の月を呼ぶ名としては「しはす」という呼び名で揺れは無かったということだけはわかります。
それでは、「師走」という表記はいつから使われるようになったのでしょう。
私が見る機会の多い平安朝の物語や日記類の表記には全く使われておりません。平仮名で「しはす」とあるものが多く、あとは「十二月」を習慣的に「しはす」と訓んでいます(この場合はもしかすると「ジュウニグァツ」と訓むものがあるかもしれません)。室町時代の表記も、見られる限りの中に「師走」は見つかりませんでした。『日葡辞書』の記述も「Xiuasu(シワス )十二月」というものです。
こうして見てまいりますと、「師走」の表記は、一年の最後の月を「しはす」と言い習わしてきたこの言葉の歴史から見れば、かなり新しいものと分かります。当て字なのですね。
管見によっても、俳諧では「師走」は普通に見られる表記です。野崎村のお芝居(お染め久松)で有名な浄瑠璃台本『新版歌祭文』にも「師走」で十二月を表す部分があります。およそ元禄時代には「師走」の表記が使われていたということになりましょう。
21.11.29 東京都清瀬市
しかし、もともとあった「しはす」という言葉に「師走」を当てたのは、今日の状況から見てもたいへん見事な当て字でありました。ともかく忙しい感じがこの時期の人の気分にぴったり来るのでしょう。さまざまある語源説も、多くがこの「師走」という当て字に拠って、その由来を考察しているようです。従って、本来の意味に辿り着きにくそうなものが多いのも事実です。
数々の語源説の中に、納得のゆくものにはまだ行き当たりません。やはり「シ・ハス」と分けるのだろう、「ハス」はやはり「果す(はてさせる)」であろうか、というあたりまでは月並みな想像の範囲です。しかし「シ」が分かりません。
面白いと思ったのは、国学者契沖(1640・寛永17〜 1701・元禄14)の説です。契沖は古典研究に厳格な実証的方法をとることを始め、今日では当然の手続きになっている研究の基礎的方法を確立しました。国語学の祖と仰がれる所以です。その説く語源とは「(シハスは)セハシの義」(『万葉代匠記』)。そのものズバリでした。
21.11.23 東京都清瀬市
「しはす」は忙しい、の一言で納得した契沖が寝食を忘れて『万葉集』の校訂に励み、「お染久松」の情話に泣く人々が年末には用事に走り回っていた時代。「しはす」に「師走」と当てて、たちまち定着した江戸時代の気分というものも、今日とあまり変わらないものだったのかもしれません。
21.11.29 東京都清瀬市
さて、江戸以来「師」も走るというこの時期に、教えられる弟子の方はどうかといえば、もちろんいつの時代も誰もが忙しい年末だったに違いありません。ことに現代の事情を観察いたしますと、この師走 12月は、生徒・学生の皆さんにとってこそ、その忙しさは、もうむやみに走り回らなければならないレベルと言えそうです。
類ない不況の年になり、就職難は連日報道されるとおりです。卒業を控えて心安まらない人は例年の比ではありません。そもそもその前には卒業試験が待っています。卒業のため、進学のための論文提出の締め切りも、もう間近です。大学入学センターの入試は年が明ければすぐそこに迫りました。高校受験、大学受験はともかく、最近は、中学・小学校受験も熾烈な競争であると言い、子供の年末年始も様変わりしました。是非はこの際申しませんが、現代の12月というのは、意外に試験勉強に親しい月であるようなのです。漢文世界では冬はそもそも勉学が主題になりやすい時期であります。現代世相も含んで、この度は勉学を扱った詩歌を集めて墨場必携に御紹介しています。
21.11.21 東京都清瀬市
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