2008年1月 1日

第25回 明けの春:清新・始まる・かぞえ歌

第26回 【目次】

 

1 ひと夜明くれば

  一つとや ひと夜明くれば
  にぎやかに にぎやかに
  お飾り立てたり 松飾り 松飾り
             (「かぞへ歌」より)

  あけましておめでとうございます。新しいカレンダーに掛け替えてまた一年の始まりです。

  切れ目なく続く時間が大晦日の日付を越えると、それだけで世界が変わったように感じられるのは不思議なことです。このひと夜が明けるということに大きな意味があるのでしょう。昔の人もそこは同じだったようで、数多くの古典作品が、もの皆新しく見えるこの迎春の感動を綴っています。

  『徒然草』19段は四季の移り変わりの妙を綴った段です。初草が萌え出づる頃から述べ始め、季節の推移に従って書き進め、最後に大晦日から新年の朝の様子を語って年を一巡します。その段末、新年の記事を見てみましょう。


  かくて明けゆく空の気色、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへ珍しき心地ぞする。大路のさま、まつ(松)立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
(こうして空けてゆく空の様子は、昨日までとくっきり変わったとは見えないが、見る心には打って変わって新鮮な感じがする。表通りの様子はと言えば、家々が松飾りをずらりと立て渡して、華やかに実に嬉しそうなのもまた新春らしい風情がある。)


  目に映る自然の方は別段「昨日にかはりたり」とは見えないのだけれど、「ひきかへ(打って変わって)」珍しい感じがする。つまり、見る側の心が改まっているのだと、当然のように述べています。

 

  私たちが目にする古典作品の新年は陰暦の新年です。陰暦の日付は今のカレンダーとはひと月以上のズレがあります。

  現行暦では夜の長さがもっとも長いとされる冬至(今冬の日付で言えば12月22日}から約一週間で元旦を迎えますが、陰暦時代は冬至からひと月半ほども過ぎてから新年になります。初日(はつひ)は現在の初日より早く昇り、日の入りも遅くなります。一日の日照時間から見ればすでにかなり明るい時候になっています。早くも梅はほころび始め、春の花の蕾が話題になる頃です。現行暦では「新春」はあくまで形式上のものですが、陰暦時代の元日はごく浅い程度ではあっても春の始まりは現実として目に見え肌に感じられる時期になっていたと言えます。暦が改まってこの時期を迎えた人々には、本当に新しい春が来たと感じられたことでしょう。『新古今和歌集』に仮名序を書いた12世紀の天才歌人摂政藤原良経が、

  冬の夢のおどろきはつるあけぼのに春のうつつのまづ見ゆるかな
 (冬の夢から目を覚ましきって迎えた夜明けの光に、今が春であるという
  現実が確かに見えることですよ)

と新春のときめきを詠むことができたのも、当時の元旦が「春のうつつ(現実)」と言って人が納得する季節であったからこそです。


  このように古典上の「新年」は明らかに現在とは気候が違うのですが、今日の私たちにも実感を以て受け止めることができるのは、明けて年が変わるとそれだけでもの皆が違って見えるという精神の感動です。

  わか水にまなこあらひてうち見ればあたらしからぬものなかりけり
 (新年初めて汲んだ水で眼を洗い、その眼で見れば、新しくないものはない
  のだった)  阪正臣『三拙集』(昭和2年)

 

2 かぞえ歌


  初春の、何ごとも新しく始まるこの時期にちなんで、以前『たびかがみ』(比田井小琴)御紹介の連載で「いろは歌」を取り上げたことがありました。

  周知のとおり、「いろは歌」は47ある仮名文字を一回ずつすべて使って意味の通る歌に仕上げられたものです。成立事情は全く分かりませんが『古今和歌集』ができる10世紀始めにはすでにありました。内容が「大般涅槃経」(だいはつねはんぎょう。4世紀初頭成立)の翻訳だとも言われて、作者は空海であるとか慈鎮であるなど仏教関係者であるとする説が自然に伝承されて参りました。

  同様の歌で「いろは歌」よりやや古いものに「あめつちの歌」と呼ばれるものがあります。

  あめ(天) つち(地) ほし(星) そら(空)
  やま(山) かは(河) みね(峰) たに(谷)
  くも(雲) きり(霧) むろ(室) こけ(苔)
  ひと(人) いぬ(犬) うへ(上) すゑ(末)
  ゆわ(硫黄) さる(猿) おふせよ(生ふせよ)
  えのえを(榎の枝を) なれゐて(馴れゐて)

これも「いろは歌」同様手習い歌として用いられました。こう見ると、始めのあたりは「天地玄黄」で始まる『千字文』を思わせる言葉の並びです。作者は明らかではありませんが、おそらくこれを作る時にその作者の頭にも『千字文』の配列はあったのでしょう。後半ことに終わりの部分は何を意味しているか分かりにくく、これを暗号として詠むミステリー小説もありました。小説の推理ではこの歌は何らかの罪を得て憤死した柿本人麻呂の獄中の作ということでしたが、検証できるものではありません。

  年頭にあたり、始めの一歩として手習いの「あめつちの歌」また、【文例】には各種かぞえ歌も加えて、今年のスタートと致します。

(20.1.1)


   本居宣長自筆短冊
   [釈文]
      年のはじめによめる
     さし出(いづ)る此の日の本のひかりより
     こまもろこしも春をしるらむ
                  宣長

【文例】  漢文・漢詩

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