第90回月:古朗月行 十三夜
第90回【目次】
* 漢詩
* 和歌
* 散文
* 訳詩・近現代詩
* 童謡
* みやとひたち
22.9.22 東京都清瀬市
古朗月行(こらうげつかう・ころうげっこう)
李白 盛唐
小時不識月
呼作白玉盤
又疑瑤台鏡
飛在碧雲端
小時(せうじ)月を識(し)らず、
呼んで白玉(はくぎよく)の盤(はち)と作(な)す。
又た疑ふ瑤台(えうだい)の鏡の、
飛んで碧雲(へきうん)の端に在るかと。
小さい時は月をしらなかった。白い宝玉の皿と呼んだりもした。また、仙女の鏡が空を飛んで、青い雲の端に懸かっているのかと思っていた。
詩仙李白の長詩、楽府の「古朗月行」の一節です。
22.10.2 東京都清瀬市
古今の詩を見わたすと、月は遠い場所や人への思いをかき立てて、懐旧のよすがになることが極めて多いと分かります。それは、月が現在またこの場所を遠く離れた、時間的にも空間的にも超然たる存在だからに違いありません。しかし、この李白の楽府の冒頭に遇って改めて気づくことは、まだ思い出というほどの過去もない、懐かしいものもないごく幼い人間にとっても、月は説明しがたい魅力を持っているという事実です。思い出すと、私も子どもの頃からお月様を見るのに飽きませんでした。人を魅了するこの月の魅力あるいは魔力とは何なのでしょう。
22.10.5 東京都清瀬市
こうして人が月光に魅入られることは、そもそも本能に根ざしているという説もあります。萩原朔太郎〔明治19年(1886)11月1日〜 昭和17年(1942)5月11日〕も青白い月光の夜を印象的に詠んだ詩人でしたが、このように述べています。
月とその月光が、何故にかくも昔から、多くの詩人の心を傷心せ
しめたらうか。思ふにその理由は、月光の青白い光が、メランコリ
ツクな詩的な情緒を、人の心に強く呼び起させることにもよる。だが
もつと本質的な原因は、それが広茫極みなき天の穹窿で、無限の遠方
にあるといふことである。なぜならすべて遠方にある者は、人の心に
一種の憧憬と郷愁を呼び起し、それ自らが抒情詩のセンチメントにな
るからである。しかもそれは、単に遠方にあるばかりではない。いつ
も青白い光を放散して、空の灯火の如く煌々と輝やいてゐるのである。
そこで自分は、生物の不可思議な本能であるところの、向火性といふ
ことに就いて考へてゐる。
月とその月光とが、古来詩人の心を強く捉へ、他の何物にもまして
好個の詩材とされたのは、その夜天の空に輝やく灯火が、人間の向火
性を刺戟し、本能的なリリシズムを詩情させたことは疑ひない。
随筆「月の詩情」(『萩原朔太郎全集 第11巻』筑摩書房)より抜粋
22.10.5 東京都清瀬市
はたして本能のなせるものなのか、否か。夜空に月の美しい季節になりました。一年でもっとも見応えがあるという仲秋の月は今年は9月の22日の月がそれにあたりました。翌日秋分の日は大雨になりましたが、その気配もまだない夜空に明るい大きな月を眺めることができたのは幸せでした。
22.10.5 東京都清瀬市
陰暦八月仲秋の望月を至上の月と見るのは古来の中国の文化に通じますが、日本独自の風習として、仲秋の観月のあとにもう一度、陰暦九月の十三夜を「後の月(のちのつき)」として尊びます。
22.9.15 埼玉県所沢市
十三夜ですから満月ではありません。月が満ちるわずか手前のやや細い月を清楚であると見、清楚をとりわけ価値の高い美と見るのは、我が民俗が受け継いで来た伝統的美意識です。詩歌にも盛んに詠まれました。知られているものでは戦国の武将上杉謙信の詩「九月十三夜」など、北川蓬心斎翁の現代語訳で以前にも御紹介しました(連載第20回「のちの月」)。「後の月」は今年(2010年)の場合10月20日がその日(陰暦9月13日)にあたります。またよいお月見ができますように。
22.9.14 東京都清瀬市
* 漢詩
* 和歌
* 散文
* 訳詩・近現代詩
* 童謡
* みやとひたち
22.9.22 東京都清瀬市
古朗月行(こらうげつかう・ころうげっこう)
李白 盛唐
小時不識月
呼作白玉盤
又疑瑤台鏡
飛在碧雲端
小時(せうじ)月を識(し)らず、
呼んで白玉(はくぎよく)の盤(はち)と作(な)す。
又た疑ふ瑤台(えうだい)の鏡の、
飛んで碧雲(へきうん)の端に在るかと。
小さい時は月をしらなかった。白い宝玉の皿と呼んだりもした。また、仙女の鏡が空を飛んで、青い雲の端に懸かっているのかと思っていた。
詩仙李白の長詩、楽府の「古朗月行」の一節です。
22.10.2 東京都清瀬市
古今の詩を見わたすと、月は遠い場所や人への思いをかき立てて、懐旧のよすがになることが極めて多いと分かります。それは、月が現在またこの場所を遠く離れた、時間的にも空間的にも超然たる存在だからに違いありません。しかし、この李白の楽府の冒頭に遇って改めて気づくことは、まだ思い出というほどの過去もない、懐かしいものもないごく幼い人間にとっても、月は説明しがたい魅力を持っているという事実です。思い出すと、私も子どもの頃からお月様を見るのに飽きませんでした。人を魅了するこの月の魅力あるいは魔力とは何なのでしょう。
22.10.5 東京都清瀬市
こうして人が月光に魅入られることは、そもそも本能に根ざしているという説もあります。萩原朔太郎〔明治19年(1886)11月1日〜 昭和17年(1942)5月11日〕も青白い月光の夜を印象的に詠んだ詩人でしたが、このように述べています。
月とその月光が、何故にかくも昔から、多くの詩人の心を傷心せ
しめたらうか。思ふにその理由は、月光の青白い光が、メランコリ
ツクな詩的な情緒を、人の心に強く呼び起させることにもよる。だが
もつと本質的な原因は、それが広茫極みなき天の穹窿で、無限の遠方
にあるといふことである。なぜならすべて遠方にある者は、人の心に
一種の憧憬と郷愁を呼び起し、それ自らが抒情詩のセンチメントにな
るからである。しかもそれは、単に遠方にあるばかりではない。いつ
も青白い光を放散して、空の灯火の如く煌々と輝やいてゐるのである。
そこで自分は、生物の不可思議な本能であるところの、向火性といふ
ことに就いて考へてゐる。
月とその月光とが、古来詩人の心を強く捉へ、他の何物にもまして
好個の詩材とされたのは、その夜天の空に輝やく灯火が、人間の向火
性を刺戟し、本能的なリリシズムを詩情させたことは疑ひない。
随筆「月の詩情」(『萩原朔太郎全集 第11巻』筑摩書房)より抜粋
22.10.5 東京都清瀬市
はたして本能のなせるものなのか、否か。夜空に月の美しい季節になりました。一年でもっとも見応えがあるという仲秋の月は今年は9月の22日の月がそれにあたりました。翌日秋分の日は大雨になりましたが、その気配もまだない夜空に明るい大きな月を眺めることができたのは幸せでした。
22.10.5 東京都清瀬市
陰暦八月仲秋の望月を至上の月と見るのは古来の中国の文化に通じますが、日本独自の風習として、仲秋の観月のあとにもう一度、陰暦九月の十三夜を「後の月(のちのつき)」として尊びます。
22.9.15 埼玉県所沢市
十三夜ですから満月ではありません。月が満ちるわずか手前のやや細い月を清楚であると見、清楚をとりわけ価値の高い美と見るのは、我が民俗が受け継いで来た伝統的美意識です。詩歌にも盛んに詠まれました。知られているものでは戦国の武将上杉謙信の詩「九月十三夜」など、北川蓬心斎翁の現代語訳で以前にも御紹介しました(連載第20回「のちの月」)。「後の月」は今年(2010年)の場合10月20日がその日(陰暦9月13日)にあたります。またよいお月見ができますように。
22.9.14 東京都清瀬市
【文例】 漢詩