2010年5月24日

第82回 小満:なにもかにもが

第82回【目次】          
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    * 和歌
    * みやとひたち



15川.jpg                                           22.5.15 東京都清瀬市
1 小満

  今年はどこまでもすっきりしない天候のまま暦が進んでゆきます。この5月21日あたりが二十四節気でいう「小満(しょうまん)」。「立夏」の次の節気です。


  小さく満ちると書いて「小満」。万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来る頃と言います。天明7年(1787)に出版された暦の解説書『暦便覧』(太玄斎著、国立国会図書館および東京大学が収蔵)には、「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されています。いかにも新緑の季節を思わせる説明と見えます。「小さく満ちる」ですが、万物がそれぞれに満ちると言えば、何という充実でしょう。そこで、このたびは「なにも かにもが」。

      
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    ムクゲが かきねにさいている
    なにやらきらくに にほんごで

    あきちに ポピーがさいている
    ひなたぼっこしながら えいごで

    ポプラが きらめきゆらめいている
    いわしぐものそらに にほんごでえいごで

    バオバブが どっしり立っている
    アフリカのげんちに げんちごで

    小さなタンポポがひとり まいごでいる
    いしだたみのすきまに にほんごで

    などとにほんごしているのは にほんじんのぼく
    ほんとはみんな じぶんごしてるんだ

    なにもかにもが ちきゅうごで
    それともきづかずに うちゅうごを

         「なにも かにもが」まどみちお(「メロンのじかん」より抜粋)

  御覧の通り、この詩はある季節の情景を見たまま切り取って歌うという方法の詩ではありません。取り上げられている材料は、タンポポは春の花、ポピー、ムクゲは夏の花、鰯雲はうろこ雲の仲間、秋の季語と、さまざまの時期から呼び集めていますね。

  ムクゲは朝鮮半島では民族の花として大切にされていると聞きますが、日本でも「ムクゲ」として愛されています。ポピーはひなげしと呼んだりもしますが、昔からの日本の花でないことを何となく承知しながら、もちろん美しいと思って見ています。好き嫌いは何につけてもあるとしても。ポプラは英語、いわしぐもは日本語、そのきらめき明るい景色が一度に目に入る風景は、見方を換えれば日本語と英語の同居する風景です。

      
16つめ草3.jpg                                            22.5.16 東京都清瀬市

  ものにはみな呼び名が付き、その土地の人はその名で呼びます。現代では、行ったことのない土地の、本当には見たことのないものごとの様子も、本で読んだり、映像で見たりすることができて、私たちがそれを知っている気持ちになっているものはたくさんあります。知らない土地の呼び名でですが、それを認知しています。

      
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  ものは言葉で、ということは、ものによっては英語や日本語や韓国語やフランス語やアフリカの諸国の言語でそれを認識しています。コトという単語はもともと事と言と、どちらをも表し、古代では分けることができませんでした。言は事であり、事が言なのでした。たとえば、マコトという言葉は古代では虚言に対する「真実の言葉(言)」を意味しましたが、それが今日では「真実」あるいは「誠意」という抽象的な「事」を意味して普通に使われていることは御存じの通りです。もともと「言」と「事」とを私たちは区別しなかったのです。

  この詩は、ムクゲやポピー、ポプラ、バオバブ、タンポポと、言葉では珍しくない草木、またいわしぐもなどを挙げて、それぞれの輝きは名付けられたそれぞれの国、地域での呼び名(言)とは別に、その存在(事)そのものにまずある、ということを思い出させてくれます。私たちが心を引かれ、見て楽しくなったり、慰められたり、しみじみと深い思いに浸ったりするのは、まず「事」のほうなのでありましょう。今日(こんにち)言葉はそれをよすがにして「事」にたどりつけるからこそ、その「言葉」に歓び悲しみ慰められ感動するのです。それは裏を返せば、同じ「事」をいろいろな土地で、違う「言葉」で呼んでいても、「事」の美しさやはかなさそのものは違わないということでもありましょう。「事」そのものは、そして、すべての「事」は、どういう名で呼ばれるかと言うことも含めて、人の思惑と一切関係なく、厳然と存在しております。

     
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  ものに囚われない詩人まどみちおがやさしい言葉で語るのは、そういったことなのだと思われます。さまざまな国の名前が挙げられ、やがて地球に、最後には宇宙にまで言葉は及びますが、これは近年流行のグローバリズムなどにはまったく沿うものではなく、ましてや、宇宙人指向のH山氏の口走る根無し草思想、「日本列島は日本人のものではない」などといった独り言とは一切関わりのない事柄です。小満の候、「なにもかにも」に満ちるそれぞれの輝きを、私たちがたしかに受け止められますように。

      
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【文例】 和歌

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