第43回 秋の色:「新・秋の七草」・彼岸花・曼珠沙華・コスモス・秋桜・秋草・秋の花
第43回【目次】
第43回 秋の色:「新・秋の七草」・彼岸花・曼珠沙華・コスモス・秋桜・秋草・秋の花
1 新・秋の七草
先回に御紹介した「秋の七草(萩・尾花・葛・撫子・女郎花・藤袴・朝顔)」は『万葉集』の昔から始まって秋の風情を代表してきた七種類の花ですが、こ れとは別の「新・秋の七草」を選ぼうという試みがなされたことがありました。昭和10年(1935)のことです。東京日々新聞社(毎日新聞社の前身)が当 時の著名人七人から一つずつを挙げてもらって「新・秋の七草」を選んだのです。
その顔ぶれは次のとおりです。
葉鶏頭(長谷川時雨)
コスモス(菊池寛)
彼岸花(斉藤茂吉)
赤まんま(高浜虚子)
菊(牧野富太郎)
おしろい花(与謝野晶子)
秋海棠(永井荷風)
選んだ人のキャラクターもよく反映して、なるほどという花が並んでいるように見えます。
葉鶏頭は今日園芸店でアマランサスと呼ばれているあの植物です。花ではなく、彩り美しい葉が売り物です。この植物の古名「かまつか」は清少納言の『枕 草子』にも見えますから、鑑賞の歴史は意外に古いのです。雁が渡って来る頃にちょうど秋の色に姿を変えるので「雁来紅」「雁来黄」などという雅名もありま す。花言葉は何と「心配無用」! アマランサスの花言葉としては「不老不死」というのもあります。
「イソップ物語」にアマランサスに関わる寓話が載っています。美の象徴のような存在であることを羨まれるバラですが、バラ自身は自分の花の時期の短い ことを歎き、アマランサスの永遠に続く若い姿を讃えるというものです。ドイツやオーストリアにある古伝承で「不死の花」と言い伝えられているのもおそらく この植物であると思われます。葉鶏頭(アマランサス)を推薦した長谷川時雨がその類の逸話を承知していたのかどうかは分かりませんが、「美人伝」で知られ た時雨の選択と思うと面白いではありませんか。
また、古来の「秋の七草」が野の花であるのに対して、かなり庭先に近づいた感のある「新・秋の七草」の中で、高浜虚子が赤まんま(イヌタデ)を挙げているのはいかにも俳人の趣味と見えます。
さてこの顔ぶれの中で、この頃の季節、あちらこちらで眼にとまって印象的なものに、斎藤茂吉が選んでいる彼岸花(ヒガンバナ科リコリス属)がありま す。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という呼び名でもお馴染みですね。「歳時記」を紐解くと別名に死人花(しびとばな)とあります。また地方によってさまざま ある異名に、幽霊花、狐の松明(たいまつ)、地獄花、葬式花、墓花、疫病花、毒百合、手腐り花、親殺し、などとすさまじい名前を持っています。ちなみに花 言葉は「悲しい思い出・恐怖・再会・情熱・独立・あきらめ・陽気な気分」と、やはり曰くありげな言葉が並んでいます。
2 彼岸花
GONSHAN. GONSHAN. 何処[どこ]へゆく
赤い、御墓の曼珠沙華[まんじゅしゃげ]
曼珠沙華
けふも手折[たを]りに来たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、 あの児の年の数。
北原白秋「曼珠沙華」より一聯、二聯
彼岸花は根にアルカロイドの一種であるリコリンを含む有毒植物です(洋名リコリス)。間違って口に入れば吐き気を催し下痢をおこします。そこから、ネ ズミなどの獣除けに墓地を囲むように植えることが古くから行われたようです。かつては土葬のままの地域が多かったのです。毒と墓場、おどろおどろしい呼び 名の数々はこうした事に由来するのでしょう。
そうした背景からか、これだけ眼を引く赤い花ですが、江戸時代までは主に本草学の対象であって詩歌の題材にはまずなりませんでした。「新・秋の七草」 の選定に名前の見えている植物学者牧野富太郎は『万葉集』(2480)にある「壱師[いちし]」という植物が彼岸花であるという説を述べていますが、異説 もあります。仮にこれを彼岸花としても、そこでぷっつりと途絶えて近世まで歌には消息がありません。現代からさかのぼって確実なものとしては、江戸時代の 蕪村の俳句が最も古い用例でありましょう。江戸時代には「歳時記」に載る「死人花」が最も広く知られた通り名でした。詩歌の用例はわずかですが、不穏なも のの漂う花として終始しています。明治以降は多くの文学作品に例を見るようになりますが、夏目漱石が、
曼珠沙華 あつけらかんと道の端[はた]
などと詠んでいることに逆説的に現れているように、やはりどこか危険な禍々(まがまが)しい花であるという捉え方で了解されていたようです(『万葉集』の 用例にはこうした陰影がありません。これは、当時の彼岸花に恐怖の印象がたまたまなかったということなのか、あるいは「壱師」が彼岸花ではないことの証左 になるのか、諸説あるようです)。
北原白秋の「曼珠沙華」は、その美しい恐ろしさが存分に発揮された詩です。GONSHAN.とローマ字表記されているのは、白秋の郷里福岡県柳川地方 の方言で、良家の令嬢を指すといいます。播磨(兵庫県)や能登(石川県)の地域で彼岸花を別名「手腐り花」と呼ぶのは、この植物の毒を恐れた呼び名と思わ れますが、白秋詩にはさらりと「けふも手折りに」とあるのが、鮮やかな赤色の印象と相俟ってぞっとする怖さです。
さて、「新・秋の七草」にこの花を挙げた斎藤茂吉自身はこれをどう詠んでいたでしょう。『赤光』には彼岸花(曼珠沙華)の歌が2首があります。
秋のかぜ吹きてゐたれば遠[をち]かたの 薄[すすき]のなかに曼珠沙華赤し
ふた本の松立てりけり 下かげに曼珠沙華赤し 秋かぜが吹き
秋風と赤い花。素直な叙景の歌で、ここにとり立てて不吉な陰影は感じられません。この辺りから次第に花の風情そのものの魅力を取り上げる作品も多くなって来たようです。
彼岸花はいわゆる人里植物といわれ、人の生活圏に限って見られるという類の植物で、人家のない荒野や山奥などに見ることはないとされます。暮らしの周 辺に、以前からいくらも見られた花ですが、この頃は各地にその名所が出来て、この世離れした不思議な赤い世界にひと時誘ってくれます。
20.9.25 埼玉県日高市高麗本郷巾着田
花の見頃は9月中旬から10月始めまで。
花は散らず、色褪せて糸状に枯れる。
11月下旬から2月の下旬からは葉の見頃とのこと。
3 秋桜(コスモス)
「新・秋の七草」で菊池寛が選んだコスモスも、彼岸花とほぼ同じ時期に見頃を迎えます。
コスモスはキク科の植物。原産はメキシコ中央高原。18世紀にスペインの探検隊が種子をヨーロッパに持ち帰りました。我が国に最初に伝えたのは、東京 美術学校(東京芸術大学の前身)に彫刻の教授として明治12年(1876)にイタリアから来日したヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841〜1927)だと 言われています。余談ですが、ラグーザに師事し、後に妻になったラグーザ・玉は、日本最初の女流洋画家(1861〜1939)として知られます。
コスモスという名称はギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」などを表すKosmos またCosmosという単語であると言います。星辰の秩序を指して宇宙をコスモスと呼び、花びらが整然と並ぶ端正な造りをもってこの花をコスモスと呼ぶよ うになったということです。日本でははじめは秋桜(あきざくら)と呼ばれ、詩歌では現在でもその呼び名で用いられることがあります。あえかな細い茎と繊細 な葉、そして澄んだ色合いの花。ひんやりとした秋の風にそよぐ、いかにも清楚なたたずまいは日本人の嗜好に広く合いそうです。「桜」になぞらえられたのが それをよく表しています。しかし、明治以降の登場とあって、詩歌はさほど多くはありません。コスモスの歌の歴史はこれから作られてゆくのでしょう。
二十四節気を眺めると「秋分」の次に来る節気は「寒露(かんろ)」、朝夕の冷気で露が凍るほど寒くなる頃の節気とされています。現行暦では10月8日 頃がそこにあたります。九月の末から肌寒い日が続き、わびしい気分にもなりましたが、時期のことではあります。今年はその歩みが少し早いのかもしれませ ん。
秋ふけてさびしき庭に美しく
いろとりどりのあきざくら咲く 昭和天皇御製
第43回 秋の色:「新・秋の七草」・彼岸花・曼珠沙華・コスモス・秋桜・秋草・秋の花
1 新・秋の七草
萩 20.9.26 東京都清瀬市
先回に御紹介した「秋の七草(萩・尾花・葛・撫子・女郎花・藤袴・朝顔)」は『万葉集』の昔から始まって秋の風情を代表してきた七種類の花ですが、こ れとは別の「新・秋の七草」を選ぼうという試みがなされたことがありました。昭和10年(1935)のことです。東京日々新聞社(毎日新聞社の前身)が当 時の著名人七人から一つずつを挙げてもらって「新・秋の七草」を選んだのです。
その顔ぶれは次のとおりです。
葉鶏頭(長谷川時雨)
コスモス(菊池寛)
彼岸花(斉藤茂吉)
赤まんま(高浜虚子)
菊(牧野富太郎)
おしろい花(与謝野晶子)
秋海棠(永井荷風)
選んだ人のキャラクターもよく反映して、なるほどという花が並んでいるように見えます。
葉鶏頭は今日園芸店でアマランサスと呼ばれているあの植物です。花ではなく、彩り美しい葉が売り物です。この植物の古名「かまつか」は清少納言の『枕 草子』にも見えますから、鑑賞の歴史は意外に古いのです。雁が渡って来る頃にちょうど秋の色に姿を変えるので「雁来紅」「雁来黄」などという雅名もありま す。花言葉は何と「心配無用」! アマランサスの花言葉としては「不老不死」というのもあります。
「イソップ物語」にアマランサスに関わる寓話が載っています。美の象徴のような存在であることを羨まれるバラですが、バラ自身は自分の花の時期の短い ことを歎き、アマランサスの永遠に続く若い姿を讃えるというものです。ドイツやオーストリアにある古伝承で「不死の花」と言い伝えられているのもおそらく この植物であると思われます。葉鶏頭(アマランサス)を推薦した長谷川時雨がその類の逸話を承知していたのかどうかは分かりませんが、「美人伝」で知られ た時雨の選択と思うと面白いではありませんか。
また、古来の「秋の七草」が野の花であるのに対して、かなり庭先に近づいた感のある「新・秋の七草」の中で、高浜虚子が赤まんま(イヌタデ)を挙げているのはいかにも俳人の趣味と見えます。
20.9.20 東京都清瀬市
さてこの顔ぶれの中で、この頃の季節、あちらこちらで眼にとまって印象的なものに、斎藤茂吉が選んでいる彼岸花(ヒガンバナ科リコリス属)がありま す。曼珠沙華(まんじゅしゃげ)という呼び名でもお馴染みですね。「歳時記」を紐解くと別名に死人花(しびとばな)とあります。また地方によってさまざま ある異名に、幽霊花、狐の松明(たいまつ)、地獄花、葬式花、墓花、疫病花、毒百合、手腐り花、親殺し、などとすさまじい名前を持っています。ちなみに花 言葉は「悲しい思い出・恐怖・再会・情熱・独立・あきらめ・陽気な気分」と、やはり曰くありげな言葉が並んでいます。
2 彼岸花
GONSHAN. GONSHAN. 何処[どこ]へゆく
赤い、御墓の曼珠沙華[まんじゅしゃげ]
曼珠沙華
けふも手折[たを]りに来たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、 あの児の年の数。
北原白秋「曼珠沙華」より一聯、二聯
20.9.25 埼玉県日高市高麗本郷巾着田
彼岸花は根にアルカロイドの一種であるリコリンを含む有毒植物です(洋名リコリス)。間違って口に入れば吐き気を催し下痢をおこします。そこから、ネ ズミなどの獣除けに墓地を囲むように植えることが古くから行われたようです。かつては土葬のままの地域が多かったのです。毒と墓場、おどろおどろしい呼び 名の数々はこうした事に由来するのでしょう。
そうした背景からか、これだけ眼を引く赤い花ですが、江戸時代までは主に本草学の対象であって詩歌の題材にはまずなりませんでした。「新・秋の七草」 の選定に名前の見えている植物学者牧野富太郎は『万葉集』(2480)にある「壱師[いちし]」という植物が彼岸花であるという説を述べていますが、異説 もあります。仮にこれを彼岸花としても、そこでぷっつりと途絶えて近世まで歌には消息がありません。現代からさかのぼって確実なものとしては、江戸時代の 蕪村の俳句が最も古い用例でありましょう。江戸時代には「歳時記」に載る「死人花」が最も広く知られた通り名でした。詩歌の用例はわずかですが、不穏なも のの漂う花として終始しています。明治以降は多くの文学作品に例を見るようになりますが、夏目漱石が、
曼珠沙華 あつけらかんと道の端[はた]
などと詠んでいることに逆説的に現れているように、やはりどこか危険な禍々(まがまが)しい花であるという捉え方で了解されていたようです(『万葉集』の 用例にはこうした陰影がありません。これは、当時の彼岸花に恐怖の印象がたまたまなかったということなのか、あるいは「壱師」が彼岸花ではないことの証左 になるのか、諸説あるようです)。
20.9.25 埼玉県日高市高麗本郷巾着田
北原白秋の「曼珠沙華」は、その美しい恐ろしさが存分に発揮された詩です。GONSHAN.とローマ字表記されているのは、白秋の郷里福岡県柳川地方 の方言で、良家の令嬢を指すといいます。播磨(兵庫県)や能登(石川県)の地域で彼岸花を別名「手腐り花」と呼ぶのは、この植物の毒を恐れた呼び名と思わ れますが、白秋詩にはさらりと「けふも手折りに」とあるのが、鮮やかな赤色の印象と相俟ってぞっとする怖さです。
さて、「新・秋の七草」にこの花を挙げた斎藤茂吉自身はこれをどう詠んでいたでしょう。『赤光』には彼岸花(曼珠沙華)の歌が2首があります。
秋のかぜ吹きてゐたれば遠[をち]かたの 薄[すすき]のなかに曼珠沙華赤し
ふた本の松立てりけり 下かげに曼珠沙華赤し 秋かぜが吹き
秋風と赤い花。素直な叙景の歌で、ここにとり立てて不吉な陰影は感じられません。この辺りから次第に花の風情そのものの魅力を取り上げる作品も多くなって来たようです。
白い彼岸花 20.9.23 東京都清瀬市中里 富士塚
彼岸花はいわゆる人里植物といわれ、人の生活圏に限って見られるという類の植物で、人家のない荒野や山奥などに見ることはないとされます。暮らしの周 辺に、以前からいくらも見られた花ですが、この頃は各地にその名所が出来て、この世離れした不思議な赤い世界にひと時誘ってくれます。
花の見頃は9月中旬から10月始めまで。
花は散らず、色褪せて糸状に枯れる。
11月下旬から2月の下旬からは葉の見頃とのこと。
3 秋桜(コスモス)
「新・秋の七草」で菊池寛が選んだコスモスも、彼岸花とほぼ同じ時期に見頃を迎えます。
コスモスはキク科の植物。原産はメキシコ中央高原。18世紀にスペインの探検隊が種子をヨーロッパに持ち帰りました。我が国に最初に伝えたのは、東京 美術学校(東京芸術大学の前身)に彫刻の教授として明治12年(1876)にイタリアから来日したヴィンチェンツォ・ラグーザ(1841〜1927)だと 言われています。余談ですが、ラグーザに師事し、後に妻になったラグーザ・玉は、日本最初の女流洋画家(1861〜1939)として知られます。
コスモスという名称はギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」などを表すKosmos またCosmosという単語であると言います。星辰の秩序を指して宇宙をコスモスと呼び、花びらが整然と並ぶ端正な造りをもってこの花をコスモスと呼ぶよ うになったということです。日本でははじめは秋桜(あきざくら)と呼ばれ、詩歌では現在でもその呼び名で用いられることがあります。あえかな細い茎と繊細 な葉、そして澄んだ色合いの花。ひんやりとした秋の風にそよぐ、いかにも清楚なたたずまいは日本人の嗜好に広く合いそうです。「桜」になぞらえられたのが それをよく表しています。しかし、明治以降の登場とあって、詩歌はさほど多くはありません。コスモスの歌の歴史はこれから作られてゆくのでしょう。
20.9.25 埼玉県日高市高麗本郷巾着田
二十四節気を眺めると「秋分」の次に来る節気は「寒露(かんろ)」、朝夕の冷気で露が凍るほど寒くなる頃の節気とされています。現行暦では10月8日 頃がそこにあたります。九月の末から肌寒い日が続き、わびしい気分にもなりましたが、時期のことではあります。今年はその歩みが少し早いのかもしれませ ん。
秋ふけてさびしき庭に美しく
いろとりどりのあきざくら咲く 昭和天皇御製
20.9.25 埼玉県日高市高麗本郷巾着田