第33回 初夏:五月・新緑・若草・躑躅・花薔薇(はなさうび)・青苔・薫風・茶摘み・鳥啼く・翡翠(かわせみ)・惜春・散歩
20.4.22 東京都清瀬市
1 五月の歌
楽しや五月 草木はもえ
小川の岸に すみれにほふ
やさしき花を 見つつ行けば
心もかろし そぞろあるき
うれしや五月 日影ははえ
わか葉の森に 小鳥歌ふ
そよ風わたる 木かげ行けば
心もすずし そぞろあるき
「五月の歌」(オーヴァーベック 訳詩 青柳善吾)
20.5.1 東京都清瀬市柳瀬川堤
爽やかな緑の時を迎えています。よく晴れた日の戸外が気持ちよい季節になりました。私の住む街は小さな川の両岸がちょうど回廊のように整備されて景色もよい遊歩道なので、日頃から散歩の人は多いのですが、これからの季節は早朝散歩も増えていっそう賑わいます。昔はよく耳にした散歩の童謡にこんな歌があ りました。
若草もえる 丘の道
心もはずみ 身もはずむ
小鳥のうたに さそはれて
わたしもいつか うたいだす
小川の水も さらさらと
やさしい音を たててゐる
おもしろさうに 小山羊(こやぎ)まで
わたしのうたを 聞いてゐる
「散歩 勝承夫作詞(昭和22年)
歌いながらの散歩、小鳥の声や子山羊の姿など、現代にはすでに実感しにくい風景かもしれません。しかしこの無心の散歩の詩を見ると、現代の 「散歩」の中にはなにかしら実用的な目的で仕事のようにしている散歩があることを逆に気づかされもします。それだとしても、気持ちのよい風の中、季節を感じながら歩くのはそれなり楽しいものでしょう。
20.5.1東京都清瀬市
2 折々の祈り
「夏も近づく八十八夜」は今年のカレンダーでは5月1日。八八という末広がりの文字の重なりが縁起の良いものとされ、この頃に摘む新茶はただの初物という以上に長寿の薬として喜ばれます。また、八十八が「米」の文字を形造るとされることもあって、稲作に関わる神事が各地で行われる頃でもあります。
自然に頼り、穏やかに農耕に拠って暮らしを営んできた日本民族は、そのために自然に感謝し畏怖して暮らすのが常でした。あらゆるものについてそれにかかわる神事があります。神社の習慣を尋ねると、通常の禰宜の暮らしで年間33回の潔斎があると言います。普段私たちは意識していませんが、稲作ひとつを 取っても、種を蒔き、早苗を取り、植えて、育てて、刈り取る、そのいちいちに古代から神事が行われ、折々に農耕の無事と収穫の感謝が祈られてきているので す。祭祀の総本山でもある天皇陛下が執り行われる御田植えも恒例の行事で、一種の神事にあたります。5月の中頃に暦で適当と定められた日が選ばれます(昨年平成19年は5月15日でした)。
20.4.25 東京都清瀬市金山緑地公園
祭祀はもちろん稲作一つに止まりません。日本の神の世界は、一神教の神を頂いて、それ以外の信仰者を異教徒として攻撃するキリスト教やイスラム教のよ うな厳格な宗教とは全く違うあり方ですが、生活の中に神に関わる習慣が当たり前に根付き、それとも意識せず、しかし当然のことと拒みもせずに人がそれに 沿って暮らし、誰にと意識することもなく平穏安寧を祈り恩沢に感謝することを習慣としているという点で、日本人は伝統的にきわめて宗教的であり、この自然神信仰に厚い民族であるとも言えます。
20.4.27 東京都清瀬市金山緑地公園
3 野遊び
ゴールデン・ウィークというまとめ方で連休になってしまうと、それぞれの日が休日になっている理由は鮮明には伝わりませんが、5月5日は御存じ「こどもの日」。陰暦5月5日、端午の節句に因んだ休日です。この日の決まり物の菖蒲ももともと僻邪の効能があるとする民間信仰から軒や屋根に葺いて印にしまし た。近世に至る頃には菖蒲の音を「尚武」に掛ける武家好みの解釈がなされるようになり、男の子の節句にふさわしいかの趣になりますが、端午は本来男子の節 句というわけではありません。菖蒲は元来男女を問わず魔除けの薬草です。
キショウブ 20.5.1 東京都清瀬市野塩明治薬科大学薬草園
陰暦5月5日は実際はまだ先で、現行暦に重ねるなら今年は6月の8日になります。本来の端午はこの季節のもので、梅雨の長雨の中、物が腐敗したり黴が生えたり、人もとかく体調を悪くしがちな時期と見なされ、健康維持のために心が払われていたようです。端午の頃の伝統行事に薬玉(くすだま)を新しいものに取り替えるというものがあります。薬玉は文字通り薬草を乾燥させて束にしたものです。折々に使ううち、分量も足りなくなり、また古くなって不都合な物も出てくるのでしょう、この時期に改めて総取り替えをする習慣であったようです。
このことを遡ると、新暦6月初旬に薬玉に作れるように、薬草を野原に摘んでいたのが植物の繁茂する春から端午の頃まで。陽気の好い今頃はちょうどその野遊びの盛りの頃だったでしょう。
20.4.7 東京都清瀬市野塩
あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
『万葉集』20 額田王
この歌も、標野(みだりに立ちいることの許されない野:朝廷の直轄地)の薬草摘み
の野遊びを舞台に詠まれました。天智7年(668)5月5日のことです。陰暦ですからこれは入梅直前の時期の野遊びになるでしょう。ここに詠まれている紫はもちろん野草ムラサキのことで、当時は貴重な薬草でした。紫根(しこん)と呼ばれる根の部分が薬用とされ、解熱や皮膚の傷の手当に用いられました。名の通り、紫色の染料としても有用だったので、この万葉集の時代から既に専用の畑で栽培されていました。紫野とはその栽培園を言います。額田王の歌った標野の 紫野は近江の蒲生野(現滋賀県)ですが、栽培地は主に東日本でした(ムラサキは武蔵野の植物としてよく歌に詠まれました)。白い小さな花が咲きますが、平安朝の歌に紫色の花として詠まれた歌が散見するのは、都の貴族社会ではもう野に咲くムラサキの実物を知る人があまりなかったのかもしれません。ちなみに、 尾崎豊のバラードで英国名Forget-me-notも花の名としても知られるようになったワスレナグサ(勿忘草)はムラサキ科の植物です(連載第8回 「人は思い出で生きている」参照)。こちらは鮮やかな青い花ですが、葉の形、花の形や小花が集まって咲く様子などはムラサキと共通し、全体にはよく似た印 象の植物です。
19.4.11 東京都清瀬市
額田王の蒲生野行きのような野遊びは「薬狩(くすりがり)」と呼ばれました。薬草ばかりでなく、鹿の角だとか動物性の「薬」も採取する行事でした。始まりは生活に必要な労働であったのでしょうが、気候の好い時期の行楽として楽しいものでもあったでしょう。
二十四節気の立夏は今年のカレンダーでは5月5日、現行の子供の日に重なります。伝統の暦の上でも間もなく初夏に入ります。
20.4.22東京都清瀬市