第66回 秋の気配:秋の夜1 秋月 涼夜 静夜
第66回【目次】
* 漢詩
* 和歌
* みやとひたち
満月 21.9.5 東京都清瀬市
1 予言者の歌
秋夜月 黄金波
照人哭 照人歌
人歌人哭月長好
月缼月圓人自老
「秋夜月」劉基
秋夜の月、黄金の波。
人の哭[こく]するを照らし、人の歌ふを照らす。
人歌ひ、人哭し、月長[とこしへ]に好[よ]し。
月欠け、月円[まど]かに、人自づから老ゆ。
秋の夜の月は黄金の波となって地に注ぐ。哭(な)く人を照らし、歌う人を照らす。いつの時も地上には歌う人あり、哭く人あり、そのさまざまに月は永久(とわ)に変わらず美しい光を注ぐ。月が欠け、また月が満ちるうちに、人は老いてゆく。
明の初代皇帝朱元璋(=洪武帝1328〜1398年)に仕えた劉基(1311〜1375年)の作です。第1行、第2行は6文字の構成ですが、詩形は七言古詩になります。秋の月の金色の輝きの下、悠久の月の光と限りある命を生きる人間とが鮮やかな対比で歌われます。
21.9.13 東京都清瀬市
今もこの地上には68億の人間(地球人口:アメリカ国勢調査局調べ、2009年7月現在)が泣いたり歌ったりしています。それぞれに楽しみがあり、苦しみがあり、好い時もあれば、悪い時もある。頑張ったり怠けたり、精いっぱいの時もあれば、のんびりぼんやりの時もあり。さまざまの時を重ねながら、生きて、年老いて、やがて死んでゆく。その地上をあまねく照らす月は、欠けてもまた満ちることを繰り返す不死の象徴です。
豊かにも厳(おごそ)かな不死の月光の下、人のはかなさは、しかし悲しいものではありません。生きものの定めとして淡々受け止められる気がいたします。そのはかなさのゆえにこそ、人間が、ある時は泣き、ある時は歌ったりしている人間というものが、実に愛しいとも感じられて来るのです。
ゴイサギの幼鳥 21.9.5 東京都清瀬市
この詩の作者劉基は明初有数の文筆家ですが、中国では三国時代の諸葛亮(181〜234年)と並び称される伝説的な軍師 劉伯温(伯温は字)として知られます。明の建国に多大な功績を挙げましたが、後は猜疑心の強かったという朱元璋の粛正を恐れて隠棲したと言われ、65歳での病死は毒殺であったとも伝わります。劇的な英雄の生涯は明初を舞台とする小説や戯曲の題材にもよく採られています。しかし、これらの物語に登場する劉基は、悲劇の英雄軍師というよりは、多くは予言者として描かれます。その予言の中でも名高いものがいわゆる「焼餅歌」です。
2 不死の月
ある日、洪武帝が焼餅を食べていた時に劉基が拝謁を求めて訪れた。洪武帝は碗を伏せて食べかけの焼餅を隠した上で、それを劉基に当てさせた。劉基は次のように答えた。
半似日兮半似月。曾被金龍咬一缺。此食物也。
半ばは日のようであり、半ばは月のようである(日のように丸く、月のように
欠けている)。それは金龍に一口齧られている。それは食べ物である。
この返答に驚いた洪武帝は、更に劉基に明の将来をも尋ね、劉基は占った結果を暗喩に満ちた詩で述べたと伝わります。その時に劉基が詠んだとされる予言詩全体が、発端となった話題にちなんで「焼餅歌(シャオピングー)」の名で呼ばれるに到りました。
21.9.5 東京都清瀬市
比喩的表現に終始する「焼餅歌(シャオピングー)」にはさまざまな解釈が生じました。占いが明の将来を越えて遥か未来にもわたっているとする解釈も多く、中には詩句の一部が原子爆弾の発明を予言しているとする解釈まであります。ここにおいて劉基はほとんどロマノフ王朝末の魔術師ノストラダムスの中国版と言ってよいでしょう。
21.9.11 東京都清瀬市
予言者、また魔術師のような存在として後世に偉容を伝えた劉基も、その晩年、人の讒言を避けて朝廷を去り、市井に身をひそめて死にました。元の末年、若い彼が科挙の勉強に励んでいた時、天上から彼を照らしていた月、農民英雄朱元璋のもとで明を興こす闘いに明け暮れた日々を照らしていた月は、死に瀕した65歳の劉基の上にも同じ光を投げていたでしょう。老いとともに猜疑心を募らせた洪武帝は、功臣劉基の死後なお20年余りに渡り、自らの死の間際まで重臣を殺し続けました。人を信じられず、果てしない殺戮が止まらなかったのは、身内の後継者の頼りなさを案じたあまりのことであったと説かれますが、本当のところは分かりません。
恐ろしく情けない老皇帝の上にも、秋の月光はやはり美しい金の波を注ぎかけていたことでしょう。仰げば今も天上にあるあの月です。 涼しくなった庭の虫の声に、眠っているやさしい小鳥の羽に、窓際で夜を窺っている縞猫の頭に、月は今も明るく照っています。
陰暦8月の満月が中秋の名月として仰がれてきたのを始めとして、三日月や十六夜(いざよい)といった月の呼称がみな秋の季語に分類されるように、年中見られるものではありますが、月は秋の美しさが古来最上とされてまいりました。自然界の条件もさることながら、むしろ人がしみじみと夜空を仰ぎたくなるのがこの秋の季節なのではないかとも思うのです。
21.9.10 東京都清瀬市
* 漢詩
* 和歌
* みやとひたち
満月 21.9.5 東京都清瀬市
1 予言者の歌
秋夜月 黄金波
照人哭 照人歌
人歌人哭月長好
月缼月圓人自老
「秋夜月」劉基
秋夜の月、黄金の波。
人の哭[こく]するを照らし、人の歌ふを照らす。
人歌ひ、人哭し、月長[とこしへ]に好[よ]し。
月欠け、月円[まど]かに、人自づから老ゆ。
秋の夜の月は黄金の波となって地に注ぐ。哭(な)く人を照らし、歌う人を照らす。いつの時も地上には歌う人あり、哭く人あり、そのさまざまに月は永久(とわ)に変わらず美しい光を注ぐ。月が欠け、また月が満ちるうちに、人は老いてゆく。
明の初代皇帝朱元璋(=洪武帝1328〜1398年)に仕えた劉基(1311〜1375年)の作です。第1行、第2行は6文字の構成ですが、詩形は七言古詩になります。秋の月の金色の輝きの下、悠久の月の光と限りある命を生きる人間とが鮮やかな対比で歌われます。
21.9.13 東京都清瀬市
今もこの地上には68億の人間(地球人口:アメリカ国勢調査局調べ、2009年7月現在)が泣いたり歌ったりしています。それぞれに楽しみがあり、苦しみがあり、好い時もあれば、悪い時もある。頑張ったり怠けたり、精いっぱいの時もあれば、のんびりぼんやりの時もあり。さまざまの時を重ねながら、生きて、年老いて、やがて死んでゆく。その地上をあまねく照らす月は、欠けてもまた満ちることを繰り返す不死の象徴です。
豊かにも厳(おごそ)かな不死の月光の下、人のはかなさは、しかし悲しいものではありません。生きものの定めとして淡々受け止められる気がいたします。そのはかなさのゆえにこそ、人間が、ある時は泣き、ある時は歌ったりしている人間というものが、実に愛しいとも感じられて来るのです。
ゴイサギの幼鳥 21.9.5 東京都清瀬市
この詩の作者劉基は明初有数の文筆家ですが、中国では三国時代の諸葛亮(181〜234年)と並び称される伝説的な軍師 劉伯温(伯温は字)として知られます。明の建国に多大な功績を挙げましたが、後は猜疑心の強かったという朱元璋の粛正を恐れて隠棲したと言われ、65歳での病死は毒殺であったとも伝わります。劇的な英雄の生涯は明初を舞台とする小説や戯曲の題材にもよく採られています。しかし、これらの物語に登場する劉基は、悲劇の英雄軍師というよりは、多くは予言者として描かれます。その予言の中でも名高いものがいわゆる「焼餅歌」です。
2 不死の月
ある日、洪武帝が焼餅を食べていた時に劉基が拝謁を求めて訪れた。洪武帝は碗を伏せて食べかけの焼餅を隠した上で、それを劉基に当てさせた。劉基は次のように答えた。
半似日兮半似月。曾被金龍咬一缺。此食物也。
半ばは日のようであり、半ばは月のようである(日のように丸く、月のように
欠けている)。それは金龍に一口齧られている。それは食べ物である。
この返答に驚いた洪武帝は、更に劉基に明の将来をも尋ね、劉基は占った結果を暗喩に満ちた詩で述べたと伝わります。その時に劉基が詠んだとされる予言詩全体が、発端となった話題にちなんで「焼餅歌(シャオピングー)」の名で呼ばれるに到りました。
21.9.5 東京都清瀬市
比喩的表現に終始する「焼餅歌(シャオピングー)」にはさまざまな解釈が生じました。占いが明の将来を越えて遥か未来にもわたっているとする解釈も多く、中には詩句の一部が原子爆弾の発明を予言しているとする解釈まであります。ここにおいて劉基はほとんどロマノフ王朝末の魔術師ノストラダムスの中国版と言ってよいでしょう。
21.9.11 東京都清瀬市
予言者、また魔術師のような存在として後世に偉容を伝えた劉基も、その晩年、人の讒言を避けて朝廷を去り、市井に身をひそめて死にました。元の末年、若い彼が科挙の勉強に励んでいた時、天上から彼を照らしていた月、農民英雄朱元璋のもとで明を興こす闘いに明け暮れた日々を照らしていた月は、死に瀕した65歳の劉基の上にも同じ光を投げていたでしょう。老いとともに猜疑心を募らせた洪武帝は、功臣劉基の死後なお20年余りに渡り、自らの死の間際まで重臣を殺し続けました。人を信じられず、果てしない殺戮が止まらなかったのは、身内の後継者の頼りなさを案じたあまりのことであったと説かれますが、本当のところは分かりません。
恐ろしく情けない老皇帝の上にも、秋の月光はやはり美しい金の波を注ぎかけていたことでしょう。仰げば今も天上にあるあの月です。 涼しくなった庭の虫の声に、眠っているやさしい小鳥の羽に、窓際で夜を窺っている縞猫の頭に、月は今も明るく照っています。
陰暦8月の満月が中秋の名月として仰がれてきたのを始めとして、三日月や十六夜(いざよい)といった月の呼称がみな秋の季語に分類されるように、年中見られるものではありますが、月は秋の美しさが古来最上とされてまいりました。自然界の条件もさることながら、むしろ人がしみじみと夜空を仰ぎたくなるのがこの秋の季節なのではないかとも思うのです。
21.9.10 東京都清瀬市