第56回 おほかた春は:落花、行く春、春の儚いもの、野山の春
第56回【目次】
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
21.4.8 東京都清瀬市
1 花の下で
山桜ちれば咲きつぐ陰とめて
おほかた春は花にくらせり
賀茂真淵『賀茂翁歌集』
(見ていた山桜が散ればすぐ、次に咲いている花陰を訪ねて、およそ春という季節は桜に興じて暮らしているのであった。)
21.4.8 東京都清瀬市
思えば、日本人が春に桜を追いながら暮らすのは大昔からのことです。平安時代のこと、桜に心を傾けるあまり、いっそ桜がなかったら春はもっと平穏であったのに、といういささか乱暴にさえ見える在原業平の慨嘆
世の中にたえて桜の無かりせば
春の心はのどけからまし
は実に広く共感を集めて、その後の春の歌の基調を作ったばかりでなく、軽く千年を超えた今日、普段はすっかり和歌を離れてしまった現代でも、春の一時期には必ずといってよいほど新聞・TVなどに取り上げられます。
八重桜 21.4.8 東京都清瀬市
業平は9世紀の人ですが、この歌の詠みぶりを見ても、当時業平が所属していた世界がすでに桜を特別なものとして気に掛けていたらしい空気が分かります。8世紀初めに書かれた最古の歴史書である『古事記』にはコノハナサクヤヒメ(木花開耶姫)というお名前が見えますが、早い時期からこの女神が桜の化身であると考えられていたこと(木花開耶姫は富士山本宮 浅間大社の祭神。諸国の桜はこの木花開耶姫命が富士山から"種"を撒いたと伝わる。「木の花(コノハナ)」は梅を指して使われることがあるが、梅は中国からの外来植物で、奈良時代になるまではほとんど知られなかったので、古代のいわゆる「木の花」には含まれない。古代の「木の花」は木の花の代表である桜。また元来桜を特定した語であるという説もある。)を思っても、日本人が桜をことに優れた花として特別扱いし、愛したことは神話時代からのことと推測されます。江戸時代に真淵先生が歌っているとおり、日本人の春はその以前の大昔から今日に至るまで、まさに桜をめぐるあれこれに過ぎて来たと言えるのかもしれません。それは、時代が移り、世の中の体制が変わり、自然の景色が変わり、あるいは植物としての「桜」そのものが変化しても変わらない、日本人の精神に承け継がれてきた春の営みです。
21.4.11 東京都清瀬市
さあ、その桜が関東では終わりました。私たちが目にする、雪のように雨のように降りそそぐ桜は、実は古典の詩歌にはなかったソメイヨシノの風情ですが、この時期、胸が締めつけられるような終焉の美しさを見せてくれます。桜が終わると、たしかに春の大方は終わったと感じさせられます。
21.4.8 東京都清瀬市
21.4.11 東京都清瀬市
2 野山の春
アケビの花 21.4.11 東京都清瀬市
人が桜に気をとられて時を過ごすうちに、野山では、また違った春が進んでいました。
以前、福寿草のことを調べた時に、「スプリング・エフェメラル」という言葉があるのを知りました。言葉の意味としては、「春の儚(はかな)いもの」「春の短い命」というほどの意味になるでしょうか。春のいっときしか姿を見せず、一年の大方を地中で過ごす草花の総称です。福寿草やイチゲ、アマナ、カタクリなどがその代表です。花をつけ葉を茂らせる春から夏のはじめの間に光合成を行い、地下茎や種子に蓄えた栄養素で静かに次の春までを地中で過ごすのです。私の住まいから散歩で行ける武蔵野の林の中は今いっとき、このはかない可憐な花々で賑わっています。
21.3.28 東京都清瀬市
たまたまカタクリの花を見に行った林の中には野鳩やウグイス、エナガなどの小鳥の声も賑やかでした。小鳥は今結婚の季節なのです。カラスは高い木に素敵なお家を造っています。子育ての支度です。近所の猫なのか、去年の落ち葉と青い草の混じった地面を踏んでやって来たり、蜂や羽虫の羽ばたくかすかな音も響きます。そこには桜の春の趣とは違った、さまざまの生き物たちが織りなす盛んな季節の姿があります。
21.3.28 東京都清瀬市
21.3.31 東京都清瀬市
21.4.15 東京都清瀬市
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
21.4.8 東京都清瀬市
1 花の下で
山桜ちれば咲きつぐ陰とめて
おほかた春は花にくらせり
賀茂真淵『賀茂翁歌集』
(見ていた山桜が散ればすぐ、次に咲いている花陰を訪ねて、およそ春という季節は桜に興じて暮らしているのであった。)
21.4.8 東京都清瀬市
思えば、日本人が春に桜を追いながら暮らすのは大昔からのことです。平安時代のこと、桜に心を傾けるあまり、いっそ桜がなかったら春はもっと平穏であったのに、といういささか乱暴にさえ見える在原業平の慨嘆
世の中にたえて桜の無かりせば
春の心はのどけからまし
は実に広く共感を集めて、その後の春の歌の基調を作ったばかりでなく、軽く千年を超えた今日、普段はすっかり和歌を離れてしまった現代でも、春の一時期には必ずといってよいほど新聞・TVなどに取り上げられます。
八重桜 21.4.8 東京都清瀬市
業平は9世紀の人ですが、この歌の詠みぶりを見ても、当時業平が所属していた世界がすでに桜を特別なものとして気に掛けていたらしい空気が分かります。8世紀初めに書かれた最古の歴史書である『古事記』にはコノハナサクヤヒメ(木花開耶姫)というお名前が見えますが、早い時期からこの女神が桜の化身であると考えられていたこと(木花開耶姫は富士山本宮 浅間大社の祭神。諸国の桜はこの木花開耶姫命が富士山から"種"を撒いたと伝わる。「木の花(コノハナ)」は梅を指して使われることがあるが、梅は中国からの外来植物で、奈良時代になるまではほとんど知られなかったので、古代のいわゆる「木の花」には含まれない。古代の「木の花」は木の花の代表である桜。また元来桜を特定した語であるという説もある。)を思っても、日本人が桜をことに優れた花として特別扱いし、愛したことは神話時代からのことと推測されます。江戸時代に真淵先生が歌っているとおり、日本人の春はその以前の大昔から今日に至るまで、まさに桜をめぐるあれこれに過ぎて来たと言えるのかもしれません。それは、時代が移り、世の中の体制が変わり、自然の景色が変わり、あるいは植物としての「桜」そのものが変化しても変わらない、日本人の精神に承け継がれてきた春の営みです。
21.4.11 東京都清瀬市
さあ、その桜が関東では終わりました。私たちが目にする、雪のように雨のように降りそそぐ桜は、実は古典の詩歌にはなかったソメイヨシノの風情ですが、この時期、胸が締めつけられるような終焉の美しさを見せてくれます。桜が終わると、たしかに春の大方は終わったと感じさせられます。
21.4.8 東京都清瀬市
21.4.11 東京都清瀬市
2 野山の春
アケビの花 21.4.11 東京都清瀬市
人が桜に気をとられて時を過ごすうちに、野山では、また違った春が進んでいました。
以前、福寿草のことを調べた時に、「スプリング・エフェメラル」という言葉があるのを知りました。言葉の意味としては、「春の儚(はかな)いもの」「春の短い命」というほどの意味になるでしょうか。春のいっときしか姿を見せず、一年の大方を地中で過ごす草花の総称です。福寿草やイチゲ、アマナ、カタクリなどがその代表です。花をつけ葉を茂らせる春から夏のはじめの間に光合成を行い、地下茎や種子に蓄えた栄養素で静かに次の春までを地中で過ごすのです。私の住まいから散歩で行ける武蔵野の林の中は今いっとき、このはかない可憐な花々で賑わっています。
21.3.28 東京都清瀬市
たまたまカタクリの花を見に行った林の中には野鳩やウグイス、エナガなどの小鳥の声も賑やかでした。小鳥は今結婚の季節なのです。カラスは高い木に素敵なお家を造っています。子育ての支度です。近所の猫なのか、去年の落ち葉と青い草の混じった地面を踏んでやって来たり、蜂や羽虫の羽ばたくかすかな音も響きます。そこには桜の春の趣とは違った、さまざまの生き物たちが織りなす盛んな季節の姿があります。
21.3.28 東京都清瀬市
21.3.31 東京都清瀬市
21.4.15 東京都清瀬市
【文例】 漢詩へ