第70回 冬のはじまり:立冬 初冬 小春日和 紅葉 落葉 菊
第70回【目次】
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
21.11.15 東京都清瀬市
1 寸心丹意
11月も半ばを過ぎ、陰暦のこよみでは十月(神無月:かんなづき)、孟冬、冬の初めに入りました。紅葉の便りも耳に親しくなり、山から平野へ、街へと下りてまいりました。私の住まいのあたりでは、盛りはまだこれからです。次の回には近辺の紅葉を御覧に入れることができましょう。
翡翠 21.11.15 東京都清瀬市
"もみじ"は、気温の下がった秋の末に草木の緑が黄色や赤に色を変えること全般を言う言葉です。草木がそのように変色することを言う動詞としても使いました。古くは「もみつ」と清音で、四段活用、後に上二段活用になり、さらに濁音化した「もみづ」が使われるようになりました。
21.11.15 東京都清瀬市
『万葉集』の時代には、紅いもみじよりむしろ、黄色く色を変え、そのあとは枯れて落ちる萩や錦木(ニシキギ)の仲間、またそのあと褐色になって落ちるブナやナラの木などが主な"もみじ"であったようです。「母」という言葉の枕詞になる「ははそばの(柞葉の)」の柞(ははそ)もブナ科の植物で、黄色く色を変え、最後は褐色に枯れて落葉する植物です。これが枕詞に用いられているということは、古代において、人に親しい植物だったことを意味するでしょう。
平安時代の和歌に盛んに詠まれたことで、日本では紅いもみじがすっかり主流になりました。何によらず、物事の刺激は強いものに向かう一方です。目に鮮やかな紅葉を知ってからは、萩や柞の優しい黄葉では"もみじ"を見た気がしなくなるのかも知れません。
21.11.15 東京都清瀬市
日暮風吹
落葉依枝
寸心丹意
愁君未知
(「落葉」青渓小姑)
日暮れ 風吹き
落葉 枝に依る
寸心丹意
君の未だ知らざるを愁ふ
日が暮れて、風が吹き、
はらはら木の葉が舞い落ちる中に、
枝にすがって堪えている葉がある。
それはまるで私の小さな胸の中の、
せつなく燃えている恋心のよう。
けれども、かなしいことに、
あなたはまだ、私のこの気持ちをご存知ないの。
燃える心をそれに重ねているのですから、この葉は紅く色づいているのでしょう。
詩形は四言古詩。漢詩ではめずらしい恋の歌です。近体詩には取り上げられない題材です。片想いに堪える苦しさを、今にも吹き落とされそうなところを堪えている必死の紅葉になぞらえる、いじらしい一篇。
20.11.29 東京都清瀬市
紅色は視覚を刺激的に魅了するだけではなく、象徴するところに燃える心や燃えて尽きそうな命が重ねられることで、万物休眠の冬に向かう寒いもの侘びしいこの季節の詩歌において、貴重な素材になったと言えます。
2 小春日和
陰暦では十月からの三ヶ月が冬です。現行暦ではおよそ11月の第一週あたりからが陰暦十月の始まりです。たしかに、道行く人の服装もコート姿が増え、街も冬めいて来ました。
この陰暦十月の好天が小春日和(こはるびより)と呼ばれます。
もとは中国漢文世界の言葉で、六朝時代の書物『荊楚歳時記』に「十月は天気和暖にして春に似る、故に小春と曰ふ」とあります。ここから「小春」また「小陽春」は陰暦十月の異名としても使われます。
この表現は、御存じの通り、我が国でも同じように用いられています。
1 さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声(こゑ)はして、
いまだ覚めず、岸の家。
2 烏(からす)鳴きて木に高く、
人は畑に麦を踏む。
げに小春日(こはるび)ののどけしや。
かへり咲きの花も見ゆ。
(「冬景色」文部省唱歌 昭和8年)
「冬」であり「小春日」とあることは、古典的な推理では陰暦十月、ちょうど今頃、に限定される歌ということになります。返り咲きというのも、本来はこの小春日和の暖かな中で咲き出す花を指して呼ばれた言い方です。
サザンカ 20.11.14 東京都清瀬市
また、この陰暦十月に降る雨には特に「液雨(えきう)」という名がついています。動物はこの雨水を飲んだのち、冬眠に入るとされました。陰暦十月、この月は自然が一年の活力の最後の余韻を響かせる時期、これを過ごすと、あとは春までの静かな休眠の時が訪れます。
カワラヒワ 21.11.15 東京都清瀬市
21.11.18 東京都清瀬市
* 漢詩・漢文
* 和歌
* 唱歌・童謡
* みやとひたち
21.11.15 東京都清瀬市
1 寸心丹意
11月も半ばを過ぎ、陰暦のこよみでは十月(神無月:かんなづき)、孟冬、冬の初めに入りました。紅葉の便りも耳に親しくなり、山から平野へ、街へと下りてまいりました。私の住まいのあたりでは、盛りはまだこれからです。次の回には近辺の紅葉を御覧に入れることができましょう。
翡翠 21.11.15 東京都清瀬市
"もみじ"は、気温の下がった秋の末に草木の緑が黄色や赤に色を変えること全般を言う言葉です。草木がそのように変色することを言う動詞としても使いました。古くは「もみつ」と清音で、四段活用、後に上二段活用になり、さらに濁音化した「もみづ」が使われるようになりました。
21.11.15 東京都清瀬市
『万葉集』の時代には、紅いもみじよりむしろ、黄色く色を変え、そのあとは枯れて落ちる萩や錦木(ニシキギ)の仲間、またそのあと褐色になって落ちるブナやナラの木などが主な"もみじ"であったようです。「母」という言葉の枕詞になる「ははそばの(柞葉の)」の柞(ははそ)もブナ科の植物で、黄色く色を変え、最後は褐色に枯れて落葉する植物です。これが枕詞に用いられているということは、古代において、人に親しい植物だったことを意味するでしょう。
平安時代の和歌に盛んに詠まれたことで、日本では紅いもみじがすっかり主流になりました。何によらず、物事の刺激は強いものに向かう一方です。目に鮮やかな紅葉を知ってからは、萩や柞の優しい黄葉では"もみじ"を見た気がしなくなるのかも知れません。
21.11.15 東京都清瀬市
日暮風吹
落葉依枝
寸心丹意
愁君未知
(「落葉」青渓小姑)
日暮れ 風吹き
落葉 枝に依る
寸心丹意
君の未だ知らざるを愁ふ
日が暮れて、風が吹き、
はらはら木の葉が舞い落ちる中に、
枝にすがって堪えている葉がある。
それはまるで私の小さな胸の中の、
せつなく燃えている恋心のよう。
けれども、かなしいことに、
あなたはまだ、私のこの気持ちをご存知ないの。
燃える心をそれに重ねているのですから、この葉は紅く色づいているのでしょう。
詩形は四言古詩。漢詩ではめずらしい恋の歌です。近体詩には取り上げられない題材です。片想いに堪える苦しさを、今にも吹き落とされそうなところを堪えている必死の紅葉になぞらえる、いじらしい一篇。
20.11.29 東京都清瀬市
紅色は視覚を刺激的に魅了するだけではなく、象徴するところに燃える心や燃えて尽きそうな命が重ねられることで、万物休眠の冬に向かう寒いもの侘びしいこの季節の詩歌において、貴重な素材になったと言えます。
2 小春日和
陰暦では十月からの三ヶ月が冬です。現行暦ではおよそ11月の第一週あたりからが陰暦十月の始まりです。たしかに、道行く人の服装もコート姿が増え、街も冬めいて来ました。
この陰暦十月の好天が小春日和(こはるびより)と呼ばれます。
もとは中国漢文世界の言葉で、六朝時代の書物『荊楚歳時記』に「十月は天気和暖にして春に似る、故に小春と曰ふ」とあります。ここから「小春」また「小陽春」は陰暦十月の異名としても使われます。
この表現は、御存じの通り、我が国でも同じように用いられています。
1 さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の
舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声(こゑ)はして、
いまだ覚めず、岸の家。
2 烏(からす)鳴きて木に高く、
人は畑に麦を踏む。
げに小春日(こはるび)ののどけしや。
かへり咲きの花も見ゆ。
(「冬景色」文部省唱歌 昭和8年)
「冬」であり「小春日」とあることは、古典的な推理では陰暦十月、ちょうど今頃、に限定される歌ということになります。返り咲きというのも、本来はこの小春日和の暖かな中で咲き出す花を指して呼ばれた言い方です。
サザンカ 20.11.14 東京都清瀬市
また、この陰暦十月に降る雨には特に「液雨(えきう)」という名がついています。動物はこの雨水を飲んだのち、冬眠に入るとされました。陰暦十月、この月は自然が一年の活力の最後の余韻を響かせる時期、これを過ごすと、あとは春までの静かな休眠の時が訪れます。
カワラヒワ 21.11.15 東京都清瀬市
21.11.18 東京都清瀬市
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