2008年6月15日

第36回 よひらの花:紫陽花、雨、続豪徳寺


                    20.6.13 東京都清瀬市

  梅雨入りは昨年より20日も早かったということです。その入梅の知らせがあった日は、春先からの天候を思い、いかにも雨の多い年と覚悟しましたが、この数日は幸い梅雨の晴れ間に恵まれております。




                   梅雨の晴れ間は貴重です。

1 古代の紫陽花 

  この季節になるとよく見かける花に紫陽花があります。小さな花が集まってたっぷりとした量感で咲く姿は見応えがあり、雨にも鮮やかな花の姿は鬱陶しい季節の慰めになってくれます。

  紫陽花の色は地中のph濃度とアルミニウムイオンの量に作用されると言われます。同じ品種の場合、土の酸性度が高いほど青色が強くなり、低いほどピンクの色相になることが知られています。もと同じ株が土地によって花の色を違えるのは、それぞれの土壌の違いに拠るのです。


                     20.6.5東京都清瀬市

  小花が密集して手毬のように咲いている大振りの紫陽花にはどこか洋花のような雰囲気があります。もっともこれは改良品種で、平たく咲くガクアジサイのタイプの方が古い品種なのだそうです。そういえば、東京都国分寺市にある万葉植物園を訪ねたときに見た紫陽花は、咲いている花の集合の直径が5㎝くらい。よく見る紫陽花をミニチュアにしたような、おそろしく華奢な植物でしたが、たしかにガクアジサイでした。夏の野に繁る野草に交じって咲くという、山人(やまびと)の垣根に生ふるという、その下に螢がたたずむという古典和歌の紫陽花に、はじめて納得がゆきました。



                     20.6.5東京都清瀬市

  紫陽花は平安時代の漢和字典『類聚名義抄』には「アヅサヰ」の読み方で見えています。『大言海』はこれをもとの形と考え、「集[アヅ]+真藍[サアヰ →サヰ]」の意味であろうという語源説を挙げています。『大言海』の説のほかにも、紫陽花のアヂの部分を「集まっている」の意味に理解する語源説はたくさんあります。紫陽花と言えば、まず小さな花の集まりであるという見方になるのは自然なことではあります。


              見かけは大分大人らしくなりました。


2 紫陽花のよひらの花

  歌の世界では、紫陽花は『万葉集』からすでに登場しているのですが、和歌の黄金期であった平安時代中期になぜかあまり歌が残されなかったこと、結果としてその後もずっと勅撰集には採られない花であったこともおそらく影響して、花の外貌の問題とも別に、何となく伝統的な花ではないような印象があります。

  中世以降はそれでも夏歌に時々は見られるようになります。その多くが、花の姿を写して「よひら(4枚・の花びら)」の花と表現しているのが興味深いことです。

   夏も猶[なほ]心はつきぬ あぢさゐのよひらの露に月も澄みけり
                         『夫木和歌集』夏3350 釈阿

  『古今和歌集』にある輝くような秋の歌「木の間より漏り来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり」を本歌として詠まれたものでしょう。紫陽花は夏の花。釈阿、藤原俊成はその花に置く露に映える月の風情を、心づくしの秋にも劣らないものとして詠んでいます。

   あかねさすひるはこちたし あぢさゐのはなのよひらにあひみてしがな
                           『古今六帖』恋 3911

  歌の趣旨は「昼間逢うのは目立って人の口がうるさい、夜に逢いたいものだ」ということだけです。人目が多く煩わしいという意味「こちたし」に紫陽花の花の細かく密集した感じを響かせ、4枚の花びら「よひら」の「よ」を「夜」の掛詞にして、花の外観に拠った造りになっていることで、花そのものは内容に関係ないのに花の姿が印象にくっきり残るのがおもしろいと思います。



                    20.6.8 東京都清瀬市

  しかし、この四弁の花と見られてきたものは実は花ではなく萼(がく)で、紫陽花の本当の花は中央に集まる小さな粒のような部分なのだということです(4枚の花びらに見える萼の中央にも粒のような花は付いていますが、これは実を結びません)。この粒々した小さな蕾がやがて開き、雌蘂(おしべ)と雄蘂(めしべ)が現れます。周りを縁取る四弁花のような萼は、受粉役の昆虫に花の存在を気づかせ誘うために巨大に発達した疑似花びらなのだということです。


   3 移り気


                      20.6.5 渋谷区東

  紫陽花には様々な色がありますが、ひと本の紫陽花が咲いてから枯れるまでも様々にその色を変え、一名に「七変化」とも呼ばれます。そこから、紫陽花は変わりやすい心の比喩に用いられました。『万葉集』に興味深い歌があります。

   言問はぬ木すら紫陽花 諸茅等[もろちら]が 練の村戸[ねりのむらと]に
   あざむかえけり               『万葉集』773 大伴家持
 ※「あざむかえ」の「え」は古代の助動詞。後でいうなら「れ(「る」受け身)」の意。

『岩波古典文学大系』(高木市之進・五味智英・大野晋)に拠れば、奈良時代の末に著された『八十華厳経音義私記』に「腎 無良斗(ムラト)」とあることから練の村戸[ねりのむらと]の「むらと」は「腎」。またムラキモ(群肝・村肝)が「心」の枕詞になることから、ムラト(腎)も「心」を意味する、と推理すると、「ねりのむらと」はよく練られた心、さらには屈折のある複雑な一筋縄ではゆかない心のこと、と理解できます。そのようにしてこの歌を解釈すると、「ものを言わない木でさえ、紫陽花や諸茅などの一筋縄でゆかない心に欺かれたということです(まして人間である私は、変わりやすいあなたの心に欺かれ、振り回されてとまどうことです)」といった内容になるでしょうか。



                      20.6.5 渋谷区東



  内容から見て、この歌の末尾の「けり」は和歌の定型にある詠嘆の用法ではなさそうです。いわゆる伝聞過去、昔話や伝承を語る時の用法と見られ、紫陽花や 諸茅といった植物をそのまま使った「変わりやすさ」を言う伝承が当時行われていたことが想像されます。紫陽花と諸茅は変わりやすいものの譬えとしてすでに了解されていたものと考えられます。(「諸茅」という植物がどういうものなのかは知られていませんが、おそらく紫陽花の色のように、何かの要素で変わりやすいところのある植物を言っているのでしょう。この歌の次の歌、「百千たび恋ふといふとも諸茅等[もろちら]が 練の言葉はわれは頼まじ」(774 大伴家持)も、幾百千回「恋してる」と言われても、「諸茅等が練の言葉」はあてにするまい、と言うのですから、明らかに諸茅は信じることのできない変わりやすいものの譬えです。)


                    20.6.14 世田谷区梅丘

  今日でも紫陽花は、心変わりや移り気、あるいは冷淡な性格を象徴させることがある花です。不変の価値を尊ぶのはおそらく民族の気質として古代から変わらないものなのでしょう、紫陽花があまり良くないイメージを負いはじめたのは、相当古い時期からのことと考えられます。




【文例】 和歌

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