第40回 夏景色2:夏の終わり・水・泉・清水・井・朝顔・夕顔・百合
1 ゆく夏
燕はわれを呼ぶ、瑠璃色の空へ。
白雲は光の上に光を積む、塔の高さに。
瑠璃色であった青年時代と同じに。
太陽よ。われ汝に謝す。
デエメル「夏の盛」より(訳詩 森鴎外)
猛暑にゲリラ雷雨、激しい天候の夏ですが、さすがに立秋を過ぎてからは夜中や明け方、ふと空気に涼しい風が混じるようになりました。今日17日の東京 はすっかり冷えて、最高気温も30度に達しませんでした。真夏は確かに過ぎたと分かる一日でした。如何お過ごしでしょう。
20.8.15 東京都清瀬市柳瀬川
実際にはほぼ亜熱帯の陽気になる日本の夏は過酷です。この気候の厳しさは古くは『万葉集』の夏痩せの歌に窺われ、平安時代の物語や和歌にも、日記や随筆にも記事が見え、また鎌倉時代には『徒然草』に兼好が、
「家の造りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころわろき住
居はたへがたきことなり(家の造りようは夏を念頭に造るのがよい。冬はどのよう
な場所にでも住むことができる。暑い時期に、(夏本意に建てられていない)具合
の悪い住居は我慢できない苦しさである)」(55段)
と記していることなどがよく知られております。
夏を凌ぎにくくつらい季節とするのはもはやこの国の伝統ですが、これはこれで、ひと月あまりもその激しさに付き合ってくると、暑さの勢いが衰えて来る のも妙に寂しい感じがいたします。枯れた向日葵、夥しい数の蝉の死骸、壊れかけた麦わら帽子などの季節の残骸を、自分自身夏の疲れを感じながら、弛んだ暑 さの中に見るのは何ともわびしいものです。
20.8.13 東京都清瀬市
10世紀の初頭、始めての勅撰和歌集として編纂された『古今和歌集』は、その始まりの六巻(巻一・春上〜巻六・冬)に、洗練された季節の歌を緊密に並 べることで刻々と移る自然の推移を表し、平安時代の時間感覚を反映して、永遠に続く四季の循環をそこに体現して見せました。当時の暦法の区分では四季はき れいに3ヶ月づつの長さに等分されていましたが、『古今和歌集』の夏冬は春秋の半分しかありません(春・秋は各上下二巻あるのに対して、夏・冬の巻はそれ ぞれ一巻です)。春秋の歌が豊かであると言えばそれまでですが、過ぎゆく時を惜しむ歌がないことは夏の巻だけの特徴です。
春と秋とが花紅葉(はな・もみぢ)と言い換えられて文学の世界では日本の自然美を代表する存在であったことは言うまでもありません。歌の美しい題材も 豊富で、人の思い入れも強い季節とあって、春は春の過ぎることが惜しまれ、秋は去りゆく秋の行方をたづねて行きたいという歌が載せられるなど、それぞれの 季節への愛着が詠まれています。また、当時の慣習では暦の始まりは季節の始まり、すなわち初春と重なるものと捉えられたので、冬の終わりには年末の感慨が 加わりました。拠って、冬歌の巻末には過ぎゆく年に対して惜別の情を詠む歌が混じりました。厳密に言えば季節を惜しむのではないのですが、過ぎゆく時間に 対する感慨を述べるという点で、春と秋、冬はそれぞれの季節の終わりに同じ心を遣っていることが分かります。
夏にはそのような心が働かなかったのでしょうか。激しい季節が盛りを過ぎたと感じたある時、やはり一抹の寂しさを、昔の人も感じていたのではないかと私は想像します。しかし、たとえば『古今和歌集』の夏の終わりに、
夏と秋と行き交ふ空の通ひ路は片方[かたへ]涼しき風や吹くらむ
(ゆく夏とやってくる秋とが行きちがう空の通り道は、片側に涼しい風
(秋風)が吹いているのであろう)
と表現されたように、この季節の場合はやはり秋の到来の方により強く心は傾いていたのでしょうか。
19.8月 東京都清瀬市
ゆく夏を惜しみつつ、季節の花と水辺の歌を集めました。蓮、睡蓮の詩歌は前年8月の回をご覧下さい。
盛りを過ぎたとはいえ、当分は残暑の日々が続きます。どうぞ皆さまお体おいとい下さい。
(20.8.18)