2008年3月15日

第30回 春は霞みて:野の春、ひばり、百千鳥、帰る雁、むらさき(紫草)、すみれ、春愁、霞、朧月夜

第30回【目次】




第30回 春は霞みて:野の春、ひばり、百千鳥、帰る雁、むらさき(紫草)、すみれ、春愁、霞、朧月夜


           霞む梅の満開  20.3.14東京都清瀬市

1 春は霞みて

  「春は一年の若き時、若き時は一生の春」とイタリアの古歌には歌われました。心弾む春は、しかし始まりは穏やかです。

  晴れた日が、ほんのりわずかに霞がかかっているようなのはいかにも季節の風情と思って見ておりましたら、この頃は黄砂かと心配する向きもあるとのこと。たしかに気象情報で黄砂が警告されるような日は、停めておいた車の上の細かい粉のような塵が並ではありません。春の霞のと言ってのどかに景色を眺めることができた時代はもう過ぎてしまったのかもしれません。

  それでも詩歌の中ばかりでなく、春はかすみ、春の夜はおぼろ月、と次々イメージが言葉になるのは、長い年月の中でそれぞれの季節に取り上げられる景物が自然に定まってきたからにほかなりません。こうしたきまりごとが伝統となってきたのには、人々に共有されてきた季節感覚があってこそです。その源は遡れば平安時代の半ば、935年に撰進の記録がある『古今和歌集』に到ります。



            20.3.14東京都清瀬市

  十世紀の始め、紀貫之らがはじめて勅撰の和歌集を編もうとした時、日本の歌の神髄にまず四季の移り変わりの美しさを挙げたことは和歌文学史の上だけでなく、私たち日本人の精神の歴史をたどる上でも注目に値することと思われます。


            20.3.14東京都清瀬市

  『古今和歌集』は前例のない作品集でしたから、編者(撰者)は集めた歌をどのように日本の歌集の形にするか、一から考えなければなりませんでした。歌の精選以上におそらく編集の方にこそ苦心し、結果として彼らの希有の才能の証左を後世に残しました。
  今日見るあの形に編集された『古今和歌集』の背景には高い学識と卓越した詩心があることは間違いありません。しかしそのこととはまた別に、歌集に採られている季節の景物またその配列、つまり題材の取捨選択とその編集には、素直で細やかな自然観察が率直に反映されていることも確かです。今日『古今和歌集』の美意識、と言うと端正で緻密な知的操作の方だけが取り上げられがちで、それもただ形式的に固定されたつまらないもののように錯覚されることがあるのは、まことに残念なことです。『古今和歌集』を紐解けば、そこにはみずみずしい自然のパノラマを見ることもできるのです。

  それでは『古今和歌集』のこの時期、春の巻の桜の前にはどんな景色が展開しているでしょう。さまざまな意匠で詠まれた梅と、その前には帰る雁、その前には緑の芽吹きや鳥の囀り、春の野の風景が並んでいます。世は桜待ちの春、このたびはまず野原の春から訪ねます。


          梅の枝にひよどり  20.3.14東京都清瀬市


2 小川のささやき

  春の小川は さらさら流る
  歌の上手よ いとしき子ども
  声をそろへて 小川の歌を
  うたへうたへと ささやく如く
          (「春の小川」文部省唱歌 より)

  ここに御紹介するのはよく知られた唱歌「春の小川」の、あまり知られていない3番の歌詞です。昭和17年に林柳波の詩でこの歌は改変され、現在歌われている形になりましたが、その折に3番は歌詞全部が削除されました。その後、歌の形を始めの文語体に遡って現在の形と較べてみることはあっても、現在の歌にない3番までが復元されることは稀なために、すっかり埋もれてしまったのです。

  第1行と最後の句「ささやく如く」は1番から3番まで共通しています。さらさらとした川の流れは終始やさしい自然のささやきとして春の野にのどかに響いています。そのささやきは、1番には野の花すみれやれんげの花に「咲けよ咲けよ」であり、2番は小川の蝦(えび)やめだかや鮒の子に「遊べ遊べ」、そして3番では人間の子どもたちに「うたへうたへ」です。なんと慈しみに満ちたやさしい勧誘でしょう。

  考古学者樋口清之(1909〜1997)が子どもの頃、この歌を歌って道を歩いていたら、"太ったおじさん"が近づいてきて、「坊やはその歌が好きか」と尋ねた。「大好きだ」と答えたところ、おじさんはにこにこしながら「その歌はおじさんが作ったんだよ」と言って自分の家に案内し、ごちそうをしてくれたという。そのおじさんが、この作詞者高野辰之(1876〜1947)だったとは後で分かったと、国語学者の金田一春彦(1913〜2004)に語った、ということが金田一春彦氏の本に書いてあります(『心にしまっておきたい日本語』金田一春彦 KKベストセラーズ)。行きずりのおじさんに言われるがままついて行ってしまって良いのか、というようなことはさておき、なんとものどかな時代の話ですが、 なお高野辰之の人柄を偲ばせる逸話ではあります。

  この歌の想となった小川は当時高野が住まいした東京府豊多摩郡代々幡村代々木を流れていた河骨川(こうぼねがわ:宇田川の支流)といわれています。現在の渋谷区代々木、東京都会の代表のような地域となり、もともと小さな流れであった河骨川も暗渠(あんきょ)となって今はありません。世は移り町は変わっ ても、歌は残り、こうしてやさしい大人らしい眼ざしを遠くからも今に送り続けています。


                   20.3.12東京都清瀬市

【文例】 漢文

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