第77回 花の時 天花に酔へり:桃 椿
第77回【目次】
* 漢詩・漢文
* 和歌
* みやとひたち
22.3.12 東京都清瀬市
1 花時天似酔(花の時 天花に酔へり)
春之暮月 月之三朝
天酔于花 桃李盛也
春の暮月(ぼぐえつ)、月の三朝(さんてう)、
天花に酔へり、桃李(たうり)盛んなるなり。
「花時天似酔序」冒頭 菅原道真『和漢朗詠集』39
※陰暦三月は春の最終月、暮月。
※「月の三朝」は、その月で三回目の朝、三日目を意味する。
(暮れゆく春の三月三日、
天は花の色に映えて酔ったようにかすみ、桃や李の花が
今を盛りと花開いている)
陰暦3月3日の上巳(じょうし)の節供に、宇多天皇の催した曲水の宴に侍した菅原道真の作です(文例【漢詩】に続きの部分を掲載しています)。宴では曲水に盃を浮かべて酒を飲み、それぞれ詩を作るのが習慣でした。この時の題が「花時天似酔」(花の時天花に酔へり)であり、この道真の作はその序にあたります。
22.2.18 東京都清瀬市
五節供の一つである上巳は、もと陰暦三月の初めの巳の日に行われ、それがそのまま節供の名に残ったものですが、やがて3月3日の日付に固定されて年中行事として継承されて来ました。上巳も中国から輸入した習慣ですが、そもそもは呪術的な季節の邪気払い、祓えの行事であったようです。こうした厄払いやおまじないの類の習慣が見られるのは、おおむね季節の変わり目であったり、季候の悪い梅雨時のような時期にかかる頃です。生活の便や心身の健康を巡って人が求めることは今も昔も変わりないのでしょう。
22.3.11 東京都清瀬市
3月3日と言えば、今日では雛祭りです。のどかな女子のお祭りの趣きになり、魔除けや祓えということはあまり表には現れておりませんが、本来の起源が窺われるのは、お節供に決まりものの「桃の花」です(連載第5回に関連記事)。
22.2.18 東京都清瀬市
桃は仙女西王母の花園にある、三千年に一度実をつける桃の木のこと(「漢武内伝」)や「桃花源記」(陶淵明)などでも知られた神仙の植物です。漢代からその木は魔除けに使われたといいますが、我が国でも「古事記」に見る伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)神話に、桃の実が悪鬼を退ける心強い味方として描かれています。
22.2.18 東京都清瀬市
さて、上巳の詩宴と言えば、書聖王羲之の傑作「蘭亭序」が書かれたのが永和9年(353)の3月3日でした。蘭亭に招かれた名士41人と王羲之とによる詩宴の序文がかの「蘭亭序」です。道真が「花時天似酔序」を詠む時に、もちろんこの「蘭亭序」が意識されていたことは間違いありません。王羲之が美しい庭園蘭亭を述べる全部で324字の中に桃の字はありませんでしたが、暮春3月の3日、時は桃李の季節、天は花に酔っているようだという道真の筆の弾みは実に誇らかに明るい春の景色です。
これら道真の詩文を集めた「菅家文草」がまとめられたのは昌泰3年(900)のことでした。その翌昌泰4年(900)正月25日、道真は女婿である斉世親王(ときよしんのう)を立てて皇位の簒奪を謀ったとする讒言で、大宰府に流されるのです。
歴史物語の「大鏡」が伝える配流の途中の詩、
駅長驚く莫かれ時の変改するを
一栄一落是れ春秋
(駅長莫驚時變改 一栄一落是春秋)
は、道真に同情して悲しんでいる明石の駅長(駅〈うまや:令制の交通機関。30里ごとに置かれ、人馬・食糧などを整え、宿舎を供した旅行施設〉の長官)に詠んだと言われるものです。「一栄一落是れ春秋(ひとたび栄え、また零落するのは自然の姿である:栄枯は世の常)」とは、これをひとりの悲劇ではなく人の世一般の摂理とする態度で、むしろ道真を気遣う駅長を慰める趣きですが、事情を思えばあまりにも痛々しい言葉です。そのわずか前のことであった「花の時 天花に酔へり」の詩は、まことに誇らかに美しいだけに、いかにもその「一栄」の時を思わせて、天神菅原道真の悲劇を知る後世の私たちには感慨を禁じ得ません。
22.3.11 東京都清瀬市
"第77回ハ タイヘン遅ク ナッテ スミマセン デシタ。
次回 第78回ハ、3月19日(金)ヲ 予定シテ イマス"
* 漢詩・漢文
* 和歌
* みやとひたち
22.3.12 東京都清瀬市
1 花時天似酔(花の時 天花に酔へり)
春之暮月 月之三朝
天酔于花 桃李盛也
春の暮月(ぼぐえつ)、月の三朝(さんてう)、
天花に酔へり、桃李(たうり)盛んなるなり。
「花時天似酔序」冒頭 菅原道真『和漢朗詠集』39
※陰暦三月は春の最終月、暮月。
※「月の三朝」は、その月で三回目の朝、三日目を意味する。
(暮れゆく春の三月三日、
天は花の色に映えて酔ったようにかすみ、桃や李の花が
今を盛りと花開いている)
陰暦3月3日の上巳(じょうし)の節供に、宇多天皇の催した曲水の宴に侍した菅原道真の作です(文例【漢詩】に続きの部分を掲載しています)。宴では曲水に盃を浮かべて酒を飲み、それぞれ詩を作るのが習慣でした。この時の題が「花時天似酔」(花の時天花に酔へり)であり、この道真の作はその序にあたります。
22.2.18 東京都清瀬市
五節供の一つである上巳は、もと陰暦三月の初めの巳の日に行われ、それがそのまま節供の名に残ったものですが、やがて3月3日の日付に固定されて年中行事として継承されて来ました。上巳も中国から輸入した習慣ですが、そもそもは呪術的な季節の邪気払い、祓えの行事であったようです。こうした厄払いやおまじないの類の習慣が見られるのは、おおむね季節の変わり目であったり、季候の悪い梅雨時のような時期にかかる頃です。生活の便や心身の健康を巡って人が求めることは今も昔も変わりないのでしょう。
22.3.11 東京都清瀬市
3月3日と言えば、今日では雛祭りです。のどかな女子のお祭りの趣きになり、魔除けや祓えということはあまり表には現れておりませんが、本来の起源が窺われるのは、お節供に決まりものの「桃の花」です(連載第5回に関連記事)。
22.2.18 東京都清瀬市
桃は仙女西王母の花園にある、三千年に一度実をつける桃の木のこと(「漢武内伝」)や「桃花源記」(陶淵明)などでも知られた神仙の植物です。漢代からその木は魔除けに使われたといいますが、我が国でも「古事記」に見る伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)神話に、桃の実が悪鬼を退ける心強い味方として描かれています。
22.2.18 東京都清瀬市
さて、上巳の詩宴と言えば、書聖王羲之の傑作「蘭亭序」が書かれたのが永和9年(353)の3月3日でした。蘭亭に招かれた名士41人と王羲之とによる詩宴の序文がかの「蘭亭序」です。道真が「花時天似酔序」を詠む時に、もちろんこの「蘭亭序」が意識されていたことは間違いありません。王羲之が美しい庭園蘭亭を述べる全部で324字の中に桃の字はありませんでしたが、暮春3月の3日、時は桃李の季節、天は花に酔っているようだという道真の筆の弾みは実に誇らかに明るい春の景色です。
これら道真の詩文を集めた「菅家文草」がまとめられたのは昌泰3年(900)のことでした。その翌昌泰4年(900)正月25日、道真は女婿である斉世親王(ときよしんのう)を立てて皇位の簒奪を謀ったとする讒言で、大宰府に流されるのです。
歴史物語の「大鏡」が伝える配流の途中の詩、
駅長驚く莫かれ時の変改するを
一栄一落是れ春秋
(駅長莫驚時變改 一栄一落是春秋)
は、道真に同情して悲しんでいる明石の駅長(駅〈うまや:令制の交通機関。30里ごとに置かれ、人馬・食糧などを整え、宿舎を供した旅行施設〉の長官)に詠んだと言われるものです。「一栄一落是れ春秋(ひとたび栄え、また零落するのは自然の姿である:栄枯は世の常)」とは、これをひとりの悲劇ではなく人の世一般の摂理とする態度で、むしろ道真を気遣う駅長を慰める趣きですが、事情を思えばあまりにも痛々しい言葉です。そのわずか前のことであった「花の時 天花に酔へり」の詩は、まことに誇らかに美しいだけに、いかにもその「一栄」の時を思わせて、天神菅原道真の悲劇を知る後世の私たちには感慨を禁じ得ません。
22.3.11 東京都清瀬市
"第77回ハ タイヘン遅ク ナッテ スミマセン デシタ。
次回 第78回ハ、3月19日(金)ヲ 予定シテ イマス"
【文例】 漢詩