2009年7月 1日

第61回 なつかしい人:五月闇 ほととぎす 短夜 もの思ひ 懐旧

第61回【目次】         
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    * 漢詩
    * 和歌
    * 散文
    * 唱歌・童謡
    * みやとひたち







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1 五月闇  

  梅雨らしい薄暗い日が続く中、7月になりました。このどんよりとした暗さを古典の言葉では五月闇と言います。陰暦五月は現行暦に重ねれば6月第一週からの30日です。7月の始め現在は陰暦五月の終わりにあたります。空は暗いものの日によっては暑く、不快のもととは湿度だなと実感するこの頃です。

  日本の気候の中では夏がもっとも過ごしにくいというのは、古来からの一致した意見です。よく知られているのは鎌倉時代、14世紀の『徒然草』で、家屋の造りようについて夏を念頭に置けと述べるものでしょう。とかく意見の多い吉田兼好はこうしたことにも一言あるのです。

   家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。
   暑き比(ころ)、わろき住居は堪へがたき事なり。
   深き水は涼しげなし。淺くて流れたる、遙に涼し。こまかなる物を見るに、
   遣戸は蔀のまよりもあかし。天井の高きは、冬寒く、燈暗し。
   造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、萬の用にも立ちてよしとぞ、
   人の定めあひ侍りし。
                            『徒然草』55段

  深く湛えられた水より浅くて流れている水の方が涼しげであるというのも、卓見と感じます。

  この「暑き比」とは、まず梅雨明け後の炎暑の時期を思いうかべますが、古典で言う「夏」は立夏かから立秋の前まで(現行暦2009年では5月5日〜8月7日)であることを思えば、陰暦五月の五月雨の季節、すなわち梅雨のこの時期ももちろん含んでいます。夏の苦しさを言う記事の中には明らかに雨の日であったり、五月闇を歌ったものが混じっています。梅雨時の鬱陶しさや蒸し暑さもまた、今も昔も耐え難いものであります。

   
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2 ほととぎす

  古典において、夏の苦しさに触れた記事はいちいち挙げきれません、それが当然のこととして記されています。人々にとって夏が大儀であったと端的に分かるのは『古今和歌集』をはじめとする和歌の歴史に、ほかの季節に比べて夏歌が目立って少ないことです。

  その少ない夏の歌にはどのようなものが詠まれていたのでしょう。
  夏歌総数に花の歌はそれほど多くありません。夏歌に目立つのは短夜(みじかよ)をテーマにしたもの、そして歌数が最も多いのは実にほととぎすを詠んだものです。

  ほととぎすはカッコウ目・カッコウ科に分類される鳥で、鳩よりちょっと小ぶりの大きさの渡り鳥です。インドから中国南部の地域で越冬して、日本には5月中頃から姿を見せます。早朝また深夜に鳴くことが多いと言い、たしかに記紀万葉の古代の歌から夜を歌うものによく登場します。

  それら時鳥の歌を見ると、雨の中の声であったり、夜ふけの声であったり、姿ははじめから見ないもののようです。聞くつもりでない時に、ふと聞こえてきて、「もの思い」をかきたてるというのです。

  五月闇(さつきやみ)おぼつかなきに
  ほととぎす鳴くなる声のいとどはるけさ
  (梅雨空の薄暗くぼんやりした時分に、その暗さの奥から聞こえてくる
   ほととぎすの声の、なんと遠く遙かなことか)
                      『和漢朗詠集』183 明日香皇子

  五月雨に物思ひおれば ほととぎす
  夜ふかく鳴きていづち行くらむ
  (梅雨の雨の続く夜、もの思いにしずんでいると、
   ほととぎすがこんな夜更けに鳴く。雨の中をどこにゆくのだろう)
                      『古今和歌集』153 紀友則

  とかく行動することに向かない季節です。陰鬱な雨に振り籠められて、あるいは眠れずに過ごす夜更けにふと聞こえるほととぎすの声は、ひと所にじっと動かずにいる時期のもの思いを助長する、というのが歌の決まり事になっているようです。

  
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3 なつかしい人

  ほととぎすがかきたてるもの思いには懐旧の情が関わることが少なくありませんでした。和歌を通覧してみると、「むかし」「思ひいづる」「むかし思ふ」といった表現とほととぎすが読み併せられている歌が多いことがわかります。そういえば、かの有名な「五月待つ花橘」の歌をはじめとして夏の歌には追憶の歌が多いようにも思います。これも厳しい季節の条件がそうさせるのかもしれません。
  
  五月待つ花橘の香をかげば
  むかしの人の袖の香ぞする
  (五月を待って花開いた橘の香りがあたりに漂い、その香りは昔親しく
   していた人の袖の香りを思い出させる。懐かしくて胸に満ちてくる、
   この香りよ)
                  『古今和歌集』139 詠み人知らず

 「(香を)かぐ」という動作は現代語ほど能動的な動作ではありません。匂いを感知するというほどの意味です。ひたちがあじさいや山梔子に顔ごと突っ込んでクンクンする動作とはまったく傾向が違います。この時も、そのつもりで「嗅いだ」というのではなく、花橘の芳香が漂ってきたのにふと気づいたのでしょう。花のありかも知らなかったかもしれません。
 「むかしの人」とは以前親しかった人のこと。昔の恋人と限定する説もあります。いずれにしてももう今は会うことのない人です。浪漫的な中にも嗅覚の記憶というのが実に生々しく、切実な懐かしさを感じさせる歌です。懐かしいとは、懐(なつ)きたいの意味。傍近くに寄り、手を触れ、まつわり甘えたいという願望です。そうすることが出来なくなった物事にそれを感じるところに痛みがあるのです。

   
27nemu1.jpg                      合歓の花 21.6.27 東京都清瀬市

  間もなく恩師の大野晋先生の一周忌を迎えます。月日の速さに驚きます。思い出すことは尽きません。同じく教えを受けた同窓生と折々に懐かしい昔を語って、この一年は過ぎました。

  私は来世というものの存在を信じておりません。死別が本当のお別れと思っています。ですから、先生にはもうどこに行っても二度とお会いすることはないと一年前から心得ています。しかし、日ごろ古典に親しんで、見ぬ世の友の言葉を聞いて過ごして参りますと、今生きているかそうでないか、実際に会うことが出来るかできないかは、それほど大きな問題ではないような気がしてきます。

  一年前までは確かにお声も聞けましたが、書かれた物が残っているので、それに先生のお考えを尋ねることが出来ます。貫之や定家や本居宣長の意見を書物に求めているのと同じように。これからも私は先生のお声を文字の中に聞きながら、私が死ぬまで勉強するでしょう。

  毀誉褒貶のあった方でしたが、幸い先生にはたくさんの御著作があります。全体から、どのような学問をした人であったかが分かるとき、先生の本当の人となりは人に正しく伝わるはずと信じています。  
  
   
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【文例】 漢詩

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