みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

連載

第5回 桜の前に:三月・桃・神仙世界

「泉鏡花集」を開くみや

1 春三月
  日射しが明るい春の季節になりました。空の色、風の軽さ、光りのあたたかさが三月を知らせるこのごろです。みやはこのところ、動物の詩集『どうぶつたち』(まど・みちお 詩/美智子皇后 選訳)を開いています。はじめにある詩は「ことり」。窓際で雀や尾長の遊ぶのを見ているのが大好きなみやには、小鳥にも春が来ていることをもう知っているでしょう。

   そらの
   しずく?

   うたの
   つぼみ?

   目でなら
   さわっても いい?

  この美しい詩集『どうぶつたち』には、このあとしばらく鳥の歌が続きます。中から春の小鳥の代表をご紹介しましょう。

  ヒバリ

   あの 青い
   空の かがみの

   どこかに あたしが
   うつって いるかしら

   あ あんな 遠くに
   こめつぶのように

   ここで しずかな
   あたしの うたが

   あそこからは
   にぎやかそうにひびくこと


  雲雀(ひばり)は高い空、天上界に通う小鳥です。ほがらかに春を謳歌する、のどかでかつ旺盛な春の季節の象徴でしょう。そんな盛んな歌声を耳にしながら、天平勝宝5年(753年)2月25日(現行暦では3月末)、大伴家持は明るい春の愁いに満ちていました。

  うらうらに照れる春日[はるひ]にひばり揚[あ]がり心悲しもひとりし思へば
                       『万葉集』4292

  『万葉集』は率直明快が身上で、その歌風は丈夫振り(ますらをぶり)と呼ばれます。正岡子規は「歌詠みに与ふる書」(明治31年:1898)において、『万葉集』の真率に較べて『古今和歌集』はつくりごとに過ぎず、弱く浅はかで価値がないと難じました。賛否は置くとして、それほど骨太の魅力が知られる『万葉集』ですが、『万葉集』に最も多く歌を収め、代表的な万葉歌人である大伴家持の歌はすでにいわゆる万葉調ではありません。あたたかな光、のどかな雲雀の声に包まれて、なお襲われる憂愁。なんと繊細で貴族的な感覚でしょう。こんな詩を作る家持の心はむしろ完全に『古今集』のセンスです。

2 梅と桜の間で
  陰暦1月末から2月にあたるこのごろは、実際の自然を観察すればやはりあたりは春の先駆け、梅の花盛りです(湯島天神では今年も梅祭りは3月8日まで)。このあと次々と季節の花が開き、「花といえば桜」というほど日本人が愛して止まない桜の開花は例年は3月末から4月、ちょうど入学式のころが見頃になるのが例年の景色です。桜をこよなく愛した日本人の伝統では、春も今くらいになると一日一日と桜の開花を待つのもこのころの風情です。


小金井公園 梅の林 H.19.2.24

  さて、梅から桜までの時期に、忘れられない花に桃があります。3月3日、ひな祭りの花でもあります。先にご紹介した大伴家持の代表作に、輝くような美しいこの季節を歌ったものもあります。
  
  春の苑[その]紅[くれなゐ]にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女[をとめ]

                  『万葉集』4139

  木の下が花色の光で薄紅に照り映えるような桃の花のほとり、うら若い少女はピンクの豊かな頬まで思わせる健康的な美しさです。
  梅や桜のようにはもてはやされない桃の花には、どこか生真面目な堅さが添うようで、少女に似合う風情に思われます。ピンク色に咲く花はいかにも愛らしく優しく、雛の節供にふさわしいものに見えますが、これは3月3日が女子の御節供になるはるか昔から仙木としてこの日の決まりものだったのです。


3 桃の霊力
   今日では3月3日というと雛祭り。もっぱら女の子のお祭りとして通っていますが、この起源は上巳(じょうし)の節供にさかのぼります。上巳とは月の始めの巳の日、古くは陰暦3月のその日(上巳)には川で身を清め、不浄を祓う習慣(上巳の祓)がありました。『源氏物語』にも「弥生[やよひ]の朔日[ついたち]に出[い]で来たる巳の日、今日[けふ]なむかく思すことある人は禊[みそ]ぎしたまふべき」(須磨)とあり、当時にもあった上巳の祓の習慣が窺われます。月の初めの巳の日から、「3日」という日付に固定したのはさらに後のことです。桃には超常の力があるとされて、中国ではすでに漢代に桃の木で作った人形(ひとがた)を新年の門口に吊して魔除にする風習が盛んでした。。日本でも桃が霊力のある植物であることは『古事記』の時代にはすでに信じられていた通念です。日本の国造り神話の神であった伊弉諾尊(イザナギノミコト)は死んだ妻伊弉冉尊(イザナミノミコト)を諦めることができず、黄泉の国まで尋ねて行きます。しかしすでに死者の国の住人となっていた伊弉冉尊はかつての妻ではありませんでした。伊弉諾尊はあとを追ってくる魔物(=死の穢れ)に桃の実を投げて追走を妨げ、あやうくこの世に生還を果したと語られています。そのほか、『延喜式』(927撰上)には12月晦日(つごもり)の宮中の追儺(ついな・悪鬼を追出す行事)には鬼を駆逐する道具として桃の杖と弓とが陰陽寮から配られることが記されています。今日(こんにち)の雛祭に桃の花を飾るのも、ただ季節の花だからというわけではないのです。霊力があると信じられた桃でなければ意味がないのです。白酒でなく桃の花びらを浮べた桃酒の習慣もありました。


桃を活けるみや

4 西王母の花園
  もともとは桃の実に霊力があると考えられていたものと思われます。中国の老荘思想の世界がその源泉です。ひとりの漁夫が桃源郷に到り着いたのも、川を流れる桃の花びらをしるしに、その川を遡って行ったのでした。また、仙女西王母の花園にある桃の木は三千年に一度実を付け、それを食せば長命を得るということも知られていました。『和漢朗詠集』に採られている和歌にもこれを詠んだものがあります。

  三千年[みちとせ]になるといふ桃のことしより花咲く春にあひそめにけり
  (三千年に一度実をつけるという桃が、今年の春からちょうど花を咲かせる
   ようになりました。その春にちょうどめぐりあったことです)

  三千年の命はない人間の身で、たまたまその三千年目に出会えたことを幸いと詠む歌です。『拾遺和歌集』では「賀」の歌に収められています。
  西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)、姓は楊、名は回。もとは人頭獣身、虎の牙を持って咆哮すれば千里に轟くという恐ろしい姿で、疫病と五種類の刑罰を支配し、人間の非業の死を司ったという鬼神(『山海記』)だったといいます。やがて、死をおそれるところからむしろ信仰の対象となり、次第に「不老不死の力を与える仙女」という存在に変化して行きました。
  道教が完成するころには、西王母はかつての「人頭獣身の鬼神」から「天界の仙女」にすっかり変貌し、不老不死の仙桃を管理する天の花園の女主人として絶大な信仰を集めるに到りました。古来中国で仙境と考えられていた場所は二箇所で、東の蓬莱山、そして西の崑崙山(こんろんさん)です。この二つの山には不老不死の薬があると言い伝えられていました。西王母はその崑崙山の主人(王母娘娘)であるといいます。「三千年[みちとせ]になるといふ桃」の実る花園はこの崑崙山にあるのです。周の穆王が西方に巡符して崑崙に遊び、西王母に会って帰るのを忘れたという。また前漢の武帝が不老不死を願っていた際、西王母が天上から降りて仙桃七顆を与えた、というような神仙譚があります。その西王母の誕生日は3月3日であるといいます。すべて「桃」の威力でつながる世界です。


清瀬市郷土博物館所蔵

【文例】(※は本文中に記事あり。※漢詩は本文中に書き下し文および大意あり。)
漢詩

 ・「桃夭」
   桃之夭夭 灼灼其華
   之子于帰 宜其室家
     桃之夭夭 有賁其実
     之子于帰 宜其家室
   桃之夭夭 其葉蓁蓁
   之子于帰 宜其家人
  桃の夭夭[えうえう]たる
     灼灼[しやくしやく]たる其[そ]の華
  之の子于[ここ]に帰[とつ]ぐ
     其の室家[しつか]に宜[よろ]しからん
  桃の夭夭たる
     賁[ふん]たる其の実[み]有[あ]り
  之の子于[ここ]に帰[とつ]ぐ
     其の家室[かしつ]に宜[よろ]しからん
  桃の夭夭たる
     其の葉蓁蓁[しんしん]たり
之の子于[ここ]に帰[とつ]ぐ
     其の家人[かじん]に宜[よろ]しからん
    『詩経』周南


 ・春来遍是桃花水
  不弁仙源何処尋
   春来つては遍[あまね]く是れ桃花[たうくわ]の水[みづ]
   仙源を弁(わきま)へず、何[いづ]れの処[ところ]にか尋ねむ
  (春が来ると至るところに桃の花が咲き乱れ、どの流れも花びらを浮かべて流
   れる。昔、武陵の漁夫は川に流れる桃の花びらを遡って桃源郷に着いたという
   が、これでは桃源郷を辿ろうにもどの流れをさかのぼればよいのだろう)
    『和漢朗詠集』38「三月三日 付[つけたり]桃」王維(『桃源行』より)

 ・春之暮月、月三朝、天酔于花、桃李盛也。
   春の暮月、月の三朝、天花に酔[ゑ]へり、桃李[たうり]の盛んなるなり。
  (春も暮れる三月三日(陰暦では春は1月から始まり3月は暮春)、天は花の色
   に映えて酔ったようにかすみ、桃李の花が今を盛りと花開いている)
    『和漢朗詠集』39「三月三日 付[つけたり]桃」菅原道真(『桃源行』より)

 ・忽逢桃花林。夾岸数百歩、中無雑樹、芳草鮮美、落英繽紛。
   忽[たちま]ち桃花の林に逢ふ。岸を挟みて数百歩、中に雑樹なく、
   芳[かぐは]しき草は鮮やかに美しく、落つる英[はなびら]は繽紛
   [ひんぷん]たり。『桃花源記』陶淵明

 ・「三月尋李九荘」常建(盛唐)
  雨歇楊林東渡頭
  永和三日盪軽舟
  故人家在桃李岸
  直到門前渓水流
   雨は歇[や]む楊林[やうりん]東渡[とうと]の頭[ほとり]
   永和[えいわ]三日[さんじつ]軽舟を盪[うご]かす
   故人の家[いへ]は桃李[たうり]の岸に在[あ]り
   直[ただ]ちに門前渓水の流れに到る

和歌

※・春の苑[その]紅[くれなゐ]にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女[をとめ]
    大伴家持『万葉集』4139
    
※・うらうらに照れる春日にひばり揚[あ]がり心悲しもひとりし思へば
    大伴家持『万葉集』4292
    
※・三千年になるといふ桃のことしより花咲く春にあひそめにけり
   『和漢朗詠集』44「三月三日 付[つけたり]桃」
   
 ・折[を]りて見ば近まさりせよ桃の花思ひぐまなき桜惜[を]しまじ
    紫式部『紫式部集』36

散文
 ・明けゆく空はいといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなうさへづりあひたり。
  『源氏物語』若紫

 ・弥生[やよひ]になれば、空のけしきもものうららかなり。『源氏物語』柏木

 ・御前の木立[こだち]いたうけぶりて、花は時を忘れぬけしきなり。
  『源氏物語』柏木

 ・三月の十日のほどなれば、空もうららかにて、人の心ものび、ものおもしろき
  折[をり]なり。『源氏物語』絵合

訳詞・現代詩

 ・春の朝   ロバアト・ブラウニング 『海潮音』上田敏
   時は春、
   日は朝、
   朝は七時、
   片岡に露みちて
   揚雲雀[あげひばり]なのりいで
   蝸牛[かたつむり]枝に這[は]ひ、
   神、そらにしろしめす。

 ・春風(1892年) ホーフマンスタール 川西進訳
   春風葉なき並木をわたる。
   その通ひ路に奇[く]すしきこと多し。
     さしぐみあれば揺蕩[たゆた]ふごとく、
     みだるる髪に寄りそひて舞ひ、
   アカシヤの花揺[ゆ]りこぼしつ、
   吐息つく肌の火照りを冷まし、
     ほほゑみうかぶ唇に触れ、
     赤く芽ぐむ小草にそよぎ、
   笛に忍びて悲しきうた奏で、
   明けの紅を飛び去りゆきて、…

 ・佐藤春夫『車塵集』(昭和4年)
   きさらぎ弥生春のさかり
   草と水との色はみどり
   枝をたわめて薔薇をつめば
   うれしき人が息の香ぞする

 ・ひばりのす 『児童詩集』木下夕爾
   ひばりのす
   みつけた
   まだだれもしらない
     あそこだ
     水車小屋のわき
     しんりょうしょの赤い屋根のみえる
     あのむぎばたけだ
   小さいたまごが
   五つならんでる
   まだだれにもいわない

※・ことり 『どうぶつたち』まど・みちお
   そらの
   しずく?
     うたの
     つぼみ?
   目でなら
   さわっても いい?

※・ヒバリ 『どうぶつたち』まど・みちお
   あの 青い
   空の かがみの
     どこかに あたしが
     うつって いるかしら
   あ あんな 遠くに
   こめつぶのように
     ここで しずかな
     あたしの うたが
   あそこからは
   にぎやかそうにひびくこと


目次

このページのトップへ