2010年7月26日

第86回 蓮池避暑:暑さ 夏の日 蓮

第86回【目次】         
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    * 和歌
    * 散文
    * みやとひたち



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1 真夏の日 



  連日の猛暑です。二十四節気で言う「大暑(たいしょ)」がまさにこの7月23日頃にあたります。今が一年で一番暑い時期なのです。屋外で仕事する人には堪りませんが、こう暑いのも一年のうちの一時のことと思えば、それなりに季節の醍醐味とも言えましょう。

      
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  涼を求めて水辺に足を運べば、折から蓮の花の美しい時期です。蓮を愛するものには北宋の哲学者周濂渓(しゅうれんけい)の「愛蓮説」がよく知られており、以前に御紹介したことがありました(連載第15回)。蓮花の魅力を周濂渓は、

  「淤泥より出でて染まらず、清漣(せいれん)に濯(あら)はれ妖(なまめ)かず、
   中通り外直く、蔓あらず、枝あらず、香り遠くして益々清く、亭亭として浄(きよ)
   く植(た)ち、遠く観るべくして褻(な)れ翫(もてあそぶ)べからざるを」

と述べます。ここにもある、泥土の中に生まれるのに汚れに染まらず清らかであるというのが最もよく言われる蓮の美点です。

      
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  我が国でも、江戸末の学者伊沢榛軒(伊沢 蘭軒の子)などといった人は遺言に「天地は我心なり、又草木の花は我心なり、桜花蓮花の開くごとに我を祭れ」と遺すなど、その愛着が知られておりますが、もともと江戸の人はとりわけ蓮の花を好んでいたようなのです。明治44年(1911)に刊行された『残されたる江戸』という書物には次のようにあります。

   松樹千年の緑を誇らうよりも、槿花一日の栄えを本来の面目とする江戸ツ児に
  は、旦々に花新たなる朝顔を愛し、兼ねては汚泥を出でて露の白玉を宿す蓮の清
  新を賞する、洵[まこと]にあらそひ難きことどもである。

  「汚泥を出でて露の白玉を宿す蓮の清新」というのは蓮の花の伝統的な性格付けではありますが、それがとりわけ江戸の人の好みであるというのはなかなか興味深い見解ではありませんか。

      
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  この著者は柴田流星。作家で翻訳家でもあった人です。平成2年(1990)、この作品が中公文庫で復刊されました。改めて眺めてみると、この作品の挿絵を描いている画家「江戸川朝歌」とは竹下夢二の筆名の一つです。夢二は当時、江戸川に住んでおり、おそらくそこにちなんでこの名を使ったものと思われます。竹久夢二は今日では知らない人のない大正ロマンを代表する叙情画家ですが、初めての著書『夢二画集ー春の巻』を刊行し、ベストセラーになったのが明治42年のことですから、『残されたる江戸』時代は華やかな作家活動の始まった頃の仕事であったと言えます。

      
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  『残されたる江戸』は明治も末になって、既に遠くなってしまった江戸時代を哀惜して書かれたものと伺われます。その目次に「朝顔と蓮」という項目が見えたので、覗いてみたのです。

   蓮は花の白きをこそ称すれ、彼の朝靄に包まれて姿朧なる折柄、東の空に旭の
  初光チラと見ゆるや否、ポツ! ポツ! と静かなる音して、今まで蕾なりし花
  の唇頓[とみ]に微笑み、ある限りの人々ただ夢を辿るおもひ、淡い自覚に吾が
  うつつなるを辛くも悟り得る際の心地、西の国々の詩人が悦ぶはかうした砌[み
  ぎり]の感じでもあらうか。
   朝の不忍[しのばず]に池畔のそぞろ歩きすれば、この種の趣致は思ふままに
  味はれる。江戸ツ児は常にこの趣致を愛する、然りただそれこれを愛する、余に
  は深い意味も何もあつたものではない。
   蓮はなほ芝公園にも浅草公園にもある、されど最も憾むべきはお濠の中なるが
  あとなくなつたことだ。

      
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  ここには「花の白きをこそ称すれ」とありますが、今日周りに蓮の花を見に歩くと、白い花に出遭うことは希です。早朝に花の開く音を聞きに行くというのは、今日でも良く聞く話です。夏は朝の一時に涼しい心地よい時間があります。まだ暗いうちに起きて水辺で待つのは心楽しい散歩になりましょう。顔を出すとぐんぐん昇る朝日は、強く激しい日中の兆しをすでに帯びてはいますが清々しく、この世の中で「爽やかなもの」といったら夏の朝の気配ほどぴったりなものはないような気さえします。しばらくは炎暑に苦しむ時期ですが、それだけに、夜のやさしさと早朝のすがすがしさが身に沁みる季節でもあります。どうぞ、よい夏をお過ごし下さい。

     
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  蓮は連載第15回にも取り上げました。文例を併せて御覧下さい。


【文例】和歌

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