みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

連載

第15回 涼しき方へ:
八月・夏・蓮(はす)・はちす・睡蓮・未草(ひつじぐさ)
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「泉鏡花集」を開くみや

1 盛夏


 麦藁帽子[むぎわらばうし]  立原道造

   八月の金[きん]と緑の微風[そよかぜ]のなかで
   眼に沁みる爽[さは]やかな麦藁帽子は
   黄いろな 淡[あは]い 花々のやうだ
   甘いにほひと光とにみちて
   それらの花が咲きにほふとき
   蝶よりも 小鳥らよりも
   もつと優しい生き物たちが挨拶する

  梅雨明けを待たずに関東は熱暑の数日に見舞われました。積もる暑さの疲れの中を、参議院議員選挙は与党の歴史的といわれるほどの大敗に終わりました。報道機関は議員の劇的な当落の選挙エピソードを繰り返し流してお祭り騒ぎの活気を呈していますが、我が国の場合、野党がさほども清新というわけでなく、世の中がこれで良い方へ転ずるとは楽観できないだけに、この痴呆的な一時の活気はいかにも徒花(あだばな)、我に返れば体制がにわかに不安定になったことの落ち着かなさばかりです。暑さのせいとも世情の忙しさのせいともつかない疲労とともにこの八月はやって参りました。

  私たちが本当に夏らしいと意識する時候とは、梅雨が明けてからしばらく、この八月の前半まででしょう。眩しく強い日射し、高い気温。日中は日向(ひなた)がつらく、水のほとりが恋しい時期です。高温多湿の日本の夏は、京の都あたりをとっても亜熱帯の気候です。暑さをしのぐのに精一杯で歌を作るのにも熱が入らなかったのでしょうか、『古今和歌集』をはじめとする詩歌の歴史を眺めると、夏には伝統的に歌が少ないのです。さまざまな歌集を通覧しても、歌の題材は限られており、実際収録されている歌数もほかの季節に較べればわずかです。このことは、その後の明治大正に至り、領域が子供の歌に及んでも同じ傾向が見られます。文学にも季節があるのです。そしてその少ない夏の歌の周辺を窺えば、そんな中でも詠まれる歌の種類にはそれなりの必然があったことも分かります。

2 水に咲く花
  漢詩の世界では夏の花の双璧といえば薔薇と蓮です。どちらも大振りの豊かな花ですが、薔薇を華美の代表とすれば水に咲く蓮は清浄の象徴でしょう。南宋の詩人范成大(はんせいだい)は七言律詩「州宅堂前荷花[州宅堂前の荷花(かか)]」に花の姿を「*波の仙子(りょうはのせんし)」(*はさんずいに「凌」字の旁)、波に立つ仙女に譬えています。この題にある「荷花(かか)」が蓮の花のことです。永井荷風の筆名は「蓮の上を渡る風」の意になりましょう。紀元前1世紀に成ったとされる中国の古代の辞書『爾雅』には、この植物の本名として「荷(か)」、また「荷」は「芙渠(ふきょ)」、その茎は「茄(か)」、その実は「蓮(れん)」、その根は「藕(ぐう)」、その中は「的(てき)」であると説かれています。これに拠れば、今日表記に普通に用いられている「蓮」はもともとは蓮の実の意味であったということです。また蓮の漢名として「芙蓉」が使われることもあります。別に芙蓉というアオイ科の花もあり、紛らわしいのですが、植物としての特徴は明らかに異なりますから書物の中で取り違える心配はまずありません。

  蓮の魅力をよく語るものとして、北宋の学者周濂渓(しゅうれんけい)の「愛蓮説」が知られています。

  水陸草木の花、愛すべき者甚[はなはだ]だ蕃[おほ]し。晋の陶淵明
  は独り菊を愛す。李唐より来[このかた]、世人[せじん]甚だ牡丹を愛す。
  予、独り愛す、蓮の淤泥より出でて染まらず、清漣[せいれん]に濯[あら
   はれ妖[なまめ]かず、中通[とほ]り外直[なほ]く、蔓あらず、枝あ
  らず、香り遠[とほ]くして益々清く、亭亭として浄[きよ]く植[た]ち、
  遠[とほ]く観るべくして褻[な]れ翫[もてあそぶ]べからざるを。

  泥の中に生まれるのに泥に染まらず清らかであるというのは、蓮によく言われる美点です。先ほどの范成大の七言律詩の中でも頸聯(第五句と第六句)に次のようにあります。

  泥根玉雪元無染
  風葉青葱亦自香
    泥根[でいこん]玉雪[ぎよくせつ]元[もと]染まる無く
    風葉[ふうえふ]青葱[せいそう]
    亦[ま]た自[おのづ]から香[かんば]し

(水底の泥土に根を張っていても、美しく雪のように清らかな花はもとより泥の汚れに染まることなく、風に揺れる青い葉の間におのづから良い香りを漂わせている)

 蓮に清浄な美しさを見ることはそのまま我が国にも承け継がれました。


3 濁りに染まぬ
  蓮は日本の古典に見るときは「はちす」の名で呼ばれます。よく知られるように、花のあと、種を蓄える実の形が蜂の巣に似ていることからの命名です。扇と氷室(ひむろ)の氷くらいで亜熱帯の気候に耐えなければならなかった夏は、我が国の四季の中では冬の寒さより苦しい季節でした。『徒然草』(14世紀 吉田兼好)が「家の造りは夏向きにするのがよい、冬はいかようにも凌げる」と述べているのは有名ですが、古代から、空調が何とかなるようになる、ごく近世の時期まで、条件はさほどは変わらなかったはずです。炎暑の中、水辺に出て大きな翠の葉を眺め、わずかな風に葉の上をコロコロと転がる透きとおった水滴を眺めたりすることで、昔の人は涼を得ていました。『古今和歌集』にある遍昭の詠んだはちすは、そんな水辺の眺めを髣髴とさせて、10世紀の始めから今日に至るまで、夏歌の定番となりました。

  はちすの露をみて詠める
  はちす葉のにごりに染まぬ心もて なにかは露を珠とあざむく(165)

  美人にさまざまがいるように、美にはさまざまな種類があります。古代の言語や習俗を考察すると、古来日本人は手を掛け贅を凝らした美しさよりも、汚れや傷がないことの方に価値を置いていたことがわかります。造型的に優れているよりも汚(よご)れていないことの方が大事でした。上に見事な装飾を加えるよりも本体が無垢であることが、本物が汚れていないことの方が大事でした。年中行事にも半年ごとに「祓(はらえ)」があり、心身に積もった汚れを人形(ひとがた)に染(うつ)して身から離し、水を浴び、自ら祓い清めることを怠りませんでした。平安時代の和文脈(たとえば『源氏物語』など)に用いられた美的形容語のうち、最も高い評価を表すものは「きよら」です。清潔清浄であることが至上とされたのです。ですから、花で言えば妖艶な薔薇や牡丹より「濁りに染まぬ」蓮の花の方にもともとの指向としても高い価値を付与するところがありました(無論、個人的な花の好き嫌いはまた別のものでありますが)。そこに平安京の貴族の間で浄土信仰が盛んになると、極楽浄土に咲く花として、はちすにはさらに特別な価値も加わりました。

4 涼しき方へ
  蓮は仏教とは切り離すことの出来ない花です。仏教の開祖釈迦は、誕生とともにすぐに立ち歩かれた、その釈迦の足を置かれた地面から蓮は生まれ、北に向かって七歩歩まれた足跡からそれぞれ大輪の蓮が花開いた、そして釈迦は蓮の花(蓮華)にお立ちになって「天上天下唯我独尊」と初めての声を発された、と伝えられています。仏教の生まれた国インドでは、極楽浄土は蓮の花の形をしているという俗信もあるそうです。

  清少納言『枕草子』の「草は」の段には次のようにあります。

    はちす葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひにも、
   花は仏にたてまつり、実は数珠につらぬき、念仏して往生極楽の縁[えに
   し]とすればよ。また、花なき頃、みどりなる池の水に紅[くれなゐ]に
   咲きたるも、いとをかし。

  経典にある釈迦誕生の由来話や蓮華様の宇宙観などとは接点のない記事ですが、より現実的な視点に立って目の前の植物を讃えている様子が分かり、当時の信仰の空気もいくらかは分かる気がいたします。

  思い通りに行かないことの多い、複雑で煩わしい現世。愛別離苦の悩みに絶えず苛まれながら、どのようにしてこの苦しみに耐え、どのようにして逃れることができるのか、暗中でする手探りは平安朝の人も今日の私たちも基本的に変わるところはありません。この世のことがすべては思い通りにならない以上、人の心の方が、現実の事柄のありようを越えて、苦しみを超えるものでなければなりません。仏教の教えではこれを煩悩からの解脱と説いています。「すずし(現代語:涼しい)」という形容詞は暑さが意識されているところに用いられる言葉で、膚に感じる暑さが風や水や、また季節の推移によって、さっぱりと除かれるときの快い感覚を言います。このほかに平安時代においては、精神に雑念や執着がないすがすがしいさまを表しました。主に仏教に関連する場面で用いられる用法です。(「涼しき方(かた)」という表現は西方浄土を暗示します。)こう使われるということは、もとより心には暑苦しいばかりの迷いや悩みがまとわりついているということが前提になっているのは明らかです。煩悩からの解放が、心には涼しいと感じられる心地よさなのです。
蓮の花は、真夏の水に咲いて目に清涼なばかりでなく、御仏ゆかりの清浄な花として人の心を現世を越えた所にまで誘う、どちらの「すずし」にも通じた花でした。


  さて、先に御紹介した周濂渓の「愛蓮説」は花の魅力を述べた後に、次のように結んでいます。

    予謂[おも]へらく、菊は華の隠逸[いんいつ]なる者なり。牡丹は華
    の富貴なる者なり。蓮は華の君子なる者なりと。噫[ああ]、菊を愛する
    は、陶の後聞く有ること鮮[すくな]し。蓮を愛するは、予と同じき者何
    人[なんびと]ぞや。牡丹を愛するは、宜[むべ]なるかな衆[おほ]き
    こと。

  周濂渓、字は茂叔(もしゅく)、『大極図説』を著して宇宙生成の理を説いた哲学者でしたが、詩人の黄庭堅に「茂叔の胸中の洒落たる(さっぱりとしたところは)、光風霽月[せいげつ・雨上がりの空の明るい月]のごとし」と人格を評されています。

【文例】(※は本文中に記事あり)

[漢詩]

・※州宅堂前荷花  范成大(南宋)

 *波仙子静中芳 *はさんずいに「凌」字の旁
 也帯酣紅学酔粧
 有意十分開暁露
 無情一餉斂斜陽
 泥根玉雪元無染
 風葉青葱亦自香
 想得石湖花正好
 接天雲錦画船涼
  凌波[りようは]の仙子[せんし]
     静中[せいちゆう]に芳[かんば]し
  也[ま]た酣紅[かんこう]を帯びて
     酔粧[すいしやう]を学ぶ
  意有りて十分に暁露[げうろ]に開き
  情無くして一餉[いつしやう]に斜陽に斂[をさ]まる
  泥根[でいこん]玉雪[ぎよくせつ]元[もと]染まる無く
  風葉[ふうえふ]青葱[せいそう]
    亦[ま]た自[おのづ]から香[かんば]し
  想ひ得たり、石湖[せきこ]に
    花正[まさ]に好く
  天に接する雲錦[うんきん]に
    画船[ぐわせん]涼しきを

・ 臨湖亭  王維(唐)

 軽舸迎上客
 悠悠湖上来
 当軒対樽酒
 四面芙蓉開
  軽舸[けいか]上客を迎へ
  悠悠として湖の上[ほとり]へ来[きた]る
  軒に当たりて樽酒[そんしゆ]に対すれば
  四面[しめん]芙蓉[ふよう]開く
 註:「芙蓉」は「荷[か]・はす」の別名

・ 荷花  朱彝尊(しゅいそん・清)

 梁間巣燕幾曾来
竈下狸奴去不回
 猶有荷花憐旧雨
 年年一為主人開
  梁間[りやうかん]の巣燕[さうえん]幾曾[いつ]か来[きた]る
  竈下[さうか]の狸奴[りど・=猫]去りて回[かへ]らず
  猶[な]ほ荷花[かか]の旧雨[きうう]を憐[あは]れむ有りて
  年年一[ひと]たび主人の為に開く
 註:「旧雨」は「旧友」、音の通じていることによる。

・ 葉展影翻当砌月
 花開香散入簾風
  葉展[の]びては影翻[ひるがへ]る
     砌[みぎは]に当たれる月
  花開けては香[か]散ず
     簾に入る風
 『和漢朗詠集』176 白居易

・ 岸竹枝低応鳥宿
 潭荷葉動是魚遊
   岸竹[がんちく]条[えだ]低[た]れり
     鳥の宿[い]ぬるなるべし
   潭荷[たんか]葉動く
     これ魚[うを]の遊ぶならむ
『和漢朗詠集』178 紀在昌


早朝の庭

[和歌]

・※はちす葉のにごりに染[し]まぬ心もて
 なにかは露を珠[たま]とあざむく
   『古今和歌集』165 遍昭

・風吹けば蓮[はす]の浮葉[うきば]に玉こえて
 涼しくなりぬ蜩[ひぐらし]の声
   『金葉和歌集』145 源俊頼

・わが息を芙蓉の風にたとへますな
 十三絃をひと息に切る
  与謝野晶子(『恋衣』明治38年)

・ひつじ草花さくいけを庭に見て
 夏もあつさをしらぬやどかな
   阪正臣(『三拙集』昭和2年)

・はすの花をらむとすれば葉かげより
 あきつとびたつ庭のいけ水
  阪正臣(『三拙集』昭和2年)

・花はちすいとしも色のきよかれと
 一[ひと]むらさめや降りかゝるらむ
  比田井小琴(『をごとのちり』昭和9年)

[散文]

?※「愛蓮説」  周濂渓

 水陸艸木之花、可愛者甚蕃。晋陶淵明独愛菊。自李唐来、世人甚愛
 牡丹。予独愛蓮之出淤泥而不染、濯清漣而不妖、中通外直、不蔓不枝
 香遠益清、亭亭浄植、可遠観而不可褻翫焉。
  水陸草木の花、愛すべき者甚[はなはだ]だ蕃[おほ]し。晋の
  陶淵明は独り菊を愛す。李唐より来[このかた]、世人[せじん]
  甚だ牡丹を愛す。予、独り愛す、蓮の淤泥[おでい]より出でて染
  まらず、清漣[せいれん]に濯[あら]はれて妖[なまめ]かず、
  中通[とほ]り外直[なほ]く、蔓あらず、枝あらず、香り遠
  [とほ]くして益々清く、亭亭として浄[きよ]く植[た]ち、遠
  [とほ]く観るべくして褻[な]れ翫[もてあそぶ]べからざるを。
 予謂、菊花之隠逸者也。牡丹花之富貴者也。蓮花之君子者也。噫、菊
 之愛、陶後鮮有聞。蓮之愛、同予者何人。牡丹之愛、宜乎衆矣。
  予謂[おも]へらく、菊は華の隠逸[いんいつ]なる者なり。牡丹
  は華の富貴なる者なり。蓮は華の君子なる者なりと。噫[ああ]、
  菊を愛するは、陶の後聞く有ること鮮[すくな]し。蓮を愛するは、
  予と同じき者何人[なんびと]ぞや。牡丹を愛するは、宜[むべ]
  なるかな衆[おほ]きこと。

・※はちす葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし。妙法蓮華のたとひ
にも、花は仏にたてまつり、実は数珠につらぬき、念仏して往生極
楽の縁とすればよ。また、花なき頃、みどりなる池の水に紅に咲き
たるも、いとをかし。  『枕草子』六十六

[近現代詩]

・睡蓮の歌 薄田淳介(薄田泣菫)
    (『白羊宮』明治39年)
 水うはぬるむ水無月の
 夏かげくらき隠[こも]り沼[ぬ]に、
 花こそひらけ、観法[くわんぽふ]の
 日を睡蓮のかた笑[ゑま]ひ。

 しろがね色の花萼[はなぶさ]に、
 一*[いちず]のかをり焚[た]きくゆる (*は火扁に「主」字)
 蘂[しべ]は、ひめもす薫習[くんじふ]の
 沼[ぬ]の気に染[し]みてたゆたひぬ。

 たたなはる葉のひまびまに、
 ほのめきゆらぐ未敷蓮[むふれん]の
 ひとつびとつは、後[のち]の日を
 この日につなぐ願[ぐわん]ならし。

 夕[ゆふべ]となれば、水[み]がくれの
 阿摩[あま]なる姫がふところに、
 ひと日[ひ]を、やがて現想[げんさう]の
 うまし眠りに隠[かく]ろひぬ。

 沼[ぬ]にひとりなる法子児[はふしご]の
 翡翠[かたそひ]ならで、くだちゆく
 如法[によはう]闇夜[あんや]に、睡蓮の
 聖[ひじ]り世[よ]を、誰[た]がしのぶべき。


睡蓮(未草・ひつじぐさ)

・八月の石にすがりて  伊東静雄(「夏花」昭和15年)

 八月の石にすがりて
 さち多き蝶[てふ]ぞ、いま、息たゆる。
 わが運命[さだめ]を知りしのち、
 たれかよくこの烈しき
 夏の陽光のなかに生きむ。

 運命? さなり、
 ああわれら自ら孤寂[こせき]なる発光体なり!
 白き外部世界なり。

 見よや、太陽はかしこに
 わづかにおのれがためにこそ
 深く、美しき木蔭をつくれ。
 われも亦
 雪原に倒れふし、飢ゑにかげりて、
 青[あを]みし狼[おほかみ]の目を
 しばし夢みむ。

・ 夏花の歌  立原道造(「萱草[わすれぐさ]に寄す」昭和12年)

 空と牧場のあひだから ひとつの雲が湧きおこり
 小川の水面に かげをおとす
 水の底には ひとつの魚が
 身をくねらせて 日に光る

 それはあの日の夏のこと
 いつの日にか もう返らない夢のひととき
 黙った僕らは 足に藻草をからませて
 ふたつの影を ずるさうにながれにまかせ揺らせてゐた

 ・・・・・・小川の水のせせらぎは
 けふもあの日とかはらずに
 風にさやさや ささやいてゐる

 あの日のをとめのほほゑみは
 なぜだか 僕は知らないけれど
 しかし かたくつめたく 横顔ばかり

・ ※※麦藁帽子[むぎわらばうし]  立原道造

 八月の金[きん]と緑の微風[そよかぜ]のなかで
 眼に沁みる爽[さは]やかな麦藁帽子は
 黄いろな 淡[あは]い 花々のやうだ
 甘いにほひと光とにみちて
 それらの花が咲きにほふとき
 蝶よりも 小鳥らよりも
 もつと優しい生き物たちが挨拶する

[唱歌・童謡]

・葡萄[ぶだう]の実  都築益世(「赤い鳥」大正9年)

 紫葡萄、
 ガラスの実、
 落とすとあぶない、
 けがするぞ、
 帽子ですうと、
 受けてとれ。

・ 正午  三木露風(「こども雑誌」大正9年)

 わたしが見たのは昼の夢。

 薔薇の木が、焼けて、
 薔薇の花が、焦げる。

・ 王様の家、
 火事だ。

 薔薇の木が、焼けて、
 薔薇の花が、焦げる。

・ わたしが、見たのは、昼の夢。
 蝉がじりじり、
 ないてゐる。

・ 夏  佐藤義美(「童話」大正14年)

 いつ咲いた
  雛菊[ひなぎく]
夏がきたの

 山、路
 青葉[あをば]
 遠海[とほうみ]よ

 かあさんは
 雛菊
 すきだつた
 
 わたしは
 海が
 すきだつた


みやは初めての夏で、ややバテ気味です。
早朝、庭で殻から抜け出た蝉が飛び立つのを見物し、
御飯を食べたら、涼しくなるまで長い昼寝です。
いつ本を読んでいるのか、このところ現場に出会いません。
もしやなまけているのでは?

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