2009年8月17日

第64回 立秋:涼風 夏日 青山 胡蝶 夏蝶 夏の花 月見草 蜻蛉 とんぼ

第64回【目次】
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    * 漢詩
    * 和歌
    * 訳詩・近現代詩
    * 唱歌・童謡
    * みやとひたち

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1 涼しき風

  残暑お伺い申し上げます。からりと元気な夏らしい日の少ないまま8月7日に立秋を迎えました。立秋を過ぎてからこの数日ばかりは暑い晴天が続いていますが、天候不順の年になりましたね。

  このまま夏は過ぎてしまうのでしょうか。気をつけて見ると、「暦の上」の秋は現実の気候にもうたしかに秋らしく現れています。

  まず日が短くなって来たことが実感されます。
  日昼の長さが最も長い夏至は6月下旬、例年わが国では梅雨の最中になります(今年のカレンダーでは6月21日でした)。せっかくの昼の長さも雨に降り籠められて、さしてありがたみが分からないまま過ごしてしまっているのですが、夕方6時頃はまだ明るく、夜がゆっくり来るなあという感覚は、梅雨の日にもたびたび覚えたことでした。それが、8月も半ばになった現在、夕方6時はもう夜の始まりです。

       
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  夜風がすっきりと涼しくなって来ました。昼間はいかにも夏の続きですが、日が落ちるともう本当の夏が過ぎたことは明らかです。


   夏と秋と行きかふ空のかよひ路は片方(かたへ)涼しき風や吹くらむ
                    凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
  (この日、この今、去りゆく夏とやって来る秋が行きちがうという上空の風の通り道
   には、片側にもう涼しい秋風が吹いていることだろう)

  『古今和歌集』の夏の最後の歌です。詞書(ことばがき)に「水無月の晦日(つごもり)の日」と日付があります(今年のカレンダーに重ねると8月19日です)。陰暦の暦の上ではこれが夏の最終日。翌日文月(ふづき:陰暦7月)1日は秋になります。今年のカレンダー上で計算すると、陰暦7月1日は現8月20日になりますから、ちょうど今頃です。上空の風の通り道の片側にはもう涼しい風が吹いているだろうと歌うこの土台には、『礼記』(月令)をはじめとする漢籍の通例「(秋の始まりは)涼風至る」があることは言うまでもありません。一夜明ければ秋なのです。

       
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  立秋の頃というのは、盛りの過ぎた夏に秋の気配がたち混じる複雑な様相が自然現象にあらわれる時期であり、もともとそうした二つのものの混じり合いから季節の交代に向かう時期として捉えられていたようです。上空をすれ違って行くという季節の交代はもちろん形而上の景色ですが、躬恒の歌は更に『礼記』や『白氏文集』の古典(いにしえぶみ)の定石を踏みながら実に易しい言葉遣いでさらりと詠んでいます。

  『古今和歌集』の特徴の一つとされるのがこうした理智的な読み口です。ゆき過ぎれば陳腐な理屈になってしまうこの方法は加減が命です。『古今和歌集』の代表歌人とされる紀貫之(きのつらゆき)や凡河内躬恒、また女流の伊勢(いせ:宇多天皇女御温子に仕えた女房)と言った人々はみな達者にこれを操りました。理路に沿って詠んでかつみずみずしい抒情の世界に歌を留めることができたのは、やはり格段の詩才のなせる業です。

        
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  『古今和歌集』は初めての勅撰和歌集の試みでしたが、撰者の趣味と時代の高い文化水準とによって、たまたまそうした天才を集めた歌集になりました。この歌集のあらゆる特徴はそれぞれの方面の魅力と言い換えて間違いないと思います。しかし人には好き嫌いがあり、好き嫌いだけはどうすることも出来ません。明治31年2月から3月にかけて、10回に渡って発表された正岡子規の「歌よみに与ふる書」が強烈な『古今和歌集』非難であったことは知られるとおりです。

        
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 「再び歌よみに与ふる書」(「歌よみに与ふる書」第2回:明治31年2月14日)の冒頭は「貫之は下手な歌詠みにて『古今集』はくだらぬ集に有之候(これあり候ふ)」と始まります。

 「三たび歌よみに与ふる書」(「歌よみに与ふる書」第3回:明治31年2月18日)では「歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またと無之候(これなく候ふ)。」と来ます。

  その五回目「五たび歌よみに与ふる書」(「歌よみに与ふる書」第5回:明治31年2月23日)」には先の「夏と秋と...」の歌の作者 凡河内躬恒のことも出てきます。「心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花」の歌を引き、その大仰すぎる比喩は比喩ではなく「嘘」であると難じ、比較して大伴家持の比喩は全くの架空であることで詩として認められるという趣旨です。

 「この躬恒の歌、百人一首にあれば誰も口ずさみ候へども、一文半文のねうちも無之(これなき)駄歌に御座候。この歌は嘘の趣向なり、初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣(きづかひ)無之候。趣向嘘なれば趣も糸瓜(へちま)も有之不申(これありまうさず)、けだしそれはつまらぬ嘘なるからにつまらぬにて、上手な嘘は面白く候。例へば「鵲(かささぎ)のわたせる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更(ふ)けにける」面白く候。躬恒のは瑣細(ささい)な事をやたらに仰山に述べたのみなれば無趣味なれども、家持(やかもち)のは全くない事を空想で現はして見せたる故面白く被感(かんぜられ)候。嘘を詠むなら全くない事、とてつもなき嘘を詠むべし、しからざればありのままに正直に詠むがよろしく候。雀が舌を剪(き)られたとか、狸(たぬき)が婆(ばば)に化けたなどの嘘は面白く候。今朝は霜がふつて白菊が見えんなどと、真面目らしく人を欺く仰山的の嘘は極めて殺風景に御座候。」

       
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  大伴家持は子規が評価する『万葉集』の代表的歌人です。『万葉集』の編纂に自ら関与したと推定され、もっとも多くの歌数を収める歌人ですが、その歌風はいわゆる万葉調ではなく、すでに繊細な『古今和歌集』のセンスであることは、何度かここでも御紹介したとおりです(連載第5回 桜の前に ほか)。

  「歌よみに与ふる書」は第十回までがすべてこんな調子ですから、これはそもそも「歌よみ」をあるいは世間を挑発する論調であることは明らかです。子規は論戦を望んだのだったでしょう。当時の古典派の歌人達がこれに正面から応じなかったのはまことに惜しく、残念に思われます。

  しかし、子規の論は激烈過ぎる表現のせいで私にはかえって全部が本音とはどうしても思えないのです。『古今集』の歌人達なら相手を誘い込むにしてももう少しうまくものを言っただろうと思われます。絶妙の加減を駆使できる人々でしたから。

       
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2 目にはさやかに見えねども

  さあ夏は行き、空に秋風は流れて来ました。『古今和歌集』の秋の第一首は御存じのこの歌です。

   秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
                              藤原敏行朝臣

  ぼんやりしていたら、簾が、あるいは庭の小枝がそよと風に鳴った、その小さなもの音にはっとして、ああ秋の気配だ、と気づいた人の歌です。

  詞書に「秋立日(秋立つ日=立秋)よめる」とあります。立秋が来て、人は「秋は来ているはずだ」とまず決めるのですから、この歌も実は形而上の決めごとが前提です。季節が暦とともに移ること、季節は気の動き、風の動きでまず現れると考えられていたこと、こうした決まりごとに添って詠まれている点は、理詰めの躬恒の歌と立場はまったく変わりません。にもかかわらず、この歌は涼風という心地好い実感的素材をそのまま表に出していることで、きわめて素朴な印象を与えます。

  目にはっきりそれとは見えない秋の到来を気づかせた、という風の音、これはビュービュー吹く大風ではないはずなので、風に動かされる物が立てる幽(かす)かな物音と取るべきでしょう。類似の意匠の歌を見ると、風で動く簾の音、軒端近い木の枝、植物の音などであることが多いようです。「おどろく」という動詞は古典語でははっと我にかえる意識の動きを表します。うたた寝から目醒めるという時によく使われました。現代語でいうびっくり驚く驚愕ではないのです。

        
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  このように、この歌も厳密には写生の歌ではありません。しかし『古今和歌集』がこういう造りの歌ばかりであったら、子規はまた別の難を考えなければならなかったことでしょう。


      
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  雨の災害に加えて度々の地震まであって、各地に甚大な被害も出ており、報道を見るにつけ自然と夏の遊びも慎まれます。今年は遠出をする気になれないません。いつもの年よりなおしめやかな気持ちで旧盆の入りから15日の敗戦記念日を迎えました。このあとに穏やかなよい秋が来ることを祈らずにいられません。ともあれ、残暑の折、皆さま何卒お身体をおいとい下さい。

        
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【文例】 漢詩・漢文

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