2010年8月23日

第88回 晩夏猛暑:夏 処暑 涼味 涼しさ 寺田寅彦『備忘録』

第88回【目次】         
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    * 和歌
    * 散文
    * 訳詩・近現代詩
    * みやとひたち



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1 処暑 

  8月7日に立秋を迎えております。23日は処暑(しょしょ)。『暦便覧』に拠れば「陽気とどまりて、初めて退きやまんとすればなり」。「処暑」という言葉は暑さが止むという意味なのです。暦の上では去りゆく夏を懐かしむ時期にさしかかって参りましたが、名残惜しいとは思いにくくする厳しい残暑のこの頃です。

     
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  我が国の気候の中で夏が最もしのぎにくい季節であることは『万葉集』時代からの古典的事実ですが、この季節ならではの強烈な魅力があることも事実で、先回にはそうした例文に触れました。

      
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  しかし、その魔物に魅せられるように夏に惹かれる趣味とは別に、実に素直に夏が好きだという場合もあります。知られた人の中では、「貧血性の冷え症」であったという寺田寅彦が折々夏を好むと書いていました。タイトルもそのまま「夏」という一文から御紹介しましょう。

   昼間暑い盛りに軽い機械的な調べ仕事をするのも気持ちがいい。あまり頭を
  使わないで、そしてすればするだけ少しずつ結果があがって行くから知らず知
  らず時を忘れ暑さを忘れる。

   陶然として酔うという心持ちはどんなものだか下戸(げこ)の自分にはよく
  わからない。少なくも酒によっては味わえない。しかし暑い盛りに軽い仕事を
  して頭のぼうっとした時の快感がちょうどこの陶然たる微酔の感と同様なもの
  ではないかと思われる。そんなとき蝉でもたくさん来て鳴いてくれるといいの
  であろうが、このへんにはこの夏のオーケストラがいないで残念である。

   喫茶店の清潔なテーブルへすわって熱いコーヒーを飲むのも盛夏の候にしく
  ものはない。銀器の光、ガラス器のきらめき、一輪ざしの草花、それに蜜蜂の
  うなりに似たファンの楽音、ちょうどそれは「フォーヌの午後」に表わされた
  心持ちである。ドビュッシーはおそらく貧血性の冷え症ではないかと想像され
  る。(後略)

  註  フォーヌ:牧神

     
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   夕立の来そうな晩ひとり二階の窓に腰かけて雲の変化を見るのも楽しいもの
  である。そういう時の雲の運動はきわめて複雑である。方向も速度も急激に変
  化する。稲妻でもすればさらにおもしろい。いかなる花火もこの天工のものに
  は及ばない。
   来そうな夕立がいつまでも来ない。十二時も過ぎて床にはいって眠る。夜中
  に沛然(はいぜん)たる雨の音で目がさめる。およそこの人生に一文も金がか
  からず、無条件に理屈なしに楽しいものがあるとすれば、おそらくこの時の雨
  の音などがその一つでなければならない。これは夏のきらいな人にとってもた
  ぶん同じであろうと思う。

   冬を享楽するのには健康な金持ちでなければできない、それに文化的の設備
  が入用である。これに反して夏は貧血症の貧乏人の楽園であり自然の子の天地
  である。
                 「夏」(寺田寅彦『備忘録』収録)より抜粋

  そう言われれば分かる感覚はあるものの、暑さの盛り、仕事で頭のぼうっとした時が「快感」であり、「陶然として酔うという心持ち」と同様かというのは何ということでしょう。夕立を待ちわびて寝て、夜中に目が覚めて聴く「沛然たる雨の音」を「無条件に理屈なしに楽しいもの」とする、何ということでしょう。俗な享楽を楽しまない筆者の個性が面白く分かるところです。

      
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2 涼味

      
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  こよなく夏を愛した寺田寅彦ですが、ただ炎熱を好んだというわけでないことは先の文章でも御覧の通りです。この夏の好ましいさまざまな風情の中には、涼を求めることも入っているのです。同じく『備忘録』から「涼味」と題した部分を御紹介しましょう。

   涼しいという言葉の意味は存外複雑である。もちろん単に気温の低い事を意味
  するのではない。継続する暑さが短時間減退する場合の感覚をさして言うものと
  も一応は解釈される。しかし盛夏の候に涼味として享楽されるものはむしろ高温
  度と低温度の急激な交錯であるように見える。たとえば暑中氷倉の中に一時間も
  はいっているのは涼しさでなくて無気味な寒さである。扇風機の間断なき風は決
  して涼しいものではない。

   夏の山路を歩いていると暑い空気のかたまりと冷たい空気のかたまりとが複雑
  に混合しているのを感じる。そのかたまりの一つ一つの粒が大きい事もあるし小
  さい事もある。この粒の大きさの適当である時に最大の涼味を感じさせるようで
  ある。しかしまだこの意味での涼味の定量的研究をした学者はない。これは気象
  学者と生理学者の共同研究題目として興味あるものであろう。

      
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   倉庫や地下室の中の空気は温度がほとんど均等でこのような寒暑の粒の交錯が
  ない、つまり空気が死んでいる。これに反して山中の空気は生きている。温度の
  不均等から複雑な熱の交換が行なわれている。われわれの皮膚の神経は時間的に
  も空間的にも複雑な刺激を受ける。その刺激のために生ずる特殊の感覚がいわゆ
  る涼しさであろう。

  このあたりの考察には自然科学者らしい理屈と、なにがしか自然をも超越したような空気が漂います。物理学者であり俳人としても知られた筆者のものの見方が分かりやすく表れているような気がいたします。

      
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  間もなく処暑を迎える頃となっても熱帯夜は続き、報道される天候は全国的に相変わらず最高気温35度に迫り、あるいは越える勢いです。寺田先生も仰るとおり、涼しさとは気温そのものに拠るものではありませんが、涼味を求めることさえ面倒になるような暑さではあります。何卒お身体をおいとい下さい。

      
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【文例】 和歌

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