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比田井天来

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第24回 オタモイの船遊び / 宇野静山

門人の証言

比田井天来の妻、小琴は「たびかがみ」という旅日記を残しました。その中に昭和11年の北海道旅行の際、オタモイへ行ったという記録があります。(たびかがみの70回から78回までと88回) 今回ご紹介するのは、招待者側の貴重な証言です。

第24回 オタモイの船遊び/宇野静山

それは昭和十一年の年であった。天来先生の書会が小樽で聞かれた時、長谷川東邦君と計り一日をオタモイにご案内することになった。小琴先生もご一緒であった。

オタモイは天下の景勝地。そこの竜宮閣で時を過ごしたあと、帰りは趣向を変えて船で小樽港へ、そして海から海岸の絶景をご覧頂こうということになった。なんとか漁夫の船にでもと思い崖を下りて海辺に出た。やがて運よく小樽へ行く艀船あり、それに乗せてもらうことになった。

空は晴れて海は凪いでいた。船の土間に坐るというおそまつなことであったが、ポンポソ蒸気船ののどかな快音を耳にしながら、野趣に充ちた船路を楽しむうち、やがて祝津の燈台のあたりにさしかかった頃から、急に風が強くなり、波はひどく荒れて来た。いつか空も荒模様となって来た。船頭は小樽行きを断念して進路を変えて、船を燈台下に向けた。そこへ突然に、大きな横波が襲った。ポンポン蒸気と艀船をつないでいたあの強靭な太いロープが、この一発の横波でプッツリ切れてしまった。さあ大変、船頭は綱をたぐって繋ごうとあせるがなかなか。親船から見放された船は荒波に翻弄されて、本の葉の様に揺れる。しぶきは土間に飛散する。

たまたま祝津の漁民が数人岸に出て、着岸は無理だから小樽に行けと叫ぶ。いや小樽は危険だからここへ着けろと叫ぶ。二様の叫声が、荒波と強風に交錯して乱れ飛び、一層、気を顛倒させる。天来先生は、土間にしっかと両手を張っておられ、小琴先生も天来先生に寄添うて必死と船にすがる。やがて、海岸の漁民は長い竿を持ってきて船を岸に寄せようと懸命になる。而し船は中々つかまらぬ。船頭も夢中になって何やら叫ぶ。なす術もない我々は只々祈る気持であった。やがて、漸くにして、兎も角、接岸に成功した。

さて上陸はしたが、そこは道なき崖。私と東邦君は。ハンドをはずしてつなぎ、それにすがっていただいて先生をお上げしたのであった。そしてやっと祝津の燈台にはいあがった先生は、さすがに今までの苦難をホッとしたお気持ちでかみしめられたのであらう。遠く小樽港の彼方見やって、白波が岸の方に打寄せるのをじっとご覧になり、「アレ、あれを白田宍が飛ぶというのだョ」と優しく傍の小琴先生に、指さされたのであった。

オモタイに行きつる帰るさに

しろうまの飛ぶといふなる荒波のたけり狂うか船の行くてに

これはその時の小琴先生のお歌であった。この歌ある限り、あの燈台下の状景はいつまでも消えることのない想い出となったに違いない。

中訳ないことをした想いが今も胸をつく。東邦君はあの時死を思ったという。彼はカナヅチである。北の果ての燈台下で先生と絶えるのであれば本望と観念したという。私は幸い泳げる。顛覆したら一時は沈むが、必ず一度浮上るもの、その途上でズボンや服を説いで身軽になるつもりだったと東邦君に語ったそうだ。

翌十二年に大日本書道院第一回展が聞かれた。天来先生の単独審査であった。私は懐素の自叙帖を長条幅で出品した。美術館裏口の受付所へ行ったら天来先生お一人でおられたのでビックリした。先生がこんな所にと不思議だった。懐には手拭かなにか入れておられたのか、ふくらんでいてきちんと着こなしたというお姿ではない。袴はつけておられたが村夫子然としたこのご様子にも驚いた。先生はその場で書道界に対する抱負など色々お話して下さった。慈父の様な諄々としたお話に末席弟子の私はボーッとなっていた。やがて会場を案内して下さって、私の作品の前で「中々よく出来ている。どんな筆で書いたの?」そして「何書いてもうまい。今度自運をやって見なさい。」と仰ったお言葉が今も生々しく脳裏に焼付いている。そして誤字があったので位一等を下げて銅賞にしたョと仰った。この時の金賞は、仮名の田中塊堂先生お一人。漢字は銀賞が最高だったので、たいへんな光栄と思った。

先生は手本はいっさい書かれなかった。ただ法帖を指定するだけ。清書には仁義礼智信の評点がつき、悪い字には朱でその字全部を黒の上に書かれた。私には批評やこの朱文字が有難く、ためつすかしつそれを習った。一発で仁を頂くとすぐ次の帖を指示された。師範生の頃先生をお尋ねしたことがある。書斎の右方に毛髭が敷かれ、大きな紙に碑文だろうか、大字で籠書きされたのが山をなしていた。先生でもこんなにしくじるのかなアとその時思った。先生は今お手紙を書いている最中。巻紙にゆっくりと書いておられて、私は手紙などはサラサラッと書くと思っていたので、非常に意外に思った。今なら、名人なればこそ一層一字にも心するのは当然と思うが、その時は不思議な気がした。

その時お土産に学書筌蹄第一揖を一冊頂いた。当時貧乏学生の私には手の届かぬものだったのでとても嬉しかった。今はボロボロになってしまったが、この一冊には今なお、先生の温かいおもいやりがこもっている様に思われて貴重に感ぜられるのである。

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