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第10回 「天来先生と黒木御所」 / 岸田大江

門人の証言

昭和11年、天来は小琴と次男南谷、田中雄太郎をともない、出雲から隠岐へ旅をしました。一行を案内した岸田大江氏の手記には、その旅の様子が詳細に記されていますので、三回に分けてご紹介します。 なお、この旅行の詳細は、終了した連載「たびかがみ-昭和初期のフォト紀行」100回から125回に、小琴の撮影した写真とともに紹介されてますので、こちらもご覧下さい。

第10回 「天来先生と黒木御所」/岸田大江

中央が天来、右は岸田大江、左は中井黙蛙、その後ろは比田井清衛(天来の兄)。

朝靄をついて隠岐丸はようやく別府湾に入港した。昭和11年8月27日の早暁5時である。湾内は昨夜の時化も知らぬげに、船のエンジンの響きも遠くにさえ聴かれ、静寂そのもので、冷々としたものを覚える。焼火もわずかに嶺のみ見せて、靄の中にある。今日も素晴らしいさわやかな天気である。

天来・小琴両先生は打ち連れて甲板に立ち、明け行く島前の島山を和やかに見つめておられる。侍す鈴子の指す方に、時々うなずきながら。

船に餌をもとめて黒波を立て、よせては銀鱗にはねるチヌの群に、ボーイが釣り糸を垂れては釣り上げて、お客に見せている。ウロコヲ立て、甲板にはねまわるチヌがよほど気に召したらしく、南谷曹子はもの珍しげに鹿川を相手にかがみこんで、これをつつきながら大喜びしている。まったくおもしろいほど釣れる。大きな三年子だ。側へやってきた島民の一人らしく「隠岐ではチヌは不浄の魚といわれ、客も食べれば泊まりを断りますよ」などと話しておもしろく聴かせている。離島の情緒は、はやあたりに漂い、隠岐についたことが何か胸にしみてくる。

がやがやと聞こえる声にふりむくと、埠頭からランチが今、上陸者を迎えにきたところだった。浦卿小学校の若林校長や黒木村長の安藤剛氏の顔も見え、元気な安藤奉讃会長の声も聞こえる。別府の有志のこぞっての出迎えである。

船頭も、上陸する観光の人たちも「エライ方のおいでだぞう!真中をあけんか」と叫ぶ近藤助役の大声に、ものめずらしくあおぐ中を、一行はランチの真中に座を与えられた。

埠頭は早朝とはいえ、ひなびた宿の客引きや船子のドラ声、先生を向かえる人たちでごったかえしている。私は喧騒というよりは、その中に敬虔なものを感じ、涙が出そうで、嬉しくて仕方がなかった。

ここは元弘の昔、醍醐の帝が中興の雄図を秘めて御上陸、御座所とされた旧跡黒木の地だ。その地元、今ここに芸術書道の巨人、天来翁夫妻の来遊を得たのだ。靄に浮かぶ隠岐の島影や飛び来る鴎にも何かこころあって迎えるごとく暗示をさえうける私であった。

宿舎は埠頭より五十メートルしか離れていない別府公会堂、至誠館だ。かねて「旅館でなく寺院か何か静かに遊べるところをたのむ」との先生のご意向を考えて、若林校長や安藤氏たちが配慮してくれたところとて、湾を一望におさめて港に望み、眺望絶佳、朝夕二回の寄航する隠岐丸の出入りの外は全く静寂であり、部屋又極めて簡素である。何より便利なのがありがたい。

小琴先生のご満足は、二階の日本間の回廊に立って「おおきれい!一寸お父様着てごらんなさいませ」の一語によって嬉しく知れた。「こんな別荘をもったら神経衰弱にもならんですむだろうなア」と大笑される天来翁の喜びようは、全く子供のような響きをもっていた。

竹並旅館から運び込む食事は孤島のそれだけに妻の作る毎日のそれの如くであり、「東京の方のお口に合うまい」と恐縮する若林校長や竹並の主人のこころを酌んでか「旅行して降参するのは、どこへ行っても同じ旅館の食事ですよ。魚は新しいのにかぎりますよ。」ひらすら鮮度に舌鼓打たれるご夫妻に、年老いた女中と安堵したか、ヒソヒソ話にも「えらい先生ですよ」と語り仰いでいた。

昼食も簡単にすませた午後一時、黒木御所に参拝された。案内役は村長に校長、そして助役に、説明約として年来黒木御所顕彰に献身されている安藤猪太郎氏が当られた。

黒木御所に参拝、元弘の雄図を偲ばれ御座所の跡やらお局屋敷、せまいながらも当時をしのばれる地形、はては逃亡を警戒しての番兵の屯したと伝える見付島など、隠岐の守護の追及のきびしく不自由の朝夕を過ごし給いし名残のあとに涙をよび、又村上水軍や名和の海族衆の忠誠、兇賊の加える不断の圧力をものとも述ばさず計り給いしことの昔語り、更に英雄に在せし天皇の画策の雄大にして見事なる御左右のことども、文献を引き口俾を述べて余すことなく眉間に血涙を飛ばして語る安藤奉讃会長の純一無雑の研究は、慕いまつり守り申して今日に及んだ島人の至誠を語る言葉ともうけとれ、鬱蒼としげる古松の梢に鳴る風にも似て、まことすさまじいものにさえ思え、思わず襟を正す私であった。その一語一句にうなづかれる両先生の眼にいつしか光る露」があった。小琴先生はこの時の感動を、のちほど安藤氏の差し出す参拝者芳名禄に

むかしおもうすめらぎ山のちり松葉ふむもかしこきこゝちこそすれ

と、天来先生に続いて素直に書き流された。それは私達の感動をも表わされてるような気がしてありがたかった。

第10回 「天来先生と黒木御所」/岸田大江

この両先生を中心とした天皇山の感激は永久に消えないものとなり、いつでもこの胸に生き生きとよみがえるのだ。二時を下ってようやく天皇山を辞した一行 は宿に小憩後、国賀に若林氏の案内を受けた。向かうハイヤーの中もなお両先生は始終寡言、寂然としてこの感動をかみしめておられる風に拝した。やっぱり南谷曹子は元気がいい。若鹿のそれのように、車を停めては愛用のカメラにはしゃいでいる。「いいなあ」と思った。

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