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比田井天来

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第17回 君子は豹変する / 田中一誠

門人の証言

田中一誠氏の最終回、写真は大日本書道院展での集合写真です。 比田井天来をたたえるのではなく、実際に経験したことを素直に書いてくださっていて、伝えられている事跡が実際はどうだったのか、よくわかります。

第17回 君子は豹変する/田中一誠江

大正12年9月1日の関東大震災で、鎌倉も被害が甚だしかったが、天来先生のお邸も私の家も、幸いにも火災はまぬがれたが、ペチャンコになってしまった。

先生はこれにだいぶショックを受けられ、さっそく疎開を決意し、毎日のように私の家へ見えられて、疎開地のことについて父と相談しておった。それが、昨日は出雲といったかと思うと、今日は、奈良にしようといったふうに、毎日変わるので、私は「君子は豹変する」の古諺を思い出したが、よくもこのように毎日よく変るものだと、当時の私は感心したり、あきれたものであった。

まもなく、先生の生家の信州小諸にほど近い上田に決定し、天来先生も父もそこへ非難疎開した。

信州は上田に住まれること1年あまり、やがて、東京は代々木初台へ転住されたのであるが、天来先生の晩年の絢爛たる半生の活動が、この時から展開され、揮毫に出版に、また教授にはなばなしいものがあった。昭和3年、参宮橋近くの山谷に書学院が建設された。次いで昭和12年、日華事変勃発前に、帝国芸術院創立に伴い、書道部門から天来先生と尾上柴舟博士がその初代会員に推され、ここに天来翁の令名頓に天下に広まったのであった。書道愛好者で全国から先生を慕って集まる若者が俄然多くなり、門前正に列をなすという盛況ぶりであった。

次いで弟子たちからの熱望もあって「大日本書道院」を結成し、第1回書道展を上野の府美術館で開催、これに先立って「書勢」「書道春秋」「実用書道」と次から次と、先生主宰の下に書学院から刊行され、まことに多彩なものがあったが、忽ち数刊を出でずして、平凡社へその出版権を移譲したのであった。

先生は、書道出品作を審査するに当り、弟子たちの自薦他薦でほとほと弱りきって「展覧会などやるものではない」といって、名誉欲をまざまざと見せつけられたようであった。

私は「書道春秋」の取材の目的で、当代紳商として誉れ高き渋沢栄一子爵を、飛鳥山のお邸へお訪ねしたことがあった。渋沢先生は、論語研究家で有名な方であり、また、書道の愛好者でもあって、孫過庭書譜の臨書は、書家が口をそろえて賞賛したくらいの手腕をもっておられたのであった。

70歳を超えていた老子爵は、毎日午前中に十数人の来訪者に面会されていたようであるが、3日前の面会者と会談の内容を記憶しておりますといわれたので、その明晰な頭脳と強記には驚いた。ところが、面会終って玄関まで、若僧の私をわざわざ見送られたのには、二度びっくりした。このことを実業之日本編集長をしておられた藤原楚水先生に申し上げたところが、「来訪者を玄関まで見送られる名士が三人ある。それは、大隈重信公爵と渋沢子爵、それから比田井天来翁である」といわれた。

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