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第20回 絹の着物を着なかった話⑵ / 高石峯

門人の証言

高石峯は韓国に帰国してから、天来先生の方へ足を向けては眠れない、と語ったと言います。天来のそばで、ひたむきに生きたさまがうかがえます。

第20回 絹の着物を着なかった話⑵/高石峯

中央が比田井小琴、左は桑原翠邦、右は高石峯。

ある日、天来先生のところへ大変な金持ちさんがお見えになったことがあります。今から三十年も前のことでありますが、立派な洋服を着て時計を入れておりました。その時計のくさりが金で、まるで十匁くらいはあったかと思います。そしてこのメタルを印材に作って10センチ以上、20センチくらいの長さのもとをぶら下げている。金ぶちのめがねをかけて、指輪の太いやつをはめて、金ピカリできたのであります。ここにおられる翠邦先生、みんなわれわれは年が若かったので、それを見てたいへんうらやましいような顔をしておったが、そのかたが天来先生に書をお願いして、書いてもらって帰っていかれた後、何人かで、やあ、あの人はたいしたものですね。あの金くさりや金縁のめがねから、金指輪やら、とにかくたいへんなものですね。天来先生のおられるそばで、ぼくら同志がうわさしておりました。そうしたら、先生がそれを聞かれて、どれくらいぶら下げておったかと聞かれる。さあ、どれくらいありましょうかね、といっていると、一貫目もあったかといわれる。一貫目もぶら下げて歩けるものでもないし、一貫目もぶら下げて歩く人でもないでしょう。それでほほほと笑って、先生のおっしゃることに

「中味がなんにもないものが、あるように見せかけるために飾ってあるものである。おれは、そういうものを見ない、うらやましがることはない。昔から、聖人のことばに『徳は身を潤す』とある通り、徳を積んだ人は、人から非常に敬われる。だからその人は自然に偉い人になれる。だから中味をたくさんつめこむように、たくさん修養をうんとするがよい。そういうものをうらやましがってはいけない」というようなことを申されました。

先生の一生は、木綿の着物を着て、そして飾るものはひとつもない。時計も持たなければ何も持たない。それでいて、今日におきましても、日本の地において先生を知らない人がほとんどないくらい、今後何百年、あるいは何千年たっても、天来先生の筆跡が保存される限りは、天来先生の名もそのまま伝わることであろうと確信しております。

天来先生という方は、非常に天真爛漫で、無邪気なかたで、その当時、総理大臣をつとめた犬養さんだとか、あるいは浜口雄幸さんだとか、そういうかたたちが、みな天来先生のお宅へ何遍も慕ってこられたり、わからないことがあると、先生のところへ電話をかけてこられる。天来先生も、そういうお宅へいくども行かれました。そういうところを見ても、天来先生がいかに偉いかたであったかということが考えられます。ところがそういう総理大臣と話をされる動作、言葉遣い、これみんな、ぼくらのような若い者と話されるのと同じで、ちっとも変わらない。この信州のことばがすっかり抜け切れなくて、よくこの信州のことばを使われました。ことばは自分の使い慣れたことば、やっぱり信州のことばを使って、ちっともさしつかえないだろうと思います。天来先生は、人間はこの天真爛漫さ、つまり小さいときの子どものときの気持ち、これをそのまま育てていくことができれば、たいへんよいだろう、と申されました。飾り気のない、隠しのない人でありたいと思います。

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