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第19回 絹の着物を着なかった話(1) / 高石峯

門人の証言

高石峯第二回は、昭和42年8月、長野県望月高等学校で、生徒のために講演をした速記の抜粋です。

第19回 絹の着物を着なかった話(1)/高石峯

左から手島右卿、桑原翠邦、高石峯。

一口にいえば、天来先生は一世紀ばかりでなく、何世紀においてもこれくらいの巾の広い、つまり学問においても非常に研究の深い、書道においても、弘法大師以後のかただと世間から評価されているくらいの大先生であります。

その先生が郷里へ帰られると、昔、ぼくが天来先生のお伴をして歩くうちに郷里で、田圃の土手でも、どこでも、知っている人にあわれると、そこに腰をおろして、二時間でも三時間でも、昔の話をしたり、現在の話もしたりするという、非常にむぞうさな、飾らない先生でありました。

その証拠に、一生のうち、なくなる日まで絹で織った着物を着たことがございません。ある日、奥さまであらせられる小琴、比田井小琴という、かなの研究家で、やはり有名なかたでありますが、その小琴先生なる奥さんが絹の反物を買ってこられたことがあります。そして、よそ行きの着物として、おとうさん、時々よそへ行かれるときには、この着物を着ていかれたらいかがですか、とこういったら、ああ、それはなかなかいい生地だね。そういって、しかし、それはぼくの着れるものではない。木綿の着物ととりかえてきたならば、五反も、六反も買えるはずである。そうすれば着物を五枚か六枚こしらえて、時々新しいものを着たほうが、ぼくにはいいからそれを取りかえてきなさい。その奥さんいわく、いや、せっかく買ってきたものをとりかえなくてもいいじゃありませんか。この次にはそういうふうにしますから、これだけ着てください。いや、それはいけません。・・・・・とこれを一週間位のあいだ、奥さんは天来先生に、こしらえましょう、せっかく買ってきたものを、とりかえにいくにも暇がかかるし、恥ずかしいから、これを取りかえてくることはできない。ところが先生は、それはいけない、それはぼくのものであれば恥ずかしいことはない。金と取りかえるのではないから、これは必ずよろこんで取りかえてくれるはずだから、行って取りかえなさい。・・・・・これを一週間もの間いいとおして、結局奥さんは、この反物を持っていって木綿の反物と取りかえてきたことがあります。

ふつうならば、そのときに、みなさんのご家庭においても、たびたびというか、時には見られることだろうと思いますが、一度や二度いって聞かなければ、そのご主人はおこるわけですが、ところが先生はおこりません。じゃあどうしておこらないのか。この当時、ぼくは年も若かったのですが、非常に疑問に思って、幾月も考えたことがございました。その末、どうしてもわからないから、先生に聞いたことがあります。先生は非常に急な性質を持っておられる。それにもかかわらず、いっぺんもおこったところを見たことがないのでありますが、それはどういうわけですか。そうしたら先生のお答えに 「人間はおこってできる、つまり、事が成立する、事業がそれでなるならば、一日に百遍でも二百遍でもおこってやる。ところが、なんぼおこっても、できないことはできない。おこらなくても、できることはできるんだから、人間はおこらないように努力すべきである。」とこれが年の若いときには、わかりにくいことばでありますが、これは実に金言であります。

人間というものは、おこって、事がなることはありません。笑っても全部ことがなることがあります。なんぼおこっても、ならないことは絶対にならないのでありますから、このことばは大変われわれに教えになることばであります。

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