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比田井天来

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第8回 松方さん / 比田井抱琴

家族の証言

比田井抱琴の最終回は、敬愛していた松方正義との交流や、日常のエピソードを通じて、天来の人柄が彷彿とする内容です。

第8回 松方さん/ 比田井抱琴

座っている左が小琴、右が天来、洵、慈子、天来の前が徹、洵の上がゆり子(抱琴)、右が千鶴子(東山紗智子)、小琴の左に立つのが漸(南谷)。

年代ははっきり覚えていないが、大正4・5年くらいであろうか。鎌倉大町琵琶小路に住んでいた頃のことである。父はやはり鎌倉に住んでおられた松方正義公爵と親交があった。

松方さんはご老齢であったし、父は若かったので、年齢から言うと親子くらいの違いがあったかもしれない。松方さんは非常に書が好きであったので、父から 書の話を聞くのを喜ばれた。時折散歩のついでに家の前へ来られ「比田井君、夕食食いに来ませんか」と誘われた。

ある夕方、父はよそいきの着物に着替えていた。(父は着物を着替えることが嫌いで、どこへでも普段着のまま出かけてしまう。寝巻きのままで外出してしま うことさえあるので、母がいつも困っていた。そんなわけで、父が着物を着替えていると、家ではちょっと目立ったのである)

私が「どこへ行くの」と聞いたところ、「松方さんへ」といったが、袴のひもをしめながら、うれしさを包み隠せない様子であった。私はこのときくらい、父 が子どものようにかわいらしく見えたことはない。ご馳走になりながら、尊敬する年長者に大好きな書のお話をするのは、どんなに楽しいことであったろうか。

松方さんが亡くなられてから、形見の羽織をいただいた。着物にとんちゃくしない父であったが、時折母に「松方さんにいただいた羽織を出してくれ」と言っては、着て出かけた。お形見の羽織を着て、松方さんをなつかしんでいるようであった。

父のところへは、毎日たくさんのお手紙がきた。書の関係の方が多いため、普通一般の手紙とは比較にならず、能筆が多かったが、たまにはびっくりするような かなくぎ流もあった。また、きれいに書けていても、大分自己流のくずし方がしてあるのもあった。このような時、父は正当のくずしの字でないものは、一字も読めなかった。父の読めない字を、ある程度母が読んだ。母にも読めないと、いよいよ私のほうへまわってくる。私は両親に読めない字が、ほとんど読めた。あまりに専門家になりすぎると、かえって不便なこともあるものである。

父が芸術院会員に推された時、母はびっくりして言った。「お父様はよく世の中から認められたものね。あまりに熱心すぎる人というものは、かえって世の中からは認められず、一生自分の研究だけで終わるものなのに。私はお父様は成功なさらないと思っていた」と。母は非常に物事に気がつかず、楽天的なところがあったの で、どうしてこのような考え方をしていたか、この言葉はちょっと日ごろの母らしくないように感じられた。

父は物事に細かいところまで気のつくたちであった。私の14・5才くらいの頃だったと思う。父は母にこんなことを言っていた。

「よその家へ行くと、よく人のうわさをしたり、悪口を言ったりしているのを聞くが、家のものが人のうわさや悪口を言っているのを一度も聞いたことがない。 そんなだからぼんやりして、万事に気が付かないのだ。人のうわさや悪口が言えるようでなくてはいけない」と。しかし、父は母が人の悪口ばかり言うような人 間になったら、おそらく喜ばないであろう。母が人の悪口を言わないところも、父は気に入っていたのではないだろうか。

父が出先から帰ったときの話。

「今日はがま口を忘れて出かけた。電車から下りたら腹がすいたから、そば屋へ入った。帰りに払おうとしたら、がま口がないので、電車の回数券で払ってきた」と。

父は、さもあたりまえのことのように、淡々と話したが、私は考えると今でもおかしくなる。

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