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比田井天来

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知られざる比田井天来

1962年に『比田井天来逸話集』出版の話が持ち上がりました。
決定したのは天来直門の方々による「書学院同人会」、事務局は晩翠軒の松尾謙三さんでした。
この本は出版されませんでしたが、その手書き原稿が残されています。

このときの原稿に新しい資料を加え、当サイトで○○年から25回にわたって連載したのが「知られざる比田井天来」です。

門人、家族、書家の方々が語る天来の逸話の数々には、そばにいた人だけが知っている貴重な証言が満載。天来の知られざる一面を、当時の時代背景とともに見ることができます。

比田井天来逸話集 手書き原稿

ちなみにこれがきっかけになり、翌年、座談会と懇親会が開かれました。

ここから大璞会が結成され、1975年の天来記念館建設や大璞展、そして現在の「天来の会」へと発展したのだと思うと、感無量です。

座談会案内状

目次

第1回 上京して天来の書生となる / 田中鹿川

門人の証言

第1回から第5回までは、田中雄太郎さんの自伝をご紹介します。雄太郎さんは、もと比田井雄太郎、明治42年に15歳で上京してから、昭和14年天来没年まで、書生として天来を助けました。鹿川と号し(天来命名)、小琴の実家である田中家を継いだ方です。自伝はご子息の田中浩さんがまとめられたもので、今では知ることのできない、当時の様子を髣髴とさせる名文です。

第2回 小琴の母 / 田中鹿川

門人の証言

連載二回目は、小琴の母、田中きんに会ったときのことから始まります。天来は、自分が小琴と結婚したのは、母親にほれ込んだためだと語ったそうです。一人娘を嫁がせた後、天来所有の貸家の采配をふるい、天来の仕事を助けました。  天来と小琴が結婚したときの様子は今までよくわかりませんでしたが、この文章でいろいろなことが明らかになりました。

第3回 天来の遊歴に同行する / 田中鹿川

門人の証言

天来はその一生の多くを、地方遊歴に費やしました。北は北海道・樺太から、南は九州・台湾まで旅をして、作品を頒布し、書の実技や歴史の講習会を行いました。連載三回目の今回は、その遊歴に同行した田中鹿川氏による貴重な記録です。

第4回 関東大震災 / 田中鹿川

今回は、大正12年、関東大震災の記録です。長野県にいた天来は、東京壊滅とのうわさに驚き、ただちに鎌倉へ向かいます。そのときの様子が、非常にリアルに再現され、家族に対する天来の愛情が伝わってきます。

第5回 晩年の天来 / 田中鹿川

門人の証言

天来の生涯の中で、昭和10年以降は、社会的にも作家としても、もっとも充実した時期であると考えられています。しかしこの手記によって、実際の生活は多忙を極め、また体調も優れず、苦悩の日々を過ごしていたことがわかります。

第6回 父の好物 / 比田井抱琴

家族の証言

比田井天来と小琴の間には、男の子が4人、女の子が3人生まれました。 今回は、長女抱琴(最初の子ども・ゆり子)の文章をご紹介します。

第7回 お食事は出したか? / 比田井抱琴

家族の証言

比田井抱琴(ゆり子)の手記の二回目です。比田井家のエピソードの後、日下部鳴鶴と天来との興味深い師弟関係がつづられています。

第8回 松方さん / 比田井抱琴

家族の証言

比田井抱琴の最終回は、敬愛していた松方正義との交流や、日常のエピソードを通じて、天来の人柄が彷彿とする内容です。

第9回 「タコひげ」 / 東山紗智子

家族の証言

今回は、天来の次女、東山紗智子(本名比田井千鶴子)の文章を紹介します。洋画家、角浩と結婚してフランスへ行き、帰国後 は洋画家として活躍しました。二度の結婚と離婚の後、名前が変わるのが面倒だとばかりに、東山紗智子を名乗りました。いつでも帽子をかぶったおしゃれな女性でしたが、子どもの頃から茶目っ気があり、天来から可愛がられた様子が、文章にもあらわれています。

第10回 「天来先生と黒木御所」 / 岸田大江

門人の証言

昭和11年、天来は小琴と次男南谷、田中雄太郎をともない、出雲から隠岐へ旅をしました。一行を案内した岸田大江氏の手記には、その旅の様子が詳細に記されていますので、三回に分けてご紹介します。 なお、この旅行の詳細は、終了した連載「たびかがみ-昭和初期のフォト紀行」100回から125回に、小琴の撮影した写真とともに紹介されてますので、こちらもご覧下さい。

第11回 「隠岐には日本が残っている」 / 岸田大江

門人の証言

岸田大江氏による第二回には、天来が実際に作品を揮毫する様子が述べられています。その前に書かれている南谷の茶目っ気ぶりも必見です。

第12回 「黒木御所遺址の揮毫」 / 岸田大江

門人の証言

島根県隠岐の高台に「黒木御所遺址」が建っています。署名はありませんが、これを書いたのは比田井天来でした。 今回の文章は、これが揮毫されたときのことを詳細に綴った手記です。天来や見守る人々の息遣いまで伝わってくるようです。

第13回 天来膏と錬鍛術 / 豊道春海

書家の証言

戦後、日展における書道部門開設など、書の普及に大きな貢献をした豊道春海(1878〜1970)は、天来よりも6歳年下でした。「今後の書道界で第一人者になるのは誰でしょう」と聞かれた天来は「豊道春海」と答えたといいます。二人の交流を記した貴重な証言です。

第14回 天神様 / 田中一誠

門人の証言

天来は、その生涯の多くを、全国への遊歴にあてました。地方へ出かけてそこで作品を書き、頒布するのですが、その成功の裏には、有能なプロデューサーの活躍がありました。田中誠爾(せいじ)氏です。田中氏は天来の遊歴先が決まると、代表的な作品写真と価格表を印刷したパンフレットを作り、みずから現地へおもむいて、地元の書道科の先生や有力者に世話役を依頼し、予約を取りました。 これから4回にわたってご紹介するのは、田中誠爾氏ご子息、田中一誠氏の手記です。怜悧な観察眼と愛情溢れる描写によって、ユーモアに満ちた天来像が浮かび上がります。

第15回 傍若無人の境地 / 田中一誠

門人の証言

田中一誠氏の手記、第二回をお送りします。 天来は大正2年に新しい筆法を発見し、5年から2年余、建長寺境内の正統庵に住んで研究に没頭しました。これはその当時の様子を物語る貴重な証言です。

第16回 天来先生のかくし芸 / 田中一誠

門人の証言

天来は書の常識的な価値観に満足せず、常に新たな世界を開拓し続けましたが、日常生活でも人を驚かせることが好きだったようです。天来のとっておきの「かくし芸」とは何だったのでしょう。

第17回 君子は豹変する / 田中一誠

門人の証言

田中一誠氏の最終回、写真は大日本書道院展での集合写真です。 比田井天来をたたえるのではなく、実際に経験したことを素直に書いてくださっていて、伝えられている事跡が実際はどうだったのか、よくわかります。

第18回 乞食を応接間に通した話 / 高石峯

門人の証言

昭和43年に、長野県佐久教育会から発行された「近代書道開拓者 比田井天来・小琴」という本があります。天来と小琴の生涯を、いろいろな人の証言で綴ったもので、327ページのたいへんな労作です。 その中から抜粋して、ご紹介したいと思います。 最初は韓国人の篆刻家、高石峯です。

第19回 絹の着物を着なかった話(1) / 高石峯

門人の証言

高石峯第二回は、昭和42年8月、長野県望月高等学校で、生徒のために講演をした速記の抜粋です。

第20回 絹の着物を着なかった話⑵ / 高石峯

門人の証言

高石峯は韓国に帰国してから、天来先生の方へ足を向けては眠れない、と語ったと言います。天来のそばで、ひたむきに生きたさまがうかがえます。

第21回 不教の教え / 上田桑鳩

門人の証言

天来はずっと弟子をとりませんでしたが、晩年、全国から優秀な青年を呼び寄せました。 最初の弟子は上田桑鳩で、昭和4年から比田井家の敷地内の家に住み、勉強しました。今回は、戦後、独創的な仕事をした桑鳩に対する天来の教育法です。

第22回 北海道遊歴 / 桑原翠邦

天来が遊歴中のエピソードはいろいろありますが、今回は昭和11年の北海道です。「たびかがみ・北海道の巻」(第56回)に、「昭和十一年の夏、わが背のかしま立たれし北海道へ、おのれは廿日ばかりおくれてたび立ちぬ。夫は遠く釧路根室までゆかれつ。」とありますが、小琴が到着する前の天来を語る、貴重な証言です。

第23回 天来先生のおもかげ / 上條信山

門人の証言

上條信山の「信山」は、「信州の山」天来の命名です。 後に宮島詠士に師事しましたが、初めて上京して天来に会い、アドバイスによって自分の方向を決定したことが綴られています。

第24回 オタモイの船遊び / 宇野静山

門人の証言

比田井天来の妻、小琴は「たびかがみ」という旅日記を残しました。その中に昭和11年の北海道旅行の際、オタモイへ行ったという記録があります。(たびかがみの70回から78回までと88回) 今回ご紹介するのは、招待者側の貴重な証言です。

第25回 天来自叙伝

天来のことば

このたび、臨書の傑作集『天来習作帖』が刊行になりました。 ここに「自叙伝」があって、知られざる素顔が見えますのでご紹介しましょう。 現代語訳は筒井茂徳先生です。

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