2009年4月 1日

第55回 花信風

第55回【目次】         
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    * 漢詩・漢文
    * 和歌
    * 唱歌・童謡
    * みやとひたち

30sakr1.jpg                                        吉野桜 21.3.30 東京都清瀬市


1 開花を告げるもの

   吹到幾番花信風
   東臺春色漸冲融
   今朝認得鐘声緩
   来自香雲暖雪中
 
  吹き到るは幾番の花信風[くわしんふう]ぞ、
  東臺[とうだい]の春色漸[やうや]く冲融[ちゆうゆう]せり。
  今朝鐘声の緩[ゆるや]かなるを認め得たるは、
  香雲[かううん]暖雪[だんせつ]の中[うち]より来ればなり。

     
28sakr2.jpg                                          山桜 21.3.28 東京都清瀬市

  吹いてきたのは何度目の花便りだろう、上野の山の春もようようやわらいできた。今朝の鐘の音がゆったり聞こえるのは、そう、盛りの桜の中を通って来るからなのだ。

       
28sakrn2.jpg                                         吉野桜 21.3.29 東京都清瀬市

  花信風(かしんふう)とは開花を告げる風を言います。吹いて来た春風に花の香りを感じ、その季節の到来と知ってそう呼んだのです。気の利いた命名ですが、中国の六朝時代、梁(502〜557)の人宗懍が編んだという最古の歳時記『荊楚歳時記(けいそさいじき)』にすでに見える言葉です。

  「東臺」はもともとは上野東叡山寛永寺を言い、そこから上野の山全体の暗喩に用います。上野が桜の名所になったのはこの寛永寺建立(寛永2年[1625])の頃からの歴史になります。

  寛永寺の開基は徳川3代将軍家光(1604〜1651)。開山(初代の住持)は家康以来三代の将軍が帰依したと伝わる天海僧正(1536〜1643)です。京の都の鬼門に比叡山が置かれたように、江戸の鬼門を固める東の叡山という意味で山号を東叡山とし、年号を寺号としてこの寺は開かれました。主要な伽藍が揃うまでおよそ70年を要したという大がかりな事業でしたが、造営の折に境内に多くの桜の木を植えたのが、上野を花所にした始まりです。

     
27mej1.jpg                                    吉野桜にメジロ 21.3.27 東京都清瀬市

  例年より開花は早いと予想されていましたが、その後の天候で去年よりはゆっくりな桜です。わずかでも待つ間が長かった分、この開花にはいっそう心が弾 みます。花を待ち、花を愛でて、花を惜しむ日本人の春の極みはまさに今です。今年もこの季節は桜の詩文を集めてお送りします。


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27kamo2.jpg                                  紅枝垂桜と軽鴨 21.3.27 東京都清瀬市柳瀬川
     
30sakr2.jpg                                         吉野桜 21.3.30 東京都清瀬市


※連載第7回「花の季節」第31回「花の季節2」の例文も併せて御覧下さい。
【文例】 漢詩

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