2008年5月15日

第34回 夢:五月・夢・夢路・うつつ


                    20.5.14 東京都清瀬市

   五月の日
   草を踏み
   花を持ち
   踊りませう

   靑葉かげ
   胸を張り
   腕をあげ
   踊りませう
           フランス民謡(小林愛雄訳)



  今までのところどうも天候のよくない年のようです。思い出すのは4月の末、まだカレンダーに数日を残した頃でしたが、 月の降雨量が観測始まって以来の多さだとニュースになりました。いったいいつからの記録なのかと聞いていたら、 何と130年あまりも遡るというので驚きました。今年の4月は近来130年のうちで最も雨降りであったということなのでした。 この夏は多分水不足の心配はないでしょうが、降りすぎて具合の悪いこともあるのでは。月が変わりましたが、今度は寒い。 立夏を過ぎてから幾日も暖房を使う年は寒がりの私にも希なことです。光り輝く緑、初夏の明るい、もちろん十分暖かな日の光を夢に見る五月前半でした。


                    20.5.6 東京都清瀬市

  ところで、「夢見る」と一語の動詞で使うときは「願う」とか「望む」「憧れる」といった意味とほとんど違いがありません。 夢の中身はよいことばかりですが、実際睡眠中に見る夢はもちろんよいことばかりのはずもなく、私たちはそれをもっともなことと理解しています。というのも、今日の私たちはこの夢を自分自身の深層心理が見せるものと考えるからです。心の底に蓄えているさまざまな記憶、また自分でも意識しないものも含めて、胸中にある願望や不安や恐怖などがさまざまに作用し合って夢に結ばれるのだと了解しています。しかし古代の日本人は夢の世界を、起きて活動している時のこの世とは別のもう一つの独立した世界だと考えていたようです。


                 20.5.2 東京都清瀬市柳瀬川

  古代の人が夢をどのようなものと考えていたか、具体的に分かることが平安時代の和歌からたくさん見つかります。 中でも有名なものは『古今和歌集』に見える小野小町の一連の恋歌です。

  思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを(552)

  うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき(553)

  いとせめて恋しきときは むばたまの夜の衣を返してぞ着る(554)

  これを見ると、思いながら寝たから恋人が夢に見えたのだろうという考え方は、今日と同じに、夢を自分の深層心理に由来するものと言っているように読まれかねませんが、そういう意味ではないようです。その理由はあとに送って、まず次の歌から 見ましょう。
  「うたた寝していたら恋しい人が夢に現れた。その時から、私は夢というものを頼りにするようになりました」当時は夢に 見えるものは見る側の意識とは無関係に、夢に見えたものに意志があってそこに現れるのだと考えられていたようです。 思っていても思うままに会えるわけではない恋人、その夢は相手も自分を思っているという証と受け取られたのです。


                 20.5.15 東京都清瀬市柳瀬川

  また、夢で会うおまじないも時には試みられました。三首目の歌はそれを詠んでいます。「たいそう胸に迫って恋しいときは、夜着の衣を裏返しに着て寝る ことですよ」この歌に見るように、寝間着を裏返して着たことが知られています。ただしこのおまじないは相手を夢に見るのではなく、自分が相手の夢に出現す るための方法であったらしく、『万葉集』では同じ目的で着物の袖を折り返すと言うことが行われていました。

  吾妹子(わぎもこ)に恋ひてすべなみ白栲の袖折り返ししは夢に見えきや(2812)
(あの人が恋しくて仕方がないので、袖を折り返して寝たのは、あの人の夢にちゃんと見えただろうか)

  わが背子が袖返す夜の夢ならし まことも君に逢へるがごとし(2813)
(あの方が袖を折り返してお寝みになった夜の夢でしょう。本当にお逢いしたように思われました)



  これらの歌は明らかに袖を折って寝た方が、人の夢を訪れると考えて読まれています。
  そこで先の小町の歌に戻りましょう。「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ」は、今日の理解のように「思いながら寝た」という 小町の心理の問題なのではなく、「思いながら寝たので、きっとあの人も私のことを思ってくれて、夢に出てくれたのだろう」という 意味であろうと見当が付くのです。


                 20.5.12 東京都清瀬市柳瀬川

  平安時代の物語や日記にはよく夢のお告げの話が出て来ます。知らせを的確に受け止めて、幸運を掴んだり、難を逃れたりするのでしたが、そうした予言や 警告を発して来るのはよく知る肉親であったり、それも既に亡くなった人であったり、また神仏であったりします。やはり、こちらを気遣ってくれる相手の方 が、強い意識をもってこちらの与り知らない真実を送って来るのだと信じられました。夢の知らせは異界から届けられる神仏や肉親の愛情と受け止められたので す。


                 20.5.15 東京都清瀬市柳瀬川

  そうした事情で、古代の人は夢をまことに重大なものと捉え、夢から正しいメッセージを受け取ろうと大真面目に努力しました。「夢解き」という、夢の分 析屋が職業として存在したのはその一つの現れでしょう。訳の分からない夢を「夢解き」に解き明かしてもらい、もし悪い夢であったときには深刻な問題でし た。法隆寺の夢殿に在(ま)す夢違え観音は、その御名のとおり、よくない夢をよい夢に替えて下さるという仏です。
  この夢が自分の意識の内部で完結するものではなく、全く別世界に属するものと考えられていた時代には、夢はそのように取り替えがきくものでもあったのです。


                    20.5.15 東京都清瀬市

  さて、「夢にみた」爽やかな晴れた日がやってくると、雨に洗われた緑の鮮やかさ、葉陰のみずみずしさは、なんとも美しい初夏の輝きです。梅雨までのひとときは本来一年で最も爽快な季節です。


                    20.4.25 東京都清瀬市

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