2009年11月 2日

第69回 琴:晩秋 琴 琴の音 知音 松風

第69回【目次】         
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    * 漢詩・漢文
    * 和歌
    * 訳詩・近現代詩  
    * みやとひたち

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1 七絃の琴

  コスモスの野原も枯れ、川辺の薄もすっかり穂が白くなりました。朝夕はめっきり肌寒くなりましたね。季節が急に速度を速めて来たように感じられる今日この頃、11月ともなると、7日は陰暦の冬のはじまり、立冬になります。

         
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  野山も里も草木は枯れ、あるいは葉を落として休まり、動物もひっそりと休眠する晩秋と冬は、詩歌の題材は自然と人事に重く傾きます。芸術や学問、勉学そのものを題材にした歌や詩が多く詠まれるのはこの季節です。 



  何者かの投げた
  宝石が
  絃琴にあたり
  古の歌となる
       「旅人かえらず」(西脇順三郎・昭和22年)より抜粋

  この幽かな、しかし深く響く音色は、いったいどんな琴のたてた音なのでしょう。絃の素朴な響きはしんと冷たく鎮まった秋の空気によく似合います。ここにあるものは、無心の宝石、偶然の衝突、永遠の歌。

  最期は東洋に回帰したといわれる詩人ですが、漢詩の教養だけからでは決して手に入らない種類の詩情ではあります。

「琴(こと)」とは弦楽器を総称する名前です。最も素朴な琴は、弓弦のようなものであったと想像されます。音を発することは、時に身を守ることにもなり、弓弦を弾(はじ)くことは古代の魔除けの行為として東西に見えます。弾いて響きを楽しみ、やがて音階を求めるところから、多絃の琴に発達して行ったのでしょう。東洋の琴で楽器として完成した最も古いものが、おそらく琴(きん)と呼ばれる七絃の楽器です。

  弾琴(琴[きん]を弾す)   劉長卿

    洽洽七絃上
    静聴松風寒
    古調雖自愛
    今人多不弾
  
     洽洽(かふかふ)たり七絃(しちげん)の上
     静かに聴けば松風寒し
     古調(こてう)自(おのづか)ら愛すと雖(いへど)も
     今人(きんじん)は多く弾(だん)ぜず

 調べは七つの絃の上をさやさやと(洽洽)響き、
 静かに聴き入っていると、音色は松をわたる秋の風に和してひんやりと身にしみる。
 古い音調にはそれなりの良さがあるが、
 今の人はほとんどこの楽器を弾かなくなってしまった。

  琴の音色が松風に通うというのは、古く中国からの輸入です。

         
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  日本語でいう「こと」は弦楽器の総称です。私たちが「琴(こと)」と言って思い浮かべる楽器は実はその「こと」の中の「箏(そう)」という十三絃の楽器です。「琴(きん)」は「箏」とは違って片手で抱えられる程度に小型で、絃は七本。琴柱(ことぢ)もありません。指で絃を押さえて音程を変えます。

          
31おなが.jpg                                         尾長 21.10.31 東京都清瀬市

2 知音

  楽器として完成したのは中国漢代の末頃と言われる琴(きん)ですが、その原型は古く周の時代に遡ります。孔子が好んで琴(きん:当時の)を奏したと伝わり、東京国立博物館には孔子自身が作曲したと伝承される「碣石調幽蘭」という譜が隋代の写本で遺っています。

  孔子のことがあってか、琴(きん)は儒教の思想家と関係が深く、琴を弾くことは君子の教養として重んじられて来ました。その伝統は、琴(きん)そのものの輸入よりもしかすると早く、漢詩の輸入によって我が国にも伝えられました。

          
28翡翠.jpg                                          翡翠 21.10.28 東京都清瀬市

  親しい友人を指して「知音」という言葉があります。この言葉の由来となったのは、春秋時代の故事です。

  伯牙(はくが)が琴を弾くと、親友の鍾子期(しょうしき)はその演奏の心をよく汲み、心からそれを楽しみました。伯牙が山を弾けばば堂々たる山の趣を聴き、大河を奏でれば蕩々たる流れの感動を聴きました。その鍾子期が死ぬと、伯牙は愛好していた琴の絃を断ち、二度と琴を弾きませんでした。自分の琴を分かってくれる人がもういないと思ったからでした。

  理解してくれる人のためにこそ弾きたい。芸術の話だけには留まらない根源的な人間の欲求に関わることなのかも知れません。

         
16鳥二人.jpg                                       鷺と鴨 21.10.16 東京都清瀬市

  時代とともにさまざまな弦楽器が発達する中で、琴(きん)は次第に原初的で素朴すぎるものとして、奏者を選ぶようになって行ったものと思われます。ここに御紹介した詩のように、唐代には第四句にあるとおり「今人多不弾」の状態だったのでしょう。

          
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3 まぼろしの琴(きん)

  日本には琴(きん)は奈良時代の前期に伝えられ、「君子左琴」などの言葉もあってか、文人好みの楽器としてもてはやされました。我が国最古の漢詩集「懐風藻」(751年)には弾琴の詩が多く、時代の流行であったらしいことが分かります。


  平安時代になってからも、菅原道真が詩に詠むなど、漢詩の伝統にこの流行は受け継がれました。「君子左琴」に関して、道真も「左見彈琴右見書(左に琴を弾くを見、右に書を見る)」(「過尾州滋司馬文亭、感舍弟四郎壁書彈琴妙、聊敍所懷、獻以呈寄(尾州滋司馬が文亭を過ぎて、舍弟四郎の壁書と彈琴の妙とに感じて、聊かに懷ふ所を敍ぶ、獻じて以て呈寄す)」)と詠んでいます。

  しかしこの琴(きん)が、本当に演奏される楽器として愛されたのはほんの一時のことだったと思われます。

  そもそも、琴(きん)という楽器の演奏のはっきりした記録が見あたりません。奏法も詳しくは分かっておりません。

         
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  『竹取物語』とそう時代の隔たらない古い物語に『宇津保物語』という作品があります。作者は明らかではありませんが、漢籍にも明るい博学な男性であるはずで、源順(911〜983)の名が昔から挙げられています。現存する物語の中では最も古い長編物語ですが、四代にわたる琴(きん)の伝授が物語のテーマのひとつです。舞台は一応貴族社会に置いているとはいえ、初代の主人公が遣唐使船の難破でたどり着いた架空の国で、鬼神の類から琴の秘曲の教えを受け、冒険の旅の果てに天人から楽器を授かって20年を越える長旅から帰国する、というところから始まる、かなり荒唐無稽な物語なのです。琴(きん)はこの時期にすでに幻想譚の主役にふさわしい存在であったと言えそうです。

  『宇津保物語』では初代の主人公は娘に神秘の琴を伝えることで役割を終え、その娘から息子に、更にその姫君にと、代々琴の秘曲を伝授する場面が物語全体の要所で重要な筋の運びとして語られます。しかしその場面は、いかに密かに、いかに厳しい修練でそれを受け継いだか、という精神の問題を述べるばかりで、演奏のテクニックについては、通り一遍にすばらしさを讃えるだけです。楽器の操作において、具体的に琴(きん)の奏法を推定させるような記述が全くないのは、この時点で、作者も琴(きん)を身近には知らなかったのではないかと疑われるところです。 

  その後も現実での演奏の記録が見あたらないまま、平安中期、『枕草子』の記述などからは、「琴(こと)」はすでに「箏(そう)の琴(こと)」が主流であり、琴(きん)は同時代の人がほとんど演奏できない楽器になっていることがわかります。

         
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  『枕草子』とほぼ同じ時代に書かれた『源氏物語』では、多くの登場人物の中で琴(きん)の演奏ができるのは皇族にほぼ限られており、ことに光源氏(皇族出身)がその名手であるとされているのが注目されます。

  『源氏物語』はさまざまな小道具を実に象徴的に用います。それぞれの人物が得意とする楽器にもそれが現れていると言えるでしょう。『源氏物語』に見られる琴(きん)の状況は、この楽器が日常的な世界のものではなく、極めて古風なことも含む、格別に高い教養の持ち主、たとえば超絶の主人公光源氏のような人物でなければ、そうやすやすとは扱えないような楽器であったことを物語ると言えます(『源氏物語』では琴(きん)の奏者と草仮名の書き手がよく重なります。どちらも高貴の筋の教養のある人にしか扱えないものとして物語の小道具に使われたものと見られます)。さらに、『源氏物語』は当時の社会が理想と仰いだという村上天皇代に擬して書かれた、実は擬古物語です。約半世紀前の社会を描いているとして、琴(きん)は『源氏物語』の約半世紀前、十世紀の中頃にはすでに廃れていたということです。それは『懐風藻』から二百年、菅原道真から百年の後、おそらく『宇津保物語』の少し後の頃です。


          
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  このたびは、古い「琴(こと)」について、琴(きん)にまつわるいくらかを御紹介しました。物語や漢詩に「琴」と出てくるものについては、内容を正しく受け取るためにはその読み方から始まって、楽器を具体的に特定することが必用と思われます。

  和歌の「琴(こと)」は平安時代には和琴(わごん:やまとごと)が詠まれることはあり得ますが、多くは箏(そう)のことです。和琴は「やまとごと」と詠まれる(または、そのように詞書きがある)ことの方が普通なので、それのない、あたりまえに「琴(こと)」と呼ばれている楽器はほぼすべて箏です。十三絃で大型で、携帯はできません。琴柱を立てて音階を調節します。

  和歌に限らず、近世以降の「琴(こと)」は、特別な場合を除いてほぼ全部箏(そう)です。明治生まれ、大正昭和と仮名書の第一線で活躍した女流比田井小琴(「たびかがみ」 昭和初期のフォト紀行 に関係記事連載)は、師の比田井天来が号の一字に「琴」の字を選んだほど琴を弾くことが好きな人でしたが、その愛好した楽器ももちろん箏です。平安末から近世を繋ぐ時期、琴の歴史で言えば、さまざまの琴(こと:弦楽器)の中から抜きん出た箏がほぼ全体を占める過程であって興味深い時期ですが、中世についてはまだ知ることが少なく、今は御報告できることがありません。

  翻訳詩の「琴(こと)」はまた別の世界です。内容からは携帯できる大きさの竪琴と推定されることが多いようですが、精密な詩の解釈のためには原語にあたることが欠かせません。

  外国文学の影響もあり、新しい詩歌に現れる「琴(こと)」という言葉の用いられ方はさまざまです。素朴にただ弦楽器の意味で用いたもの、竪琴を想定しているかと見られるもの、また、もしかすると具体的な楽器を想定してさえいない場合もありそうです。冒頭に揚げました西脇順三郎の詩なども、具体的にその「絃琴」の形を想像することは難しい詩です。始めからそれを読み手に示唆する意図もなさそうですが、詩人のイメージの原型がどういうものだったのかという興味は尽きません。西洋趣味ならハープのようなもの、あるいはただの象徴としての絃、太古にも存在したであろう一絃の姿をしたものかもしれない。面白いことは、漢代に存在したあの琴(きん)が、小型の楽器であって文人が携帯して随意に用いた点で、時代や場所を越えて西洋詩に詠まれる小型ハープにもきわめてよく通じることです。西脇順三郎のような詩人こそ、創作世界において東洋の琴(きん)と牧神のハープとを自在に結びそうなキャラクターではあります。

  さて、そのような想像のたのしみとは別に、多様な「琴(こと)」が「琴(こと)」として表し得る共通した意味があるはずです。または、それを用いる共通した効果はあるはずです。琴の詩歌の鑑賞に、そのあたりを考えるのも面白い試みでしょう。


  このたびは、さまざまの琴(こと)を詠む詩歌を集めて墨場必携に御紹介しています。季節の、高く澄んだ空、清らかに冷えゆく空気に響く絃の音色をお楽しみ下さい。

                   
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【文例】 漢詩・漢文

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