2009年12月21日

第72回 この世を離れるとき:歳末 無常 『西行物語』

第72回【目次】         
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    * 漢詩・漢文
    * 和歌
    * みやとひたち



        
19霜原.jpg                                   霜の金山調整池 21.12.19 東京都清瀬市
1 昨日見し人

  北陸では数年ぶりの大雪になっております。関東も冷えて、この数日は真冬の寒さですが、皆さまいかがお過ごしでしょう。年の瀬の慌ただしさも募るこの頃、12月も半ばを過ぎると、歳末の諸々の用事には新年の準備も加わってまいります。年賀状に心を砕いておられる方も多い頃でしょうか。

         
20柳瀬川.jpg                                  柳瀬川に集うコサギ 21.12.20 東京都清瀬市


  年賀状といえば、毎年この支度に間に合う頃合いに届けられるのが年賀欠礼の通知です。

  今年はたまたまこの訃音が多かったのですが、その中に一枚、差出人の名に覚えのない葉書がありました。間違いなく私宛に来たものでしたが、どうしても思い当たりません。改めて文面を読んで、愕然としました。亡くなっていたのが私の知り合いで、思い当たらなかったのはその御主人のお名前だったのでした。

  その人とは十数年の知り合いでした。子供がまだ小学生の頃に学校の御用で御縁のできた方で、我が家が三年前に転居してからは街中で出逢うということもなくなったので、年賀状で一年分の消息を交換するのがこの三年のお付き合いでした。現に今年の始めにも、明るい声が聞こえて来るような、葉書一面にぎっしり書かれたお年賀状を受け取っていました。薄墨色の枠の葉書に拠れば、亡くなったのは1月の20日ということです。享年56才。その身に突然何かが起きたのでしょう。年賀状には何の気配もありませんでしたが、あれからひと月もしないうちに、新年の気配もまだ新しいうちに、その人は亡くなってしまっていたのでした。私が知らなかっただけで。

         
9花3.jpg                                           21.12.9 東京都清瀬市

  時の流れの速さを思うのは年末の常ですが、時が過ぎるとともに、人も過ぎて行くことが、切実に思われる時期です。無常を感じるというのはこういうことなのだろうと分かります。

         
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2 西行発心

  中世を代表する歌人であり、漂泊詩人として文学史上に松尾芭蕉と並び称される西行(1118年〜1190年3月23日)は、もと佐藤義清(のりきよ)という院の北面の武士でした。文武に秀でて人に重んじられ、身内に不幸はなく、家も豊かで不自由のない身でありましたから、世をはかなんで出家するのに人が納得する分かりやすい理由は見あたりません。鎌倉時代には早くもこの西行の伝記物語が書かれています。『西行物語』です。この物語は西行の発心を、もともと道心にひかれる気質があったのだと述べ、具体的な切っ掛けとしては、友人の突然の死が無常の思いを深くさせたのだと語ります。

   ある夜、親しい同僚の佐藤憲康とともに院の御所を辞去し、帰路しみじみと
  語り合って別れる際に、翌朝の早い勤めに出るのに、邸に寄って誘ってくれと
  憲康に頼まれた。一緒に出勤しようというわけです。次の朝、義清が誘うつも
  りでその邸に立ち寄ると、人が大勢で慌ただしく騒いでいる。何事だろうと
  思っていると、「殿(=憲康)は今宵寝死にに死なせ給ひぬ(寝たままで死ん
  でおしまいになった)」という。十九歳のまだ若やかな妻女、七十を越えた母
  が遺体の足許枕許にすがって泣いている。この人は義清の二歳年長で、この時
  二十七歳であった。


   越えぬればまたもこの世に帰り来ぬ
   死出の山路ぞ悲しかりける
   (一度越えてしまったら二度とはこの世に帰って来ない死出の山路こそ
    どうすることもできないものであったなあ)

   世の中を夢と見る見る
   はかなくも なほ驚かぬわが心かな
   (現世を夢とは思いながらも つたないことに、なおその道理に目覚める
    こともできないわが心であることよ)

   年月をいかで我が身に送りけむ
   昨日見し人今日はなき世に
   (これまでの年月をどうして過ごして来られたのだろう。昨日元気に別れ
    た人が今日はもういない、そんな無常のこの現世というのに)
                      以上三首は『山家集』にも所収
          
8月3.jpg                                           21.12.8 東京都清瀬市

   院に出家の決意を告げ、暇乞いをして帰宅すると、可愛がっている四歳に
  なる娘が父の姿に喜んで、実に愛らしい姿で袂にすがって来た。義清はそれ
  に心をとられながらも、出家の志固く、「煩悩の絆を切る初めなり」と思って
  その娘を縁から庭先に蹴落として振り払った。なお父を慕って泣く幼女に胸
  張り裂ける思いを振り切って、妻に出家を告げ、自ら髻を切って持仏堂に投
  げ入れ、家を後にした。

          
19鳥木.jpg                                     霜の柳瀬川 21.12.19 東京都清瀬市

  有名な西行出家の際の逸話です。仏に帰依するということは、持てる物を皆捨て縁を絶って現世から身を引くことでありますが、その瞬間には、身を引くなどという控えめな表現とはかけ離れた激烈な勢いがあってようやく彼岸への跳躍は叶えられるのであると、この物語は語ります。

         
19こさぎ.jpg                                       コサギ 21.12.19 東京都清瀬市

  中世という時代のキーワードがまさに「無常」というものであることを思えば、西行は、中世を目前にした極めて早い時期に時代の空気に敏感に感応して俗世を離れたと言えるのかも知れません。

         
5つぐみ.jpg                                       ツグミ 21.12.5 東京都清瀬市

3 鳥にしあらねば

  四歳の愛娘を蹴落とすまでの仕打ちは、発心説話としては切なく真摯な情熱として尊く伝えられておりますが、凡俗の立場で見ればむしろ勝手で残酷な話です。ひたすら無邪気に父を慕って置いて行かれた娘は、成人の後父西行に遇い、やはり出家したと伝わります。

  思うに、この世は常に辛いものなのではないでしょうか。『万葉集』の時代にももっと現実的な意味で、暮らしを憂う歌は詠まれています。 

   世の中を憂しとやさしと思へども
   飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
   (世の中をつらいとも身も細るようだとも思うけれど、
    鳥でもない身の、飛び立って余所にゆくこともできない)
                  『万葉集』893 山上憶良

  「貧窮問答歌」です。第二句の「やさし」はもともと「痩す」と同根の語で、元来は身も痩せ細るような思いを表しました。そこから転じて、遠慮がちに気を遣う意、またそうした細やかな心遣いをするさまを、繊細あるいは優美だと感じて評価する意味合いで用いられるようになり、やがて温かく思いやり深い人の性質を形容する現代語の意味に移って来ました。この歌ではもちろん原初的な意味で使われています。できれば別の世界にも飛んで行きたいところだが、そうはゆかないと歎きます。これに比べれば、苦しい決断とはいえ、望んでこの世を離れることができるのは、本人には幸福でありましょう。思うことを思うとおりにできないところに、まずこの世の苦しみはあります。しかしまた、出家には出家の、在家には在家の立場で悩みはつきまとい、この世での悪戦苦闘は生きているかぎりこれが絶えることはありません。それが生きているということなのなら、腹をくくって受け止めるよりありません。そう考えると、むしろ楽ではありませんか。


  さあ、今年の暦も残りわずかになりました。現世の困難がさまざまにクローズアップされた年でありました。この平成21年という年は後の人にはどのように見られ、語られる年になるのでしょうか。百年に一度といわれる大不況に背中を押されるように政権も交代してすでに三ヶ月が過ぎ、新しいリーダーのもと、世の中はいくらか変わるかと期待され、また却って悪くなるのではと懸念され、どちらとはっきり見えるものもない混沌の中で暮れようとしております。明るい兆しの見える新年になりますように。

          
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【文例】 漢詩・漢文

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