2010年12月13日

第93回 初冬:紅葉を焼く 落葉 霧 時雨

第93回【目次】         
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    *漢詩
    *和歌
    *訳詩・近現代詩
    *俳句
    * みやとひたち






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1 紅葉を焼く

  あたりは冬のたたずまいになりました。紅葉した枝も稀になり、今は落葉の季節、足許に枯葉の舞うこの頃です。その紅葉、落葉に絡んで、『平家物語』六の巻に第八十代高倉天皇の御人柄を語る逸話があります。

  承安年間のこと、高倉天皇がまだ十歳の頃、紅葉をたいへん愛されて庭に築山を
  設え、紅葉を植えて一日中眺め暮らしていらっしゃった。ある夜、激しい風が吹
  いてその紅葉をさんざんに吹き散らしてしまった。翌朝、庭掃除の召使たちはそ
  の紅葉を集めて掃き捨て、その上、風の寒い朝であったので、残った枝や散った
  木の葉を集め、それで焚き火をして酒を温めて飲んだのだった。
  そのことを知った帝の側近は、逆鱗に触れることと青くなった。紅葉がすっかり
  姿を消したことを高倉天皇に尋ねられ、おそるおそる次第を奏上したところ、帝
  は頬笑んで「「林間に酒を煖めて紅葉を焚く」という詩の心を、誰がお前たちに
  教えたのか」と感心され、何のお咎めもなかった。  (『平家物語』六 紅葉)

      
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  高倉天皇(1161〜1181)は後白河天皇の第七皇子、六歳で即位し、平清盛の娘徳子との間に設けた当時二歳にならない皇子(安徳天皇)に十八歳で早々と譲位した後、翌年十九歳の若さで病没されました。同じ年に平清盛も病死。平家の希望をつないだ安徳天皇が一族とともに壇ノ浦に沈む四年前のことです。心中はともかく存在そのものが平家の専横の保障になった高倉天皇は、人となり穏和で容姿も美しく、近侍する廷臣に慕われたと伝わります。この『平家物語』のエピソードも、高倉天皇の生来の穏やかさと寛容を語るものでしょう。(※この箇所の年齢は満年齢に換算)

      
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  さて、この逸話の中に見える「林間に酒を煖めて紅葉を焚く」という詩句はもともとは白居易の七言律詩「送王十八帰山、寄題仙遊寺(王十八の山に帰るを送り、仙遊寺に寄題す)」(※文例[漢詩]に全文を掲載)に遡ります。その第五句第六句をなす対句にこれがあります。

  林間煖酒焼紅葉
  石上題詩掃緑苔

  林間に酒を煖(あたた)めて紅葉を焼き、
  石上に詩を題して緑苔を掃(はら)ふ。

      
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  紅と緑の色彩の対比も美しく、林間に酒を煖める、石上に詩を題すという遊びの対(つい)もいかにも楽しい風流です。『平家物語』に先立つこと二百年、王朝文化の最盛期に編まれた『和漢朗詠集』がこの二句を「秋興」の部に採っていますから、平安貴族にはおそらくお馴染みのフレーズであったでしょう。それにしても、この時の高倉天皇の御年十歳。厳罰を予想して怯える廷臣を労る言葉にこのような詩句を引くというのは、随分大人びた御振る舞いに窺えます。

  父後白河天皇は今様集『梁塵秘抄』を撰集するなどの粋人でもありました。高倉天皇もまた詩歌に特に親しい人であったのかもしれません。しかし『平家物語』の中にこの紅葉を焚くの逸話を見る時に感じる何とも言えない違和感は、他の場面で語られる政治の急や武士の躍動に見られる生き生きとした時代の息吹とここに流れる優雅さが隔絶しているからでしょう。高位の平氏と平氏が戴く人びとは『和漢朗詠集』の時のままの貴族的な空気で十二世紀末のこの時を生きていたらしく見えるのです。高倉天皇の十九年は、平家と源氏を操って政治を動かす曲者として知られた父後白河院と時の権力者平清盛との確執に常に悩まされ、蹂躙された生涯でした。

      
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