2010年2月15日

第76回 春の雪:春の雪 余寒 梅 雪中梅

第76回【目次】         
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    * 和歌
    * 近現代詩
    * みやとひたち




2春の雪.jpg                                           22.2.2 東京都清瀬市

1 春の雪

  立春を過ぎてから降る雪を特に「春の雪」と呼びます。寒の厳しさが弛んでから降る水分の多い雪で、降ってもすぐに消えてしまいます。そこから、却って春の近さを思わせる情感として古来から捉えられてきたようです。また、降っても地に留まらずに消えやすいことから、儚(はかな)いものの譬えにもよく引かれます。


   みささぎにふる はるの雪
   枝透(す)きて あかるき木々に
   つもるとも えせぬけはひは

   なく声の けさはきこえず
   まなこ閉ぢ 百(もも)ゐむ鳥の
   しづかなる はねにかつ消え

   ながめゐし われが想ひに
   下草の しめりもかすか
   春来むと ゆきふるあした

             伊東静雄「春の雪」(『春のいそぎ』より)


  この詩は以前にも簡単に触れたことがありましたが、浅い春の時期に思い出さずにはいられない一篇です。

  静寂の御陵(みささぎ)。木々もまだ芽吹かず、何も付けないすっきりした枝々は雪に明るむ空を透かしています。雪はその枝に降りかかっても、積もるというまではとどまらない。木末に羽を休めている鳥も眼を閉じて動かず、その羽にしずかな春の雪は降っては消え、降っては消える。まだ辺りに春の彩りもない無彩色に近い地上は、見えるものはみな止まって動かず、雪だけがゆっくりと視界を降下し続けています。そして、「春来むと ゆきふるあした」。この引き締まって美しい情感は比類のないものです。

          
4雪翡翠3.jpg                                    雪の朝 翡翠 22.2.3 東京都清瀬市
   

  この詩を載せた「春のいそぎ」が発表されたのは昭和18年(1943)のこと。太平洋戦争の最中です。その翌年昭和19年(1944)に、東京大学の一年生であった平岡公威(三島由紀夫)が詩人伊東静雄(1906.12.10〜1953.3.12)の住む堺を訪問しています。

        
3美鳥2.jpg                               ソウシチョウ  22.1.31 東京都東村山市八国山


  三島由紀夫(1925(大正14).1.14日〜1970(昭和45 ).11.25)は早熟の天才でした。学習院の初等科高学年の時期から学習院の同人誌『輔仁会雑誌』を舞台に活発な創作活動を始めていたことは周知のとおりです。中学時代に愛読したのは東西の古典作品が中心であったようですが、ジャン・コクトー、レイモン・ラディゲ等と並んで、日本の作家では鴎外と伊東静雄への傾倒は特別のものであったと知られています。文学に夢中であったという少年時代、そのせいかどうかは分かりませんが、三島由紀夫は開成中学の入学試験、また一高の入学試験にいずれも落ちています。それもあってか、父梓氏はその後も何かにつけて文学活動を妨害したと三島は何度か物に書いています。早くから三島由紀夫というペンネームを使い始めたのは投稿作品を父に知られないためのやむない策であったとのことです。

        
7メジロ3.jpg                                       メジロ  22.2.7 東京都清瀬市


  昭和19年、詩人に面会を求めた時に、三島はもちろんもうこの「春の雪」詩は知っていたはずです。昭和18年、19年という時期に、昭和と同年の青年三島がどのような気持ちで「春の雪」を読んでいたのかはまことに興味深いところです。同じ19年の10月、戦下の出版統制厳しい中で、三島は初めての短編集「花ざかりの森」を苦労して刊行していますが、それは「この世の形見」としてであったと、そのときの事情は説明されています。「花ざかりの森」の内容はすでに昭和16年には書かれていたものでしたが、三島はこの時期に、どうあっても本の形にしておこうと思ったのでしょう。

        
14梅花1.jpg                                           22.2.14 東京都清瀬市


  あだ名は「アオジロ」(それを逆手にとって自ら俳号は青城と付けた)。健康に自信も無かったという三島。敗戦による悲惨な終戦を薄々予期していたであろう青年は、あるいは生死の際を生きている心持ちでこの時期を過ごしていたのではなかったでしょうか。自分はもちろん国もどうなるか分からない、数々の愛した古典も共々、日本という国そのものが無くなってしまうかも知れないという恐れを、その時期一度は抱いたに違いありません。



  魂をとらえた美しい「春の雪」は、命をその時はつなぎ止めた三島の精神の深いところで、その後もしずかに降り続いていたのかもしれません。昭和45年(1970)、三島由紀夫最後の作品となった「豊饒の海」四部作の第一部は「春の雪」と名付けられました。昭和45年11月25日、その第四部「天人五衰」の最終稿を入稿して、その足で三島は最期の場所と決めていた陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に赴いたのです。「豊饒の海」四部作が三島の生涯を賭けたものに関わる特別な遺作であることは間違いありません。その幕開けの物語が、思い入れ深い伊東静雄の詩を想起させる「春の雪」であることが気にならない読者はいないでしょう。

         
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  さて、「春の雪」に戻りましょう。
  この冬は北国は記録的な大雪の年になりました。関東でも2月になってから雪がちの日が多く、立春は来たものの、まさに春は名のみの風の寒い日が続いております。降った雪もはかなく消えるのではなく、結構長く残っています。一方、そんな「春の雪」らしくない雪に見舞われながらも春の花木は暦に従うように季節の準備を進めています。元気な花や鳥の様子を眺めれば、特別なこともあり、また多少のことがあるのも自然のうちと、心が広がる思いです。文例には主に、春の雪、余寒、また前回に引き続き、この時期に美しく元気な梅花をテーマとしたものを集めました。

        
14梅花3.jpg                                           22.2.14 東京都清瀬市


【文例】 和歌

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