比田井小葩(1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。
独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めましたが、58歳で急逝しました。
「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。
比田井小葩オフィシャルサイトはこちら。
3月15日は比田井小葩の生まれた日なので、書品77号(1957年2月出版)に掲載されている、小葩の文を載せてみようと思います。
これは、筒井茂徳先生から教えていただいたもので、国会図書館の検索が良くなったというものでした。
今年に入ってからは検索してなかったのですが、入ってみるとホームページがちょっと違うな、、、なんと!著者名だけでなく、目次、記事に入っている人物でも検索ができるようになっていました。
少し長いのですが、お誕生日に免じて読んであげてください。
カンバスに仮名を書く 比田井小葩
「こいつは何だ、あきれたね。」と突拍子もない大きな声。「エッ、カンバスに墨がのる?。筆で墨をつけて書いたのかい。」ヘーエと驚いている。一昨年の事であつた。主人が油絵の具とカンバスを沢山買いこんで来て「これは地塗りだよ。こうやつて下ごしらえをしてその上に絵を書くんだ。」と面白そうに塗つている。見ているとこれが料紙の代わりに使えそうだ。自分で好きなように下地をこしらえてそれに書けるかもしれない。自分でつくつた料紙に書いたらどんなに楽しいだろう。善はいそげ、やつてみよう。カンバスの一枚をそつと借用して、めくら滅法ゴテゴテと塗りあげた。乾く間の待ち遠しいこと、時々さわつて見るので方々に指の跡がついてしまつた。もう乾いた、さあ書こう、未知の材料に心がはずむ、何を書こう。下地に相当のボリウムがあるからたつぷりとしたものにしよう。墨をゴトゴトに濃くすつて筆につける、どんなになるだろう。書き始めると筆のタッチは紙とはまるで違う。一字書いてみると何とも云えず面白く夢中で書き終わつてしまつた。面白くてとても一枚ではやめられない、主人の塗つてあつたものの中から小さくて余り使はないらしいものを二、三枚借用して色々なものを書いてみた。丁度部屋に入つて来た主人がこれを見つけて、あきれて大きな声を出したのだつた。
油の上には墨はのらないのだろう」と誰も書かなかつたらしいが、私は盲蛇で、少し書きにくいくらいで平気で書いてしまつたのだ。
一度味つた感激に、カンバスに書くのが面白くてやめられなくなつてしまつた。そして不思議なことには、その処理さえよければ油絵具と墨とは非常によく結びつき、暫く時が経つといくら洗つても跡がとれない位しっかり固着していることがわかった。「これはきつと油煙の中の油分が作用しているのかもしれない」と主人は首をかしげている。
あとからあとから書きたくなるが私の書作は、夜子供達を寝かせながらモチーフを考え、十畳の天井一杯に作品を書いては消し書いては消す。やがて子供達が可愛い寝息をたて始めると私は早速カンバスを塗りにかかる。塗る間、字と構図を考えるので作品が半分出来たような気がしてくる。今まで紙に書いていた時は、人様の造つた料紙の中の気に入つたのを選んで書くのだから時間的にも短かかつたし、料紙の面白さにマッチするようにして書くという安易さがあつたが、自分で下塗りからするのは、始めから作品を意識してかかり、その間に充分準備と構成と発展とを考えるので一貫した制作が出来るように思う。そして料紙から自分がこしらえたものであるという親近感があり、書作はずつと楽しい。下塗りのナイフをカンバスにおろした時からもう制作が始まつているという意識が強く働いてくるので、瞬間に出来上る普通の書の概念よりは、むしろ絵の方の領分に近いのかもしれない。
下塗りさえ沢山しておけば表装に時間を要しないので期日ギリギリまで書ける事も、書き損じると消して又書き直せる気易さもカンバスに書くのがやめられない点の一つであるが、一昨年の暮の事、仕事が大多忙を極めたので下塗りだけ沢山に用意しておいたところ、〆切の間際になつて興にのつた主人が一晩の中にみんな使つてしまい、朝起きてみたら、傑作が並んで居るので、アッと云つたきり動けなくなつてしまつた事があつた。紙ならいくらでもあるが表装は間に合わず、油は一日や二日では乾かず、せつかく出来たものを消すわけにもいかず、ベソをかくやら大あわてした事があつた。あなたは先生おかかえだから羨しいわとおつしやる方があるがこんなさわぎも起ることがある。又この先生は「下塗りの方法を教えて下さい」といつても忙しいのとそれより第一面倒くさいので「素人が滅茶苦茶にとんでもなく塗つた方が面白いのだ」と云つて済まして居て、仕方がないので小葩流と云うのを発明に及ぶと「ほらね面白いじゃないか」と笑つているのだから始末に悪い。
奥様業と会社の事務員と工員と、大きなだだつこ坊やを含む子供達のお守りと、コックさんと数えあげればきりのない毎日の生活に追われながら、何か一番ピッタリとくるものがあるので、私のカンバスは一枚二枚とふえてゆく。
(仮名遣いは原文のママ)
この中の、寝かしつけられる子供達の一人が僕で、読んでもらうお気に入りだったのが、「のんちゃん雲に乗る」で、のんちゃんは白血病で亡くなってしまってしまう、荒井由実(ユーミン)のひこうき雲の原作の様な物語なのです。
ところが、大きくなってからもう一回読んでみると、なななんと!最初の書き出しのところの、朝、お母さんが台所でお味噌汁の大根を切っている音が聞こえます。
とんとんとん、、とんとんとん、、、これの繰り返しだけで僕は寝かされていたのでした。
母は、とんとんとん、と言いながら、天井のカンバスで創作活動をしていたのですね。
創作活動の邪魔をしない、大変お利口な僕でした、、、
比田井南谷は、多彩な用具用材を試みたことで知られていますが、カンバスに墨で書くことを始めたのが比田井小葩だったとは!
びっくり仰天です。
しかも、あの権威ある「書品」に掲載されているなんて!
筒井先生がこの記事を紹介してくださる前に、カンバスに墨で書いた小葩の作品を紹介するブログがあります。
「詩文書に向き合うために一旦、きれいなものを見直してみる実験をしていたのでしょうか。」とありますが、鋭い指摘だと思います。
その頃の写真です。
元町商店街の出口に近い八戸橋に佇む南谷と小葩。
この笑顔の裏では、気が休まる暇もないバトルが繰り返されていたのですね。
(南谷は何も持たず、小葩だけが両手に荷物を持つといういつものパターン)
ちなみに1955年、小葩が下塗りをしたカンバスを拝借して書かれたとおぼしき南谷の作品は、小葩が「傑作」と言っているように、油絵具を使った力強い作品群です。
お互いに刺激しあうことによって、さらに自由な発想が生まれていく。
すごいなあ。
最後のイタリック部分は比田井和子のつぶやきです。