比田井小葩(本名康子・1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。

独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めましたが、58歳で急逝しました。

「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。

比田井小葩オフィシャルサイトはこちら

 

 

しんしんしんしん

しんしんしんしん

しんしんしんしんゆきふりつもる

しんしんしんしんゆきふりつもる

しんしんしんしんゆきふりつもる

しんしんしんしん

しんしんしんしん

 

この作品と次の

 

いづくにも

虹のかけらを

拾ひ得ず

 

は、キャンバスに下塗りをわざと粗く施してから書いているので、19524年頃の作品でしょうか。

何か、洋画の道具の真っただ中にいても着物を着て、日本の細い筆で日本人の心を文字で表現しようとしている時期なのでしょう。

日本画では、雪は綿帽子とか静寂を表すように描かれることの多いしんしんと降る情景を、小葩は、何かざわざわした心情の作品にしあげていますが、詩文書に向き合うために一旦、きれいなものを見直してみる実験をしていたのでしょうか。

 

私たち姉弟は、小さいときにはよく熱を出していましたが、そんな時に最初は白がゆと梅干し、おかかに醤油まぜたのがごはんで、その次は玉子がゆと焼き麩を煮て卵とじにしたものでした。

もう少し良くなると、玉子がゆと、鮭缶と玉ねぎと拍子切のじゃがいもを煮て玉子でとじた、肉じゃがならぬ鮭じゃがに昇格しましたが、それよりも二人が待ち望んでいたおやつが、りんごのしゅるしゅる、でした。

これは、りんごをすりおろしたものに卵の白身のメレンゲをまぜて、砂糖で甘くしたふわふわのさっぱりしたババロアで、一人に二つずつあって、いつ食べるかが悩みでした。

だって、あまり冷蔵庫に入れておくとりんごが変色して、まっ茶色になってしまいましたから。

味はおなじでしたが、、、

 

 

 

上の作品は草野心平の「ゆき」、下は山口誓子の俳句です。

両方ともモノクロの、しかも精度がよくない写真しか残されていませんので、これから想像していただくしかありません。

1952〜54年というと小葩は38〜40歳。

近代詩文書を書き始めた頃の作品で、ナイーブな線が印象的です。

「何かざわざわした心情の作品」という分析は、鋭くてびっくりしました。

 

風邪をひいたときの食事のことが書かれていますが、私がまっさきに思い出すのは、往診のお医者さんが注射器を出したとたんに、二人で家中を逃げ回ったこと。

なんたる違い!

 

風邪のときに作ってもらった「りんごのしゅるしゅる」は、今も鮮明に覚えています。

りんごをすりおろして、泡立てた卵の白身とお砂糖をやさしく混ぜた母の味。

おとなになってからいろんな人に聞いても、みんな「知らない」と言います。

どなたかご存知ありませんか?

 

最後に、美味しいものを満足気に食する幼き日の隊長の写真です。

嬉しそうだなあ。

(私はなぜか覚めている)

 

イタリック部分は比田井和子のコメントです)