比田井小葩(1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。

独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めましたが、58歳で急逝しました。

「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。

比田井小葩オフィシャルサイトはこちら

 

 

 

 

おいてなほ

なつかしきなの

ははこぐさ

 

小葩は、文字の配列を変えて二点の作品を残すことがありますが、これは料紙の効果を考えて、このようなことになったのでしょうか。

どちらもとてもいいので、両方とも紹介させていただきます。

1964年頃の作品と思われます。

 

 

1960年頃の横浜の花火大会は、開港記念日の62日と、74日のアメリカ独立記念日の二回あり、両方ともホテルニューグランド5階のスターライトグリルでフルコースの花火鑑賞があり、曜日の関係か、どちらかに行きました。

74日はアメリカ人の客もいたように思います。

 

祖母を筆頭に叔父叔母など10人ぐらいが大きな窓に延びたテーブルに着き、私たち姉弟は母をはさんで座りました。

まだ小学校低学年の私は、いちいち目で母に確認すると、ちらっと見て小さくうんとか違うとか目くばせで返してくれていました。

 

花火は仕掛け花火を除いて35発くらいだったので、のんびりしたものでした。

 

まず、パテの詰まった小さいオードブルなどが揃うと、食前のお祈りをしてから始まりますが、各種のパンの入ったバスケットを持ったボーイさん(昔はウェイターでなくそう呼んでいました)が、一人ずつ、いかがなさいますか? と来るのですが、ロールパンは人数分あるのですが、ブリオッシュと黒パンが半分ずつしかなくて、あと一つのブリオッシュが何か申し訳なくて黒パンを指さすことが時々ありました。

 

すっぱくてぼそぼそしたのに困ってそこで、模様のついた丸いバターを余計に取って、パンと同じくらいの厚さに塗ってみたら何と!凄くおいしかったので、黒パンが嫌いでなくなりました。

 

スープは二種のお皿を持って、コンソメとポタージュどちらになさいますか?と聞かれ、子供の好きなポタージュを注文すると、先に並んでいた大きな銀の器を持ったコンソメ係のボーイさんが、残念そうに次に行くのを見て、次にはコンソメを注文するからね、と思ったものです。

 

コンソメには小く切った玉子豆腐かパールオニオン、ポタージュにはクルトンが入って、5人のボーイさんがぞろぞろ並んで順番にサーブしていました。

 

次は大体ひらめのクリーム煮で(酒を好まなかった祖母のせいでシャンパンソースでなかった)、大きな銀の角盆に整然と並んだ10人分を大きなスプーンとフォークで一人ずつ取り分けてくれるのですが、時々危なっかしい人がいて二つに崩してしまいあわててくっつけたり、大体あせるともっと崩したりで、なかなかおもしろかったです。

 

次にひれステーキと温野菜で、こちらはあまり失敗する人はいませんでした。

 

途中で支配人の方が、各テーブルをまわって挨拶してくれましたが、とてもなごやかでいい時間でした。

 

最後にデザートで、時々かごに入った丸のままのくだものがすすめられることがありましたが(本当にあったのです)、みんなバナナやオレンジを取る中、何と母はこんなところだから面白いと、りんごを選びました。

どうするのかと見ていると、さっと手に取りおもむろにむきはじめたのです。

いいのかなあと不安になりボーイさんの方を見ると、いいんですよとにこにこしてくれました。

むきおわるとフィンガーボウルで指先を洗い、子供たちに分けてくれました。

 

最後に子供達には紅茶で、熱くてなかなか飲めないでいると、8時半を過ぎて、10人位のjazz演奏が始まり、アメリカの音楽は不良だと信じていた祖母の早く帰りましょう! の号令でお開きになりましたが、あの時のフワーんという何とも心地よい複雑な和音が耳に残り、今でも思い出されます。

 

 

 

今回の小葩の作品は「おいてなほ なつかしきなの ははこぐさ」。

「料紙の効果を考えて」とありますが、それは下の作品のことです。

写真はモノクロで光のムラもありますが、もとの紙がわからないので、全体を少し明るくするにとどめました。

 

そして、ホテルニューグランドで見た花火大会のお話。

戦後間もなくでしたから、格式あるホテルでもいろんなハプニングがありました。

ひらめのクリーム煮をボーイさんが分けた時は、私も息を止めて見入ってしまいました。

大人の世界のあやうさを垣間見たような。

 

1964年よりも少し前だと思いますが、ホテルニューグランドで行われた伯父の結婚式レセプションの写真です。

左から二人目が比田井南谷。

その右に、小葩をはさんで、隊長(弟です)と私がいます。

その右は母方の祖父母。

 

もっといい写真がありました。

おお、ひらめのクリーム煮らしきお料理を、ボーイさんが取り分けている。

ちっちゃな隊長がじっと見ている。

幼な子、おそるべし!

 

イタリックは比田井和子のつぶやきです。