二十世紀になると、日本の書は大きく変わりました。

一番問題視されるのは、「何が書いてあるかわからない書」です。

書道はいったいどうなっちゃったんだろう。

 

そんな疑問に答える本が出ました!

膨大な資料を読み解き、謎に包まれた前衛書の誕生とその展開を明らかにする待望の本!

髙橋進著「比田井南谷–線の芸術家–」(天来書院刊)です。

 

まずは、松岡正剛氏による帯をご覧ください。

メールに添付された肉筆です。

弾むような線のリズムに目を奪われますね。

そして内容は、日本の前衛芸術は南谷から始まった。。。。。

 

 

比田井南谷は、史上初の前衛書「心線作品第一・電のヴァリエーション」(1945年制作・千葉市立美術館蔵)を書いた作家として知られています。

(諸悪の根源だと言う人もいる・汗)

この作品は読むことができません。

書家や批評家の多くは、「これは書ではない」と非難しました。

それにもかかわらず、生涯「文字を書かない書」を書き続けた比田井南谷。

アメリカに渡って高い評価を得、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に作品を買い上げられた知られざる作家。

 

書籍の内容を簡単にご紹介しましょう。

 

その1

「前衛書」はなぜ生まれたのか? に答える本です。

南谷の父親は、現代書道の父と呼ばれる比田井天来です。

天来は3000年にわたる書の古典を現代に蘇らせると同時に、書を東洋独自の芸術としてとらえなおしました。

天来のもとで、子どもの頃から臨書(古典をお手本にして勉強する)に夢中になっていた南谷が考えた「書の本質」。

それは、「筆による『線』の表現力」でした。

書の芸術性は文学的な意味内容とは無関係であって、線の豊かな造形性こそが書芸術の本質である。

書籍では、南谷の回想や天来のことばによって、これを検証しています。

 

 

その2

南谷のイメージの源泉は同時代の絵画ではなく、3000年にわたる書の古典でした。

 

作品13「受による」は1953年に書かれました。

 

この作品は、中国古代文字の字典である「古籀彙編」に見られる「受」の字形に触発されて書かれました。

南谷は書の研究者としても知られ、「中国書道史事典」の著書がありますが、父から受け継いだ膨大な書の資料こそが、創造の源泉だったのです。

「古籀彙編」のほかにも、中国漢時代の「木簡」や、空海が得意とした「飛白」などから、ユニークな作品が作られました。

 

 

その3

南谷の作品は生涯の間、変貌を遂げ続けました。

本書では、それぞれのエポックの代表作を、鮮明なカラー画像で再現しています。

 

作品12 1953年 香港のM+美術館蔵

四つの目が何かを象徴しているように見えますが、実はこれも「古籀彙編」に刺激されて書いた作品です。

 

作品22  1955年 千葉市美術館蔵

キャンバスに油絵具を地塗りして、黒の油絵具で書いています。

なぜ油絵具を使ったかというと、「書は筆と墨と紙を使う芸術である」という一般通念を否定するため。

油絵具を使って書の線を書くことができるかどうか、という実験だったのです。

 

作品38 1956年

先に黒の油絵具を塗り、乾かないうちにゴムタイヤの切れ端でひっかいた作品。

中国戦国時代から漢時代にかけて、柔らかい粘土にヘラなどで文字を書き、焼き上げた「瓦削」がたくさん作られました。

これらからヒントを得たと思われます。

比田井南谷編「陶塼瓦削文字集録」はこちら。(残部僅少)

 

作品61-6 1961年

南谷は1959年に初めてアメリカへ行き、アーティストと交流しましたが、その後半から作風が変化しました。

大きな空間と細い線。

「たくましい紙面に飽きた。と同時に、空間への思念が強くなった」と語っています。

 

作品63-14-3 1963年 ニューヨーク近代美術館(MoMA)蔵

1963年は第2回渡米の年です。

ダイナミックな線と躍動するリズム。

墨の立体的な効果は、二種類の中国の古い墨を磨り混ぜることによって生まれています。

「読もう」という意識を捨てて初めて体験できる線の醍醐味だといえるでしょう。

 

作品67-3 1967年

同じ南谷特製の墨を使っていますが、作風は瀟洒になり、ユーモアが感じられます。

中国漢時代の木簡(居延漢簡)からヒントを得ています。

 

 

その3

南谷は欧米人に「書」を紹介するために、単身でアメリカ、オランダ、イギリス、ドイツ、イタリアを訪れ、各地で個展や講演会、芸術家を対象とした書の指導などを行いました。

豊富な写真によって紹介しています。

 

1960年、第1回渡米の際、サンフランシスコ「デ・ヤング美術館」で開催された個展は、拓本展も併催され、新聞や雑誌で絶賛されました。

 

1963年、第2回渡米で、ニューヨーク市立大学ブルックリン校で行った講演に対するアド・ラインハートの礼状。

あなたのプログラムはこの大学で、過去十数年以上の間でもっとも刺激的なできごとでした。

学生たちは今後長い間語り合うでしょう。

 

1964年、第3回渡米の際、アーラム大学で行われた「講演とデモンストレーション」。

中段の写真、左の女性は、ニューヨーク・タイムズの美術記者だったエリーゼ・グリリ。

 

1964年末、ニューヨークの芸術家に書を指導。

右手前はウルファート・ウィルキ。

 

 

その4(おまけ)

南谷の作品に押されている印です。

読めますか?

南谷の本名、Susumu Hidai のイニシャル「S」と「H」の合文です。

 

 

最後に著者について。

髙橋進さん? 知らない。

なんて言わないでください。

ブログ「酔中夢書」に何度も登場する「ムー教授」です。

学習院大学哲学科の同級生で、博士課程修了後、1978年に私と結婚しました。(私は修士課程修了)

日本女子体育大学の名誉教授で、専門は西洋哲学・美学・思想史。

定年後、比田井南谷が残した資料の多さに驚き、誰も整理していないことにあきれ、比田井南谷オフィシャルサイトを作り、英語版も作り、今回の書籍発行となったわけでございます。

ついでに、「日本の前衛書の光芒」という記事も書いています。

また、書籍執筆に当たり、南谷が「電のヴァリエーション」を書いた場所を調べて3回も訪れました。

旅行記「ここから前衛書が始まった」はこちら

 

「比田井南谷-線の芸術家-」には、南谷のみならず、同時代の書もたくさん紹介しています。

全国の大型書店には、もう並んでいます(はず)。

ない場合はお取り寄せできますので、ぜひ読んでいただきたいと思います。

 

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