比田井小葩(1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。

独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めましたが、58歳で急逝しました。

「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。

比田井小葩オフィシャルサイトはこちら

 

 

 

しろいそらへ

桐のわかめがほぐれて

ゆく

 

ゆったりとした太い文字なのに配置の妙で、緊張感とやさしい風景の両方が存在する印象深い作品ですね。

一度見ると頭の中にわかめがこびりついてしまいます

 

1960年頃に多分、叔父の結婚式がホテルニューグランドであったので、横浜国際花火大会の食事観覧席の案内があったのだと思いますが、ホテルニューグランドの本館5階のスターライトグリルで毎年、母方の祖母を筆頭に叔父、叔母、らと、10人位でフルコースをたべました。

昔は、ちゃんと花火が上がるのを見ながらの食事だったので、楽しかったです。

6月2日の横浜開港記念日なので県内の企業が協賛していて、パンフレットに花火の大きさと協賛企業が書かれていて、横浜トヨペットや、高島屋、高梨乳業なんかが大きな花火を提供していました。

それとハイライトの、空中に渡したらしいワイヤーにつるされた、滝のように流れ下るナイヤガラが圧巻で、最後に富士山と丸いマークが表れてキンチョウ蚊取りの提供でした。

まだ打ち上げ場所の山下公園には噴水も、氷川丸もマリンタワーやほかのホテルも無くて、広々とした公園に人がいっぱいいるのを見下ろしながらのごちそうは、だいぶ申し訳ない思いがしたのを思い出します。

ごちそうのすったもんだは、次回にお話しします。

 

 

 

この原稿を隊長から受け取ったのは数日前。

わかめがこびりつく→しろい空に漂うワカメ!

ワオ。

 

ちょっと忙しかったので、投稿はもう少し後でもいいかとのんびりしていました。

そうしたら、昨日のこと、「横浜開港記念日は明日だよ」と突然言われました。

ワオ。

で、本日急いで投稿したわけです。

 

ごちそうのすったもんだは次回。

とのことなので、花火大会についての私のコメントも、次回に持ち越しということで・・・・・。

 

最後のイタリック部分は比田井和子のつぶやきです。