「つきのよの」とバースデイケーキ
2024年9月24日
比田井小葩(しょうは・1914〜1972)は、1948年に比田井南谷と結婚。
独特の抒情的な書風は、書壇でも注目を集めましたが、58歳で急逝しました。
「隊長、私(詩)的に書を語る」は、息子、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母を回想しながら、小葩の書を語ります。
比田井小葩オフィシャルサイトはこちら。

つきのよの
ほしのあはさ
小葩は、大作の方が自分の感情を素直に表現しているような気がします。
写真で少し太い筆を持ち、書き終わって満足げな表情を見せているものがありますが、あの頃に書いたものでしょうか。
あはさ、と右に寄ってゆくところが、勇気がありますよね。
印の位置が絶妙です。

私たち姉弟は、小学校低学年のころのバースデイケーキはジャーマンベーカリーに注文してもらっていました。
特別な形のものは他では、やっていなかったので、母に連れられて店に行くとアルバムに色んな形のケーキがあり、迷いに迷った挙句やっぱり姉は大きく丸く開いたドレスの真ん中にお人形が入ったピンクので、私は機関車の形のものになりましたが、毎回違うのと長い間悩んだ記憶があります。
バタークリームでしたが、当時は本当のバターで作るので、おいしかったです。
このジャーマンベーカリーは元町商店街の入り口付近にあり、隣にジャーマンデリカテッセンというヨーロッパの缶詰めや瓶詰め、本格的なハムやソーセージを売る店を持つ洋菓子店で、ケーキ注文の後は喫茶部で、そぎ切りにしたバームクーヘンにたっぷりのホイップクリームのせを食べました。
そして帰りにふつうは猫の舌チョコレートを買ってもらうのですが、時々母の機嫌がいいとチョコ買ってもいいよといわれ、60センチ四方位のガラスケースのアソートチョコを選ばせてもらいました。
今ではデパ地下などで買えますが、その頃はここでしか買えない貴重なものだったので、姉と二人で中身を思い出しながら選びましたが、子供にはあまりおいしくないものもあったのですが、なぜかそれをうっかり何回も買ってしまうことがよくありました。
僕としては、パイナップルの砂糖漬けが入ったのが好きでした。
でも、何か大事なお客様が来るときにはホテルニューグランドまでケーキを買いに行っていたのですが、そのあとみんなで残ったケーキを食べてみると、断然おいしかったのです。
バタークリームが生クリームよりおいしいくらいで、お客様がまた来ないかなー等と思ったものでした。
小葩の作品は、濃墨でかすれを活かした作品「つきのよのほしのあはさ」です。
二行の中に「の」が三つ。
書きやすい素材ではないのに、まるで息をするみたいに自然に書かれています。
さて、今回はバースデイケーキのお話です。
横浜元町にあったジャーマンベーカリーでは、本当に斬新なデザインのケーキを作っていました。
私が選んだのは、ピンクのフリルのスカートのてっぺんに小さいキューピーさんが乗ったもの。
弟のはまさに機関車の形。
写真が残っていないのが残念です。
当時、美味しいバタークリームは少なかったのに、このケーキだけはとびっきり美味でした。
レストランでは、生クリームたっぷり(過ぎる)のバームクーヘンや、濃厚なグリーンピースのポタージュスープ、ちょっと酸っぱくてぼそぼそした薄切り黒パンの上にチーズやサラミが乗ったオープンサンドを食べました。
あの黒パン、もう一回食べたい!
最後に

一昨日、弟が出してくれたローストビーフと自家製ハム、低温調理です。
ローストビーフは牛の上等なもも肉を58度で4時間、ハムは豚肩ロース肉を65度で5時間だそう。
とろけるような柔らかさ、とっても美味でした♫
イタリック部分は比田井和子のつぶやきです。