「隊長、私(詩)的に書を語る」は、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母、比田井小葩を回想しながら、小葩の書を語るシリーズです。

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10月14日から「時々南谷」を追加して、比田井南谷の文字作品も紹介します。

 

 

 

のいばらの あをむとみしや

はなつぼみ

 

飯田蛇笏の『春蘭』にある句です。

1967年銀座松坂屋で開かれた第11回随鴎現代書展に出品されたものです。

これまでの立体的な墨を用いて書かれたものではなく、小葩の文字はそのままに、より古典の趣をもたせたとでもいうような作品ですね。

この頃には天来生誕100年展の構想が始まっていた頃なので、師である小琴に見せるために色々試行錯誤していたのでしょうか。

でもやっぱり小葩らしさは失われてなく、温かくてほっとします。

 

父、南谷がアメリカから帰ってきてしばらくすると、母がお世話になったみんなにクリスマスプレゼントを贈ろうと、銀座のデパートで沢山のおせんべいを買ってきました。

毎週何回も紙袋持てるだけ買ってきて、部屋におせんべいの山が出来たころに、みんなで段ボール詰めが始まりました。

醤油せんべいばかりでなく、小さいアユの形と梅のちょっとすっぱいのや、豆菓子、ウニやチーズをはさんだのや、磯辺巻、薄くてパリパリのとか、海老満月、ピンクのサクサクしたのや江戸一のピーセン等たくさん詰め合わせて船便で送りました。

10人から15人位だったと思いますが、クリスマスになるとそれぞれの人からクリスマスカードが送られてきて、すごく喜んでいたのが伝わってきました。

そして父はじきに二回目の渡米をしたので、みんながどれを一番喜んだのかわかったのですが、どうやら江戸一のピーセンがダントツだったらしいのです。

それからも毎年プレゼントは続きましたが、何度も渡米するたびに、みんなジャパニーズクラッカーと言ってピーセンをほめたらしいので、ついには缶入りの江戸一のピーセンのみになりました。

送るのは簡単になりましたが、ちょっと空しかった思い出です。

 

 

小葩の作品はだんだん洗練されてきました。

かといって一つの型にはまるのではなく、どこまでも自由に制作していました。

父のアトリエの片隅で臨書していた姿を思い出します。

 

今回の子どもの頃の思い出は、アメリカの友人へ送ったクリスマスプレゼントです。

友人と言っても日本人は一人か二人。

ほとんどはサンフランシスコやニューヨークのアーティストでした。

プレゼントをするとものすごく喜んでくれて、贈ったこちらのほうが嬉しくなるほど。

そして彼らがもっとも好んだのは「ピーセン」でした。

私が行ったときも、「ジャパニーズクラッカー」の話題が何度も出ましたっけ。

 

イタリック部分は比田井和子のつぶやきです。