「隊長、私(詩)的に書を語る」は、比田井義信(1953年生まれ・私の弟です)が母、比田井小葩を回想しながら、小葩の書を語るシリーズです。
比田井小葩のオフィシャルサイトはこちら。
10月14日から「時々南谷」を追加して、比田井南谷の文字作品も紹介します。
みどり
ばっかりの
原っぱ は
うごく
ようだ
八木重吉の『ことば』の中の「原っぱ」という詩です
原本のままでちょうど作品に向いた字数なのですね。
二メートル以上の幅の大作なので、二枚にしたのでしょうか。
第二回、神奈川県美術展に招待作家で出品されたものです。
大作になると勢いとか迫力を求めて、どうだと言わんばかりの濃い線でどどーんと書く人が多い中で、何と繊細で優しく情景を描いたのかと、草のうねりや色さえも感じるようです。
硯の中のいろんな濃さの墨を使い分けていますよね。
たくさんの余白がものすごく計算されて、おだやかで懐かしくも感じられます。
1950年代最後のころは、リンゴ箱が厚い木でできていてすごく重かったのですが、叔父叔母など大人数で住んでいたので、青森から汽車便の(ちっき)で毎冬送られてきました。
荒縄で縛られ、細い針金の付いたエフが二枚括りついたのを、大人が小さなバールで釘を抜き開けると、新聞紙が表れ、めくるとおがくずがびっしり入っていました。
手を突っ込んでそおっと探ると、ひんやり冷たい最初の一個の感触が懐かしいです。
子供の歯は小さいので、薄く切ってもらったのを思い出しますが、今のように蜜たっぷりのものと違い、だいぶすっぱかったので、本当は風邪をひいてあの、砂糖とメレンゲの入ったりんごのしゅるしゅるをつくってもらうのが、一番の楽しみだったのです。
そして年が明け、大分たった頃におがくずの中から、見つけそこなったぶよぶよのりんごが一つ発見されるのも、お決まりでした。
その時期に国光というすっぱくて硬いりんごが出回り、母は真ん中をくりぬき、驚くほどの量の砂糖とバターを詰め、そしてシナモンを振り、オーブンで焼きリンゴを作ってくれました。
本当は冷ましてから食べるのですが、待ちきれなくて熱いうちに食べるとまだすっぱいので、ミルクをじゃぶじゃぶかけて混ぜながらたべました。
1960年を過ぎると、ホットケーキミックスでドーナツを作るのがはやり始め、輪切りのりんごを中に入れた揚げドーナツの方が多かったようにおもいます。
リンゴ箱は薄くなりましたが、釘でとめてあるのは同じだったので、大人がバールで開けてくれるまでは、あのおがくずに手を突っ込むのはおあずけでした。
そのうちにウレタンの型にきっちり並んだりんごになってしまいましたが、なんだか最後にぶよぶよのりんごが表れるのは同じでした。
比田井小葩は大きい作品です。
作品から徹底的に文学性を排除した夫、南谷と逆に、文学性や絵画性をも取り入れた情緒的な作品を書きました。
比田井家に嫁いで、ここまでおおらかに書くのはすごいと思います。
この文章を読んで、さらさらとくずれるおがくずの感触を思い出した方も多いのではないでしょうか。
なかなか気持ちの良いものでした。
でも、りんごが入ったドーナツはやっぱりちょっと酸っぱくて、バナナのドーナツのほうが好きでした。。。。。。