比田井南谷が、ほぼ一年半のアメリカでの活動を終えて帰国したのは、1961年4月末のことでした。

「書」という東洋独自の芸術を紹介すべくアメリカに渡り、大きな成功をおさめた南谷に、日本のマスコミが興味を示しました。

1961年6月16日付の日本経済新聞には「アメリカの書道生活――決して東洋人に劣らぬ表現――」という南谷の記事が掲載されました。

 

また、7月18日付東京新聞には「線表現に意味はいらない――比田井南谷 米で前衛書道を教授」と題したインタービュー記事が、さらに8月1日付の朝日新聞(上図)には、「真夏の墨象 カッパの国」という南谷自身のエッセーが掲載されました。

 

1961年12月には、帰国後第1回の個展が銀座、村松画廊で開催されました。

ここには、南谷の作品とともに、アメリカで指導した人たちの作品も展示され、彼らの優れた造形センスが日本の書家を驚かせました。

 

また、海外からは次々と展覧会の出品依頼が届きました。

1962年4月の「現代日本の書・意味と記号展」(ダルムシュタット・アウグスブルク・ベルリン)。

1962年から1964年にかけて、アメリカ巡回「現代日本の墨画展」。

そして、1962年11月~1963年1月に開かれたニューヨーク近代美術館(MoMA)の「最近の収蔵品:絵画および彫刻展」には、「作品60-B」「60-C」「60-D」の3点が展示されました。

さらに1963年には、「書法と形象展」(5月~6月オランダ・アムステルダム、6月~8月西ドイツ・バーデンバーデン、上はそのポスター)に出品しました。

 

 

南谷は海外活動を一度だけで終わらせるつもりはありませんでした。

フランクで好奇心に富み、目を輝かせて書を理解しようとするアメリカの友人たち。

彼らにもっと深く書を理解してもらうために、南谷は2つの計画を立てました。

 

一つは英語によるわかりやすい書の解説書‘The Art of Calligraphy’です。

こちらはジャパン・タイムズ記者、エリーゼ・グリリ女史の協力を得て、第一回渡米の前から着手していました。

後に書学者、伏見冲敬氏の協力により、日本語版のみ「中国書道史事典」として1987年に雄山閣出版から、2008年には天来書院から発行されています。

 

もう一つは、作品制作の揮毫映像です。

筆遣いを知ることによって書の理解が深まると考えた南谷は、第一線の書家に依頼して、作品を書いているところを撮影しました。

 

左の西川寧は、書いているところを弟子にも見せないと言われていましたが、映像では、下の文字から書くという名人技を披露しています。

中央の熊谷恒子は、美しいかな作品を揮毫しました。

右は上田桑鳩で、力を込めた揮毫風景は圧巻です。

ほかに、目にも止まらぬほどのスピードで草書作品を書く手島右卿、大きな筆をダイナミックに振り回す井上有一、端正な筆遣いで力強く臨書する桑原翠邦、悠然と筆を運ぶ松井如流、堂々とした伝統書法を示す豊道春海が撮影されました。

南谷はこれらの8ミリフィルムを編集して、1時間ほどにまとめ、出演した方々を試写会に招待しました。

 

上は試写会に集まった方々です。

左から手島右卿、豊道春海、松尾謙三(晩翠軒)、熊谷恒子、松井如流、上田桑鳩の姿が見えます。

南谷の海外活動に期待を寄せている様がうかがえます。

 

 

さて、ここで、南谷の作品を見ていきましょう。

父、比田井天来の影が色濃く残る書道界を離れ、書を知らないアメリカのアーティストたちと交流したことは、作品にどのような影響を与えたのでしょうか。

 

「作品60-1」(上図)は、サンフランシスコのアトリエで書いた作品です。

あの、不思議な中国の墨が使われています。

にじみの中心で何本もの基線が交錯しています。

それ以前の作風の名残が感じられる美しい作品です。

 

ところが、帰国後に書かれた「作品61-7」(上図)になると、趣はまったく異なりました。

広い紙面に散らばった細い線。

自信に満ちたダイナミズムは姿を隠し、とぎれとぎれの線による繊細な動きが、余白を際立たせています。

 

彼は、これらの作品において一つの実験を行なっている。

それは、減筆された細い線を用いて、しかも筆意がいかに空間を支配し、古典のある種の傑作に見られるような、強い造型性を創造することができるかどうかという試みである。

もし、書の本質が筆意の表出にあるとすれば、この時点から、その本質的な意味での書が始まったということができる。

また、彼自身の内にある「陰」の面を自覚して、それを正直に打ちだす勇気をもち得たことを示している。

  (岡部蒼風「南谷の人と作品」『比田井南谷作品集』書学院出版部 1987年)

 

異国の地で、書を知らない人々にその素晴らしさを語り、議論していく中で、書の本質に対する新たな自覚が、南谷の中に生まれました。

書の美の核心へと、南谷は踏み込んでいったのです。

 

同じ1961年に書かれた「作品61-13」です。

全面に拡散した細い線から一転して、中央に力が集中しています。

この作品で、南谷は新しい紙を使いました。

日本の鳥の子紙です。

表面はなめらかで光沢があり、にじみません。

 

「作品61-25」は線と点で構成されています。

これには日本の美濃紙が使われたので、にじみがあります。

 

「作品61-26」も単純な横線と点の構成ですが、鳥の子紙と南谷独特の「不思議な墨」が使われました。

鳥の子紙を使うことによって、書いたときの筆の動きがさらに強調されています。

そして注目すべきは、筆順のような時間の経過が感じられることです。

書いた通りに線をたどり、南谷の心の動きを追体験できるのです。

 

これこそ南谷が求めた線の表現でした。

 

理想のマチエールを発見した南谷は、この後、1964年まで、大量の作品を次々と生み出していきました。

 

「作品63-10」は強いインパクトを与える作品です。

大胆で強靭な線と強固な構成力。

旺盛な制作意欲が充実した紙面を作り上げています。

 

「作品63-11」はうねる線が複雑な動きを見せています。

空海の益田池碑(ますだいけひ)の影響が見られます。

 

これらの作品を携えて、1963年9月末、南谷はふたたびアメリカへと旅立ちました。

 

 

1963年に南谷が撮影した8ミリ映像は、下記のDVDで見ることができます。

DVD「書・二十世紀の巨匠たち」

第1巻 謙慎書道会の作家 豊道春海・西川寧

第3巻 多彩な書表現 桑原翠邦

第4巻 新しい書表現 上田桑鳩・手島右卿・松井如流・井上有一・比田井南谷

第6巻 関東のかな作家 熊谷恒子

 

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春日井市道風記念館で9月9日から10月16日まで開催される「比田井南谷・線の芸術」のご案内はこちら